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夏も終わりを迎え、夜になれば暖炉の炎が恋しくなり始めたある日、仕事を終えたのに仕事に関する資料をクリニックから自宅に持ち帰っていたウーヴェは、リビングのカウチソファに腰掛け、ブランケットを膝に掛けて資料の山の登坂を始めていた。
資料の山はさほど高くはないものだった為、とにかく読み終えてしまおうと本を開いていたが、いつしか活字の山を一歩ずつ登ることが楽しくなってしまい、コーヒーテーブルに置いた携帯から映画音楽が流れていることにも気づけなかった。
まるでひとつの尾根を超えてまた別の尾根へと挑戦するクライマーのように本を手に取ったウーヴェは、クライマーが高みから下界を見下ろす時のように一息つくが、そのタイミングに合わせて携帯が再度軽快な映画音楽を流し始める。
「Ja.」
携帯を手に取り耳に宛がったウーヴェは電話を掛けてきた相手が誰であるかを音で判断していた為、恋人からの仕事が終わったコールだと思っていたが、聞こえてきたのはカチカチと歯を鳴らしながらいつもの挨拶をする声だった。
『ハロ、オーヴェ』
「リオン? どうした?」
歯の根の合わない声に驚きを隠せずに声の調子を跳ね上げたウーヴェは、さっきからずっと電話をしているのに出てくれないオーヴェなんか嫌いだと、まるで地獄の底から響いているような声で告白されて絶句し、悪かったと小さな声で謝罪をする。
『悪いと思ってるなら今すぐ玄関のドアを開けてくれよ!』
「!」
最後の悲鳴のような声に文字通り飛び上がってリビングから廊下へと飛び出したウーヴェは、長い廊下を恨めしく思いながら玄関へと辿り着き、ドアを開けると同時に飛び込んできた冷気を纏った金色の嵐に身体を拘束されて目を瞠る。
「……っ!!」
「寒いっ!! 腹減った!」
嵐の中心から、腹が減った寒い凍えてしまいそうなのに電話に出てくれないからオーヴェは嫌いだという不満が噴出し、その不満の中心部で顔を身体に押しつけられてしまい、眼鏡が当たる痛さと背中を抱く腕の強さに辟易していたウーヴェだが、服の上からでも感じるリオンの身体の冷えに気付いて身動ぎし、今度は逆にリオンの背中を抱きしめる。
「――悪かった、リーオ」
「反省してるか?」
「ああ。許してくれ」
ついつい資料の本に意識を奪われていたことを反省したと告げ、冷たい頬にキスをしたウーヴェの前で嵐が一気に晴れ渡った青空へと変化をする。
「ただいま、オーヴェ」
「ああ。お疲れ様、お帰り、リーオ」
腹が減ったと宣うのは変わらなかったが、眼鏡が押しつけられてしまって赤くなっている頬にリオンがキスをし、ウーヴェの腰に腕を回して肩に頬を押し当てる。
「まだ食べていないんだ、一緒に食べよう」
「うん。あ、でもさ、ちょっと冷えてるから先にシャワー使いたいなぁ」
「ああ、そうだな。その間に用意をしておこうか」
まだ食べていなかった食事の支度をしておくからその間にシャワーを浴びて温まってこいと笑うウーヴェにリオンも笑うが、互いに浮かべた笑みの質が全く違っていることにウーヴェは気付かずにいて、ベッドルームではなく廊下側にあるバスルームの前を通り過ぎた時にリオンが足を止めた為に顔を見上げつつ首を傾げる。
「どうした?」
「な、オーヴェ」
「……何だ……?」
その笑み混じりの低い声がもたらすものが何であるのかを経験上よく知るウーヴェが顔を少しだけ引き攣らせ、一体何だと声を顰めつつリオンから離れようとするが、それを見越していたリオンが不気味な笑い声を発しながらウーヴェを背後から羽交い締めにする。
「ふっふっふ。逃げても無駄だぜ、オーヴェ」
「な、何の事だ? それにお前は何を考えて……!」
