私がなぜ、雨宮優香の妹になったかについてもう少し語ろうと思う。あれは確か、五歳の頃だったか。それまでは貧しいけれど普通の家庭で、夏にはプールに連れて行ってくれたり、冬はアパートの庭で雪遊びをしていた。両親は仕事に出かけて家にいないことがほとんどだったが私のことを愛情たっぷりに育てていてくれたと思う。母親の作る玉子焼きは鰹節が入っていて美味しかったし、父親の手作りの本棚は木と手作りの温もりが感じられた。姿はもうあまり思い出せないが、やせ細っていて、母親に関してはよくそんな体で私を産めたなと言えるくらいの体つきだった。そんな両親と楽しく過ごしている中、星のほくろが目立つようになり、両親が調べたところ星散病だと疑い、私を大きな病院へ連れて行った。病院の診察室で、白衣を着た医師がカルテをめくっていた。
「これは……間違いなく星散病の兆候ですね。」
「そんな……」母は声を震わせた。父は天井を見上げて黙り込んだ。
私はただ何も分からず椅子に座っているだけだった。
「二十五歳になると体が星になって消える病気です。非常に稀な症例で……」
父はずっと顔を手で覆い隠し、母はずっと涙を流して泣いていた。
診察が終わったあと、私は泣いている理由を聞いた。
「パパ、ママ、どうして泣いているの?」
そう聞いても両親は何も答えない。
「あのね、パパ、ママ。私ね、大きくなったらヒーローになりたいの!ヒーローは強くてかっこよくて泣いている人を助けてくれるんだ!だからパパとママのことも助けてあげられるよ!」
「そう……なの」
父親は私の頭を撫で涙を手で拭うと私に目線を合わせてこう言った。
「じゃあ、玲子。パパたちのヒーローになってくれるかい?」
「もちろん!!」
次の日の朝、両親はどこかへ行ってしまった。仕事の忙しい二人のことだからまた仕事へ行ったのだろう、そう思っていた。しかし、現実は違った。私は極道へ売り飛ばされた。元々、借金を作っていたそうで取り立てに来た極道のお兄さん達宛に置き手紙を残し、両親は消えたのだ。置き手紙にはこうあった。
「この子は星散病です。高値で売れるでしょうから、そのお金を借金返済にあててください。」
お兄さん達は頭を掻きながら「こりゃひどいな」「まさか星散病の人間がいるとはな。初めて見たぞ?」そんなことを言っていた。
あの時の私は子供の心で必死にいなくなった両親のことを考えていた。二人は仕事へ行っているだけ。夜になれば帰ってくる。このお兄さんたちは悪いお兄さんだ。二人が助けに来てくれる。と。しかし、迎えには一向に来なかった。一人のお兄さんが教えてくれた。
「お前は捨てられたんだ」と。近くにいたもう一人のお兄さんが「それを言うんじゃない!!」と、そのお兄さんを叱ったが、私は幼い頭でその言葉を理解した。
「捨てられた」「私はいらない子だ」。そんな言葉が頭の中をぐるぐる回っていて、理解はできても飲み込むことが出来なくて私は泣き叫んだ。
「パパたちのヒーローになってくれ」あれはこういう意味だったのか。今思えばあの時何も知らずに頷いた私をぶん殴りたくなるほどだ。
取り立てに来ていた春川組のお兄さん達はすぐ首領に報告。首領からお父さん、春川卓三に報告が行き、雨宮家の養子となったのだ。そして同時に優香の妹になった。
今でも忘れられない。初めて竹刀を握った時の感覚を。それは人を傷つける道具なのだと知っていたから。
「持ち方が違う、玲子。」
卓蔵は竹刀を構えたまま、厳しい声で言った。
「もっとしっかりと握れ。剣はお前の命を守るものだ。」
なぜ、こんなものを握らなければならないのか、そう思いながら私はぎゅっと竹刀を握りしめた。両腕が震えた。
「おいおい、そんな手じゃ一撃で負けるぞ?」
優香が笑いながら横から竹刀を持ち上げた。
