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午後3時。
都内某所のスタジオ。
元貴は、遮音されたブースの中でイヤモニをつけ、ピアノの前に座っていた。
「じゃあ、もう一回だけテイク録らせて。今度は、ちょっと息を抜くように……うん、ささやく感じで」
エンジニアにそう指示しながら、彼は目を閉じて深く息を吐く。
ここ最近、ミセスの制作に加え、ソロ活動、タイアップのための書き下ろし曲、映画の主題歌収録……。
スケジュールは分刻みで埋まっていた。
「元貴、ちょっと休憩しない? もう3時間ぶっ続けだよ」
涼架がガラス越しにマイクを通して呼びかける。
「大丈夫。……もう少しで、見える気がするから」
自分の中の“音”を逃さないように。
その一心で、彼は鍵盤に手を置いた。
しかし――
音が出る前に、視界が大きくぐらついた。
頭がじんわりと重くなり、腕に力が入らない。
気づけば、ピアノの上に身体を預けたまま、彼の意識はふっと暗闇に落ちた。
「元貴!? ちょ、元貴!!」
慌てて飛び込んできたのは滉斗。
すでに涼ちゃんが元貴の身体を支えていた。
「意識が……ヤバい、倒れた! 救急車、すぐ!」
その声は、スタジオの沈黙を裂くように響いた。
*
数時間後、病院の個室。
点滴に繋がれ、真っ白なシーツに包まれる元貴の姿。
その枕元に、滉斗と涼架が並んで座っていた。
「……熱、39度超えてたってさ。過労と脱水もあったらしい」
滉斗が、低い声で報告した。
「そりゃ、倒れるよね……ずっと寝てないって言ってたもん」
「……なんで、ここまで無理するかな」
滉斗はため息混じりに呟いた。
涼ちゃんの手は、元貴の指をそっと握っていた。
「自分がやらなきゃ、って思っちゃうの、わかってるけどさ…… お前に倒れられたら、元も子もないだろ……っ」
滉斗は言葉にしながら、喉の奥が詰まっていく。
その時、薄くまぶたが動いた。
「……ん……涼ちゃん……滉斗……?」
掠れた声。
ふたりが同時に顔を上げた。
「元貴! やっと目、覚ました……!」
「よかった……ほんとに、よかった……!」
涼ちゃんの目には、うっすらと涙がにじんでいた。
滉斗は、ホッとしたように額に手を当て、そして少し睨むように言った。
元貴は眉をひそめ、唇をかすかに噛んだ。
「……また、迷惑かけた」
「違うって」
滉斗は、元貴の手を両手で包むように握った。
「迷惑とかじゃない。お前がいないと、意味がないんだよ。ミセスも、音楽も、俺たちにとっては全部……お前がいてこそなんだよ」
「……滉斗……」
「なぁ、お願いだから、ちゃんと寝て。ちゃんと食べて。……自分の身体、大事にしてくれよ。お前が、ちゃんと笑っててくれなきゃ、俺ら、やってけねぇよ……」
言葉を紡ぐほどに、滉斗の目が潤んでいく。
「……倒れたとき、どうしようかと思って……! もう二度と、あんなの見たくないよ……」
涼架は感情が溢れ、涙が頬をつたった。
涙をこぼしながら語るその姿に、元貴も胸が詰まった。
「……ありがとう。涼ちゃんも、滉斗も……。支えてくれて、ほんとに……ありがとう」
涼ちゃんが、そっと微笑んだ。
「今度は、倒れる前にちゃんと相談してね。俺ら、頼って?」
「うん……」
滉斗も、肩の力を抜いて、元貴の額にタオルを乗せ直した。
「今日はもう、何も考えるな。音楽のことも、予定のことも。休め。命令だ」
「……わかった」
そしてその夜、ふたりは交代で元貴の隣に付き添った。
安心しきった顔で眠る彼の呼吸を、静かに見守りながら――
END