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「おはよう。」
「おはよ。」
「おはよ〜。」
今日はいつもと同じようで、どこか違う。
いつもよりみんな少し浮き足立っているような感じがした。
「今日で今年が終わるねえ。」
テレビをつけると、朝から年末特番が流れていて、部屋の中に大晦日の空気がじんわりと満ちていく。
「0時になったら初詣行こうねぇ。」
「涼ちゃん、気が早いって。まだ朝だよ?」
「年越しそばは絶対食べるでしょ?!」
「若井も気が早いよ。年越しそばは夜ね、夜。」
うん、完全に浮き足立っている。
まあ、それはぼくもなんだけど。
「ねえねえ、年越す寸前は絶対ジャンプしようね!」
「それは絶対でしょ。」
「やろやろ〜。」
まだ何時間も先の話なのに、ぼくたちはもう、夜のことばかり話していた。
新しい年を迎えるまでの時間が、なんだか愛おしくて…
そんな大晦日の朝だった。
・・・
「うん。今年最後のスクランブルエッグも涼ちゃん節が健在だね。」
「なんか、安心するよねえ。」
「ちょっとぉ!今日は上手くいった方じゃない〜?!」
「今日のやつ、目玉焼き失敗してスクランブルエッグになったパターンでしょ?」
若井は、まるで名探偵のようにドヤ顔で言い放つ。
すると、涼ちゃんはぱちくりと目を見開いて、素直に驚いた顔を見せた。
「えぇ〜!なんで分かったの?!」
「そんなのすぐ分かるよ。ね、元貴。」
「うん、ぼくもすぐ分かったよ。てか、ちょいちょいあるよね。」
「えぇ!他のもバレてたの〜?!」
涼ちゃんはフォークを持ったまま、ショックを受けたみたいに目を丸くしている。
けど、若井はにやにやしながら言葉を続けた。
「あと、味付け失敗してる時、ケチャップでお絵描きして誤魔化してるよね。」
「えぇ〜!それも気付いてたの〜?!」
涼ちゃんは崩れるようにテーブルに突っ伏したけれど、その背中からは笑いが漏れていた。
「でも、それが涼ちゃんの味だよね。」
「そうそう。あと、焦げも含めてね!」
「…もぉ〜、ふたりともやさしいんだからぁ。」
そろそろ卵料理は諦めたらいいのに、と思わなくもないけど…
でもやっぱり、これがないと一日が始まった気がしない。
きっと来年も、涼ちゃんのちょっと微妙なスクランブルエッグを食べて、一日が始まっていくんだろう。
そう思ったら、不思議と心が温かくなって、自然と笑みが溢れていた。
・・・
朝ご飯を食べ終えたあとは、ずっと後回しにしてきた大掃除を、ついに決行することにした。
…とは言っても、ぼくも若井もけっこう綺麗好きなので、日頃からそれなりに整っているのだけど。
え?涼ちゃん?
涼ちゃんは……
「はぁ〜、やだなぁ。お掃除。」
そう、掃除と片付けがあまり得意じゃないのが涼ちゃんである。
でも、まあ、うちには自然とできあがった役割分担がある。
涼ちゃんは料理担当。
若井は洗濯とお風呂掃除担当。
そしてぼくは、各部屋の掃除担当。
だから、意外と困ることはないのだけど。
「じゃあ、涼ちゃんはキッチン! 若井はお風呂とトイレの水回り! ぼくはリビングとダイニング! 早く終わらせて、夜に備えるよー!」
「「おー!!」」
ぼくたちは、なんとか気合いを入れて、それぞれの持ち場へと散っていった。
廊下に掃除機の音が響く。
お風呂場の方からは、若井の『うわー、こんなとこに髪の毛溜まってたー!』なんて声が聞こえてくる。
キッチンでは、涼ちゃんが時々『あっちぃ〜〜!』と叫びながらコンロ周りの油汚れと格闘しているようだ。(なんで熱いんだ?)