「いいか、玲子。まずは正しい構えを覚えなさい。敵が来たら——」
次の瞬間、卓蔵の竹刀が空を切り、私は反射的に防御の姿勢をとった。
バチィンッ! 竹刀と竹刀がぶつかり合う。
「——そうだ、その感覚を忘れるな。」
母親はその様子をじっと微笑みながら見つめていた。私が竹刀を握り初めて防御の姿勢を取ったことを褒めるように。私は怖かった。怖くて涙が出そうだった。でも、ヒーローを目指すからにはもっと強くならなくては。私は竹刀を握り直し、父親の目を見て
「もう一度お願いします!!」
父親と優香は驚いた顔をしたが父親は笑って
「いいだろう、もう一度だ。」
そう言ってくれた。
それからの日々は結構辛かった。毎日毎日剣の特訓、その他に自分の身を守るための体術の特訓を姉として、それが終われば勉強。私立の幼稚園に行かされたからクラスメイトはみんな頭が良くてついて行くのに必死だった。成績は周りと比べたら中の上くらいだったけど、養親や姉はよくやったと褒めてくれた。今思えば褒めて伸ばす人だったのかなと思う。おかげでそこそこいい短期大学にも入れたのだ。
獅子合との出会いはどんなだったか。あれは雨宮家に引き取られてすぐの頃だった。隣のアパートに住む少年に出会った。それが獅子合りょうが、昔は確か秋川りょうがという名前だった。春川組に入った時に苗字を変えたらしい。彼は毎日ボロボロの服を着てどこかしらに痣を作っていた。なんでそんなに怪我したのと聞けば転んだ、ぶつけたの一言。しかし私は知っていた。アパートから毎晩のように聞こえる怒声。彼は両親に暴力を受けているのだと察するのは子供の私でも容易だった。見るに耐えかねた私は竹刀を持って彼が住むアパートへ向かった。
「おいガキ、言うこと聞けねぇのか?」
パァンッ!
廊下の奥から響く音に私は身を竦めた。声の主は扉から出てくると缶ビールを飲みながら階段を降りていった。
しばらくして、声の主がいなくなったのを確認すると部屋の中に入り彼を探した。そして、部屋の隅に小さく蹲る彼を見つけた。彼の頬は腫れ、唇が切れて血が滲んでいた。
「……また?」
りょうがは俯いたまま、ゆっくり頷いた。
「……もう耐えられない。」
「なら、春川組の人たちに相談しようよ。」
「そんなの……できるわけない。」
だが、その日は突然訪れた。
ある晩、りょうがの父親がさらに激しく暴れ、彼を殴り続けたとき——春川組の幹部が家に踏み込んだ。
「お前みたいなクズがガキを育てられるわけねぇだろ。」
それが、彼が春川組に引き取られた日だった。その時である。彼が極道になりたいなんて言い出したのは。
私と彼は幼い頃、こんな会話をしていた。
「なぁ、お前の両親ってどんな人?」
「ん?優しい人だよ?」
「ふーん。」
「でも、本当の両親じゃないよ。」
「え?」
「本当の両親は私が小さい頃にどっか行っちゃったの。私がお金になる病気だからって」
「なんだよそれ……」
ブランコに乗りながら淡々と私は話していた。
「悲しくねーの?」
「うーん……別に?もう顔も覚えてないもん」
「そっか。」
その時の私は本当の両親より今の両親の方が好きだったし恩を感じていたから、彼らのことなんて頭になかったのかもしれない。
「俺さ、お前を守れるようになりたい。」
「どうして?」
「お前、金になる病気なんだろ?それじゃあ悪い奴に狙われるかもしれないから、俺が守る!」
そう言ったりょうがの目はキラキラ輝いていた。
「ありがとう、でも私もりょうがに負けないくらい強くなるよ!」
「言ったな!?じゃあどっちが強いか勝負だ!」
夕方、公園のブランコで交わした会話が今でも頭にこびりつく。決して忘れてはならない過去だと言わんばかりに。
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