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海の紅月くらげさん
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家に帰るとリビングにいたのは、お母さんだけだった。
ソファに腰をかけてテレビを観ている横顔に向かって声をかける。
「ただいま」
すると、お母さんが振り向いて「おかえりとにこやかにそう言ったのだ。
私の顔はかなり強張っていると思う。けれど、それくらい驚く出来事だったのだ。なんだか胸騒ぎがした。
『おかえり』と言葉が返ってくるのは、普通の家では当たり前のこと。でも、お母さんはほとんど返してくれない。私を見ようともしない。
いつも私が喋れば大きくなるテレビの音も今日はそのままだ。
「手洗ってらっしゃい。ご飯の用意するから」
「う、うん……」
不気味に思いながらも私はひとまずリビングを離れ、洗面所で手を洗った。
最近機嫌が凄く悪かったのに今日は打って変わって機嫌が良くて微笑んでいる。こんなこと今までなかった。
「ましろちゃん、ご飯できたわよー」
私を呼ぶ声にハッとした。機嫌を損ねる前に早く行かないと。
濡れた手をタオルで無造作に拭き、慌ててリビングに戻る。
ダイニングテーブルの上には温められた回鍋肉と白いご飯とお味噌汁。そして、にこやかなお母さんの姿。
席に座ると目の前にお母さんが座った。
「いただきます!」
私も笑顔を作る。もしかしたら、少しずつ関係を改善していけるかもしれない。
そんな淡い期待を捨てられずに今まで過ごしてきた。
目の前にいるお母さんと血の繋がりがなくても家族なんだって互いに思えるような関係を築きたい。
「あのね、ましろちゃん」
お母さんが穏やかな口調で話しだす。
「美咲がね、来月から寮に入ることになったの」
美咲ちゃんは義理の姉であり、お母さんの血の繋がった娘。
今年から電車で二時間くらいかかる大学に入ったけれど、家から通うのは大変そうだった。
この家から美咲ちゃんがいなくなる。
これからは私とお母さんだけになるのか。お父さんは、単身赴任でほとんど家には帰ってこないし。
「それでね」
お母さんは満面な笑みだった。こんな笑みを向けられたのは初めてだったかもしれない。
「ましろちゃんにも、家をでてほしいの」
「え……」
「あ、ごめんなさいね。言い方が悪かったかしら。一人暮らしをしてほしいのよ」
「ど、して……?」
声が震えてしまった。
「自立した子に育ってほしいし、私も一人の時間を使ってお稽古とか始めようと思ってね。お父さんもね、私がそうするのが一番だと思うならいいよって言ってくれたのよ」
ああ、そうだ。
お父さんはこうやって厄介ごとから逃げる。
お母さんと美咲ちゃんがこの家に来たときも、仕事が忙しいと言って私の話を聞いてくれなかった。
「もうアパートの候補も決めてあるのよ」
お母さんは私と二人になりたくなかったんだ。
それが虚しくて、悲しくてズキズキと胸が痛む。全身が悲鳴を上げているみたいに鼓動が速くなる。
私、いい子にしていようって昔からいっぱい頑張ってきたよ。
運動会の応援にも卒業式にも来てくれなくたって、話しかけようとしてテレビの音量わざと上げられたって、やっぱり好かれたかった。
何度も嫌だって酷いって思ったことはある。
だけど、血は繋がっていなくたって一緒に暮らしている家族だ。
お母さんに好かれたかった。
でも、やっぱり…………ダメなんだね。私は好いてもらえない。
「家賃のこととかは学生のうちは心配しないで」
お母さん、私のことちゃんと見て。
「電化製品とかもカタログ貰ってきたから選んでおいてね」
私、ここにいちゃいけないの?
ずっと邪魔な存在でしかない?
元々この家に先に住んでいたのは、私なのに。
どうして出ていかないといけないの?
「ご飯の邪魔しちゃったわね」
お母さんが席を立った。
遠ざかっていく足音にどこか安心してしまう。
涙は不思議と零れない。
ご飯の味を感じない。無味なモノを体内にぐちゃぐちゃに流し込んでいるだけな感じがする。
……気持ち悪い。胃の中がじわじわと熱を帯びて炎症を起こしているかのようなヒリヒリとした痛みが襲ってくる。
本当自分には呆れてしまう。なにも言い返すことができず、こんな時にでもしっかりと後片付けをしているなんて。
いい子だと思われたい。嫌われたくない。困らせたくない。
そんなことを頭の片隅でまだ思っているんだ。馬鹿だな私。