いるんだ、その言葉でリオンの行動を停止させようと考えていたがそれよりも先にリオンがバスルームのドアを開け放ち、慣れた手付きで明かりをつけると同時にウーヴェが着ていたシャツのボタンを乱暴に外していく。
「こらっ、リオン!!」
何をするんだ風邪を引いてしまうだろうと怒鳴ってリオンの腕に手を置いて動きを止めさせようとしたウーヴェの頬にキスをしたリオンは、恥じらいが強いのも好きだが毎回は食傷気味だから今夜ぐらいは喜んで受け入れてくれと囁いてウーヴェの顔から首筋までを真っ赤に染めさせる。
「ホント……俺の陛下は我が儘だし恥ずかしがり屋さんだし……」
でもそんな所が好きなんだと告白しつつも手は全く止めなかった為、ウーヴェが羞恥から我に返った時にはすっかり下着一枚の姿になってしまっていた。
「リオンっ!!」
「はいはい。そう照れなくても良いだろ、ハニー?」
「――今夜は特別料金で10ユーロだ!」
いつもハニーと呼べばブタの貯金箱に1ユーロ硬貨をチャリンと投入しているが、今夜は10倍だと叫んだウーヴェににやりと笑みを浮かべたリオンが顔を寄せて再度耳元に口を近づける。
「イイぜ。10ユーロでも100ユーロでも払ってやる」
だからお願い、これからバスタブで一緒に温まろうと声が反響しやすいバスルームで低い声で囁かれ、知らず知らずのうちに背筋を震わせてしまったウーヴェは、その震えは寒さから来るものであってリオンの声が予想外の色香を滲ませていたからではないと頭を振る。
「バスタブに湯を張ってもよろしいでしょうか、陛下?」
リオンが片目を閉じながら茶目っ気たっぷりに、だが本音を紛れ込ませた声で問いかけた為、重々しく溜息を吐いた後で顎を上げて尊大に見える態度で腕を組んだウーヴェがゆっくりと頭を上下に揺らす。
「良きに計らえ」
「有り難き幸せ――オーヴェ大好き愛してるっ!」
「さっきは嫌いだって言って無かったか? ん?」
「それはそれ、これはこれ」
「何だそれは」
「気にしない気にしない」
ウーヴェの了承を取り付けたことが余程嬉しかったのかリオンが鼻歌交じりにバスタブに湯を張り始め、二人では使うことの出来ないシャワーブースにウーヴェを押し込めると、自らはまだ湯が溜まっていないバスタブの縁に腰を下ろして足を組む。
「先にシャワーを使えば良いだろう?」
「ん? んー、そうなんだけどさ、オーヴェが身体洗うのを見たいなーって」
「…………バカたれっ!」
リオンが何気なく発する一言が今夜はウーヴェの羞恥心をことごとく刺激するようで、再び顔から首筋まで真っ赤に染めたウーヴェが、いっその事見られないようにシャワーカーテンを買ってきて取り付けようかと憎たらしい顔で笑い、リオンが盛大に落ち込んだ後で口をへの字に曲げる膨れっ面を見て楽しそうに笑う。
「オーヴェのイジワル! トイフェル!」
何を今更照れているんだ、昨日もベッドの中であんな姿やこんな姿勢をしてくれたクセにとリオンが頬を膨らませると、顔のすぐ横を何かが通り抜けていく。
「わっ! オーヴェ、セッケンを投げるなよっ!」
「うるさい!」
セクハラで訴えるぞと一言吼え、シャワーブースの中を湯気で一杯にして曇らせたウーヴェは、すぐ傍で聞こえる不満を完全にシャットアウトし、それでも見られているかも知れない恐怖から素早く頭と身体を洗ってしまうのだった。
狭いバスタブ-と言っても一般的なものの中では比較的大きい-に二人で入れば窮屈だが、渋るウーヴェの後ろに回り込んで己の足の間にウーヴェを挟み込んだリオンは、白い背中にキスをした後、前に回した手で恋人の身体を引き寄せる。
「どうした?」
どれ程バカだの何だのと文句を言いつつも、こうして素肌を触れあわせているとそんな不満も解消されてしまうのか、ウーヴェが背後のリオンを振り返りながら問いかけると、何でもないという言葉がキスと一緒に耳朶に届けられる。