廊下の掃除機が終わったぼくは、リビングの窓の桟のホコリを丁寧に取っていく。
晴れた冬の光が差し込んで、ちょっとだけ誇らしい気持ちになる。
リビングの棚の写真立てにふと目をやると、学祭のときの写真が目に入った。
ぼく達は今日も一緒に笑って、暮らしている。
来年の今頃も、こんなふうに、大掃除で汗だくになって、誰かが愚痴って、誰かが笑ってるといいな…なんて、思ってしまった。
「ねぇ〜!元貴ぃ!換気扇ってどうやって外すのぉ〜〜!?」
キッチンから叫ぶ声に、『今行くー!』と返事をしながら、ぼくは手にした雑巾を置いて立ち上がる。
なんでもない、だけど、かけがえのない大晦日の午後。
ちょっとずつ、家の中が綺麗になっていくのと一緒に、胸の中まで洗われていくような気がしていた。
「ふわぁ〜、めちゃくちゃ綺麗になったねぇ。」
数時間後、ピカピカになった家を見て、涼ちゃんは目をキラキラと輝かせた。
「二人とも、お家をこんなに綺麗にしてくれてありがとうねぇ。」
ぼくと若井からしたら、自分が住んでいる家…
帰る場所を綺麗にするのは当たり前だけど、涼ちゃんにとっては、大好きだったおじいちゃんとの思い出が沢山詰まった場所で。
そんな思い出の場所を綺麗にしてくれた事が、すごく嬉しいようだった。
そんな涼ちゃんを見て、若井がぽつりと呟く。
「でも、なんかさ、俺たちもこの家の一部になってきた感じするよね。」
「…うん。」
窓辺のカーテン、廊下の引き戸、床の軋む音。
どれも少しずつ、ぼくたちの生活に馴染んでいって、 ぼくたち自身もまた、この家に馴染んでいってるのかもしれない。
涼ちゃんは、そんな若井の言葉を聞くと、少し照れたように笑った。
「ふふっ、それって…ちょっと、嬉しいな。」
その笑顔を見て、ぼくの胸が少しだけ痛くなる。
この家が、涼ちゃんにとってどれだけ大切な場所なのか、改めて感じたから。
「さーって!もうすぐ日が暮れるし、夜になる前にお風呂入ってサッパリしよっかー!」
若井が両手を伸ばして大きく伸びをしながらそう言うと、『 先に入る〜!』と涼ちゃんが手を挙げてリビングを出ていった。
その後ろ姿を見送りながら、ぼくはそっと手に持ったタオルで自分の額の汗を拭った。
綺麗になった部屋の空気は、どこか澄んでいて、 大晦日の夕暮れが、じんわりと、家の中に染み込んでいくようだった。
・・・
テレビでは年末の特番が佳境を迎えていて、 年を越す準備を万端にしたぼく達は、仲良く年越し蕎麦を食べていた。
「年越し蕎麦って、ただの蕎麦なのになぜか美味しく感じるよね。」
若井が箸を持ったまま、ふと呟いた。
「分かる〜。特別な味付けとかじゃないのに、不思議だよねぇ。」
涼ちゃんが笑いながらそう返し、目の前のお椀から蕎麦をつるりと啜る。
「年末の空気感が、味を引き立ててるのかもね。」
ぼくがそう言うと、二人とも『それだ〜!』と声を揃えて笑った。
「今年の年越し蕎麦も美味しかったー。」
若井はそう言いながら、最後の一口を勢いよくすすり込む。
その何気ない声に、思わずこちらも笑みがこぼれた。
どこにでもあるような蕎麦なのに、三人で食べるそれは、たまらなく特別な味がした。
年越し蕎麦を食べた後は、各々リビングでのんびり過ごしていたけれど、いよいよその時が近づいてくると、不思議と誰も声をかけることなく、三人とも自然とソファーから立ち上がっていた。
カウントダウンを告げる番組の音だけが静かに流れる中、ぼくらは並んでテレビの前に立つ。
「……あと十秒。」
涼ちゃんの小さな声に、緩やかに空気が引き締まった気がした。
そして、気が付いたら、なぜかぼく達はなぜか手を握り合っていた。
「九、八、七……」
誰が言い出すでもなく、声を合わせてカウントが始まる。
「三、二、いち——!」
「ジャンプー!!」
ぱんっ、と軽やかな足音が床に響いた瞬間、新しい年がやってきた。
「明けましておめでとー!」
「おめでとー!」
「今年もよろしくねぇ!」
顔を見合わせて笑い合う、その瞬間がたまらなく愛おしくて、ぼくは心の中でそっと願った。
どうかこの時間が、少しでも長く続きますように、と。
・・・
新年を迎えたぼく達は、息が白くなる程冷え込んでいる中、初詣をする為に近所の神社に向かって歩いていた。
涼ちゃん曰く、『あんまり人が居ない、穴場スポットがあるんだよ〜。』とのこと。
「ほんとにあるの?そんな都合のいい神社。」
若井が疑い半分で聞くと、涼ちゃんは得意げにニヤッと笑った。
「あるの〜。こっちこっち。寒いけど、ちょっとだけ我慢ねぇ。」
住宅街の細い道を抜け、少し傾斜のある坂を登っていくと、小さな鳥居が見えてきた。提灯がふたつ、風に揺れている。
「わ、ほんとにあるんだ…。」
「ね?言ったでしょ〜?」
境内は静かで、参拝客もちらほらと居るだけだった。
