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#お仕事
#秘密
倒れた木の影には、引き裂かれたような樹皮が散らばっていた。黒く固まった樹液がところどころに残り、腐った果実の甘さと古い薬品の匂いが鼻の奥に居座った。
翼は虫取り網を脇に抱え、一本ずつ木を確かめていった。樹液の出ている場所、樹皮のめくれた隙間、根元の暗がり。
いつもの夏なら、そこには何かしらの気配があったはずだ。カナブンの鈍い羽音、スズメバチの警戒心に満ちた旋回、クワガタの脚が幹をつかむ微かな音。
だが、今日は違う。
そこにあるべき躍動だけが、きれいに抜き取られている。
八月の林である。これほど樹液の匂いが濃いのに、虫が一匹も集まらないはずがない。蝉の声だって、外ではあれほど耳を塞ぎたくなるほど鳴いていたのに、ここへ入った途端、まるで存在を取り消されたみたいに途絶えてしまった。
羽音ひとつない。風さえ、この場所に触れることを避けているようだった。
聞こえるのは、自分の呼吸だけだった。
どくん。どくん。
心臓の音の正確さが、恐ろしかった。
――カァ、カァ。
唐突に、頭上でカラスが鳴いた。耳のすぐ横で叫ばれたような近さだった。
翼は反射的に顔を上げた。青空も、鳥の影も見えない。ただ、鳴き声だけが、あたりの空気に貼りついていた。
「……引き返そうかな」
声に出した途端、その言葉はひどく弱々しく感じられた。
理屈ではなかった。危険を説明する根拠もない。ただ、皮膚や筋肉や内臓のひとつひとつが、まだ姿を見せていない脅威に向かって総立ちになっていた。
ここにいてはいけない。
これ以上、奥へ進んではいけない。
踵を返しかけた、そのときだった。
視界の端に、一本のクヌギが飛び込んできた。
その木は、周囲の木々から養分を奪い取り、そのすべてを自らの歪みのために使い果したようだった。幹は異様に太く、途中でねじれ、苦しむ獣の背骨のように隆起している。深い亀裂が縦に走り、そこから滲み出た樹液が黒い瘡蓋となって固まっていた。
その裂け目は、文字に見えた。読むことのできない、けれど確かに意味だけは持っている文字。
そして翼は、その幹の根元に、さらにおかしなものを見つけた。
根元近くに、大きな黒い穴があった。
ぽっかりと口を開け、何かが来るのを待ち受けているような穴だった。樹洞――うろ。その内部は深く、外の光をことごとく飲み込んでいた。入口の輪郭だけが見え、その先は夜よりも濃い闇だった。
幹の表面には無数の瘤が浮かび上がっている。翼には、それらが苦しみの最中に凍りついた人の顔に見えた。閉じた眼窩、ひきつった口元、押し殺された叫び。風はないのに、葉だけがときおり微かに震えた。
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