ウーヴェの薄い腹の前で手を組み、肩に顎を載せて機嫌が良いことを教えるように鼻歌を歌い出したリオンに苦笑し、同じ調子で合わせて歌うことは出来ないが、リオンの機嫌が良いのが何よりも嬉しいことを感じているウーヴェが身体の両脇で立てられている膝に手を置き、背後の身体にゆっくりと体重を掛けて寄り掛かる。
「――イイぜ」
最初はやや遠慮がちに寄り掛かっていたが耳元で囁かれる言葉に釣られて身体から力を抜くと、揺るぎない力で受け止められて背中で感じていた温もりがより一層強くなる。
「……何を歌っているんだ?」
「ん? オーヴェが俺の事を太陽だって言ってくれたから、それからすげー好きになった歌」
前までは学校で聞いたりテレビやラジオで流れているのを聞くぐらいで全く関心を持たなかったが、ウーヴェの一言でこの歌が伝えてくれるものががらりと変化をしたと笑い、己の膝に置かれている白い手を取って口元に引き寄せる。
「……いつまでも、お前の太陽でいさせてくれないか、オーヴェ」
声に潜む言い表せない孤独を感じ取ってしまい、思わず振り返ってくすんだ金髪を抱きしめたくなったウーヴェだが、リオンの手がそれを阻止した為に振り返る事は出来なかった。
だが、顔を見ることは出来なくても声で、触れた温もりで伝えることは出来ると気付き、更に背中をリオンの胸板に押しつけるように身体を寄せ、可能な限り頭を仰け反らせて逆さまの世界で恋人の蒼い瞳を見上げたウーヴェは、リオンが思わず驚いてしまうような力強い笑みを浮かべ、リオンの手に取られていた手で濡れた金髪を抱き寄せる。
「――この世に太陽がひとつしかないように、俺にとっての太陽はお前だけだ」
今この時も、いつか必ず訪れる永遠の眠りに就く時までも、俺の太陽はお前だけだと告げて抱き寄せた顔にキスをしたウーヴェは、間近にある蒼い瞳に孤独の代わりに信頼されていることへの自信が溢れ出したことに気付き、身体を何とか捻ってリオンと正対する。
「リーオ。俺の太陽。これからもその光で俺を暖めてくれ」
「……焦がしちゃったらごめんな?」
「責任を取ってくれるのなら許そうか」
二人きり、しかもこうしてリオンが落ち込んでいると知れば限りなく優しい声で囁いてくれるウーヴェの方が太陽みたいだと感じたリオンは、その優しさをしっかりと受け止めた上で自分らしいと感じてくれる少しふざけた口調で片目を閉じるが、次に一瞬驚いたように目を瞠り、小春日和の太陽のような暖かさを感じさせる笑顔でリオンの頬を撫でたウーヴェが付き合うように片目を閉じて心が広いだろうと胸を張る。
「すげー心が広いよな、オーヴェ」
そんなオーヴェが本当に大好きだと何よりも大切な言葉をさらりと告げて笑ったリオンは、ウーヴェの不自然な体勢を戻させると同時に身体全体で自分に向き合えと言うように手で合図を送り、バスタブの中で二人向き合って膝を突きつける。
「オーヴェ、オーヴェ」
「ああ」
額と額、手と手を重ねてまるでティーンエイジャーのように互いの名前を呼び合った二人は、どちらからともなく小さく笑い出すが、その笑みを納めると同時にそっと唇を重ねて互いの思いを確かめ合う。
「なあ、リオン」
「ん?」
「もう一度歌ってくれないか?」
「ん、分かった」
さっき鼻歌で歌っていた歌を今度はちゃんと声に出して歌ってくれと頼み、今度は自分から背中を向けて再度リオンの胸に背中で寄り掛かったウーヴェは、先程と同じように腹の前で手を組まれた為、その手に手を重ねて目を閉じる。
耳に流れ込む少しだけ調子が外れたようなその歌に小さく笑ってしまうと、笑うなと不満の声が聞こえるが、それでも続きを歌うリオンに合わせて歌えば機嫌を直したように更に調子外れの歌声がバスルームに心地よく響き渡るのだった。