だけど、廃れてるという訳でもなく、ちゃんと掃き清められていて、ひっそりと灯る明かりにどこか温かみを感じる。
「じゃあ、並ぼっか。」
ぽつんと立つ鈴を鳴らし、ぼくらは順番に手を合わせた。
お賽銭を投げて、二礼二拍手一礼。
その間、それぞれが何を願ったのかは聞かなかったけれど、手を合わせる時間が、今年の自分と静かに向き合うきっかけになった気がする。
参拝を終えると、涼ちゃんがふと声を上げた。
「はぁ〜、やっぱりここ好きだなぁ。落ち着くんだよねぇ。」
「うん…なんか、静かで、空気が澄んでる気がする。」
「ねえ、今年も三人で、沢山笑おうね。」
涼ちゃんのその言葉に、思わず胸がぎゅっとなった。
嬉しいような、切ないような、そんな感情が混ざり合って、言葉にならなかった。
だから代わりに、ぼくは小さくうなずいて、涼ちゃんの隣に立つ足を、そっと寄せた。
「わー!おみくじもあるんだあ!」
少しだけ神社の境内を歩くと、木立の中にひっそりと佇む、無人のおみくじ小屋が見えてきた。
小さな灯りに照らされて、どこか懐かしい雰囲気を漂わせている。
「そうなのっ。おみくじやるでしょ?」
「やるやる!」
「おれ、いっちばーん!」
若井は一歩前に出ると、小銭を入れ、お御籤箱をカラカラと振る。
そして、出てきた細長い棒を握りしめた。
続いてぼくと涼ちゃんも、それぞれにお金を入れて、お御籤箱を振る。
コロコロ、カラカラ――。
夜の冷たい空気の中で、木箱の音が響いて、なんだかちょっとだけ神聖な気持ちになる。
三人がそれぞれの棒を握りしめて、小屋の引き出しを探し出す。
まるで宝探しみたいな、ちょっとしたわくわく感。
「せーの、で開ける?」
「…ふふっ。なんか楽しいね。」
涼ちゃんがくすくす笑い、若井が『じゃあいくよー!』と先導する。
「せーのっ!」
引き出しから取り出された三枚のおみくじが、ほぼ同時に開かれた…
「え、すご!みんな大吉じゃん!!」
三人のおみくじの結果を見て、若井が真っ先にに声を上げた。
「ほんとだぁ〜。去年もだけど、今年も良い年になりそ〜!」
涼ちゃんはふわっと笑いながら、手の中の紙を見つめる。
「ぼくもっ。去年は中吉だったのに楽しい一年だったから…今年はなんか、もっと期待しちゃうなあー。」
ぼくがそう言うと、若井が振り返る。
「そういや、涼ちゃんは去年どうだったの? おれは大吉だったんだけどさ〜。」
「僕?僕はねぇ、 去年の今頃はアメリカで、パーティーしてたからおみくじ引いてないんだよねぇ。」
「なにそれ、なんかかっこいい!」
「おれもアメリカでパーティーしてたって言いたい!」
若井が悔しそうに言うと、涼ちゃんは『ふふっ』と笑って肩をすくめる。
「でもさ、こうして三人で引くおみくじのほうが、僕は断然好きだよ。」
その一言に、ふと空気がやわらかくなった気がした。
冷たい風がすっと頬を撫でていったけど、心の奥はなんだか、ぽかぽかしていた。
・・・
「はぁ〜、なんか今日はまだ寝たくないなぁ。」
初詣から戻り、暗くなったリビングで布団に包まりながら、他愛もない話をしていた時、涼ちゃんがふとそんなことを呟いた。
「分かるかも。なんか、終わっちゃうのがもったいない感じ。」
ぼくも、天井をぼんやり見上げながら応える。
「なんだよ、二人して。まだ一年、始まったばっかだよ?」
若井は笑って言いながら、枕に顔を半分埋めた。
「ううん、そうじゃなくて…なんかね、こんな風に三人で過ごせる“今”が、ずっと続いてほしいって思っちゃうの。」
涼ちゃんの声はどこか遠くて、少しだけ寂しそうだった。
ぼくは言葉を返せずに、ただ黙ってその声の余韻に耳を澄ませた。
若井も、何も言わなかったけど…
たぶん、同じ気持ちだったんじゃないかなと思う。
夜は深く、静かで、どこか切なくなるほど澄んでいた。
「じゃあさ…」
少しの沈黙の後、若井が布団からゴソゴソと出てきてぼくの隣りに寝転がった。
「くっついて寝ようよ。ほら、涼ちゃんも!」
そう言って、若井は暗闇の中、涼ちゃんの名前を呼んで手招きした。
「待って、僕、布団と布団の隙間なんだけどぉ。二人とももうちょい寄ってよ〜。」
涼ちゃんが笑いながら文句を言うけど、その声はどこか楽しそうだった。
「なんか、これ、小学生の時の冬の合宿思い出すなー。」
若井がつぶやくと、涼ちゃんが『わかる〜、こんな感じだよねぇ。』と笑って応える。
「でもあの時より…ずっとあったかい。」
そう言った涼ちゃんの声が、小さく震えていたのは気のせいじゃなかったと思う。
何も言わず、ぼくは涼ちゃんの指先にそっと自分の指を重ねた。
若井も、無言でぼくらをぎゅっと抱き寄せた。
何も起きない。ただ、くっついて眠るだけの夜。
でも、それだけで……
十分すぎるほど、幸せだった。
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