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「これって一体……どういうことなの?」
目に映るもの全てが信じられなくて手を伸ばして自分の座っている座席やドレスにスカート、手当たり次第触れて質感を確かめる。そしてそのどれもがリアルなことに驚く。
だって、私の頭の中には今見えているものと同じくらい鮮明に、自分の人生が終わってしまった瞬間の記憶が残っている。
それなのに、今の現状は記憶の場面とは異なり、少しでもよく見られるように着させられた煌びやかなドレス、私ひとりで乗るには豪華すぎる馬車に揺られているのだ。
それだけでなく、最後には赤く染まっていた自分の手を見てみると指先まで綺麗に手入れされ、肌にはキラキラと光るおしろいのようなものまで施され、気合まで感じられる装いだ。
(あ、そうだ。この後って……)
不思議なことはそれだけじゃない。私にはこの先の展開が手に取るように分かってしまう。
なぜ?
それは私にとってこの瞬間はいわばテイク2で、一度経験したことのあるシーンだからだ。この先、どこへ行きつくのか私は知っている。
目的地に到着した馬車が足を止める。導かれるまま馬車から降りると見覚え……どころじゃなくもう住み慣れたと言っていい立派な屋敷があり、赤の絨毯が門までの道のりを飾っている。
そして、そこで待ち受けていたのは深々と頭を下げた燕尾服姿の白髪の執事だった。
「このような遠くの地までお越しくださってありがとうございます、エレノア様。私は執事の――」
「ウィリアム‼無事だったのね」
私が命を落としたあの日、緊迫する状況の中、ウィリアムは先に逃げてと私の背中を押して城に残った。それからすぐに爆発音がして、城は燃えさかってしまい、ウィリアムのことがずっと気がかりだった私がその名前を呼ぶと、一瞬驚いたような表情をしたあと、すぐに笑顔になった。
「はい。おっしゃる通り、私はウィリアムと申します。ご聡明な方とは聞いていましたが、私のようなものを気遣う優しさまでお持ちとは。ささ、アッシュ様がお待ちです。こちらへ」
まるで初対面のように接してくるウィリアムに戸惑いつつも、この一瞬でウィリアムが執事としてとても優秀だということが分かって感心する。
突然名前を言い当てられ、脈絡のない心配までした私のことを、頭のおかしな娘が嫁いできたと嫌味や小言を言うことも出来たはずなのに、ウィリアムは不審がるどころか、私の発言を“気遣い”と受け取る。
ウィリアムはアッシュのお父様が辺境伯としてこの土地を守っていた頃からこの家に執事として仕えていると聞いていた。ここに嫁いで家事や掃除をする必要がなくなった私の退屈しのぎのティータイムに付き合ってくれるのもいつもウィリアムだった。
ロマンスグレーの髪と品の良い右目のモノクルに懐かしさを感じるウィリアムの背中を追って城の中へと入っていくと、馬車に揺られていたときより現実味が増して、今起きていることは夢ではないのかもしれないという考えが頭を埋め尽くす。
(もしこれが夢じゃないとして、死んだと思ったのに嫁いだ日に戻ってるってそんなことってありえるの?)
コンコン。
「エレノア様がいらっしゃいました」
書斎の大きな扉が開かれた。
大きなガラス窓から射す日の光に思わず目を細める。だけど私には分かる。
そこに誰がいるのか。
どんな表情をしていて、一言目にどんなことを話すのか。
そして、その瞬間聞こえたのは、もう一度聞きたいと願った声。
「アッシュだ。これから俺たちは夫婦となるが俺のことは愛さなくてい――」
「……ッ」
気がつくと考えるより先に身体が動き出していた。
確かめたかった。彼の肌のぬくもりや鼓動を。
「!?」
勢いのまま抱きついた私を受け止めたものの、あまりにも突然の衝撃でバランスを崩したアッシュは、私を庇うように倒れこむ。
そしてそのまま胸に耳を押し当てる。
ドクンドクン
(ああ、どうしよう……泣いてしまいそうだ)
鼻の奥がツンとしたのを必死で堪え、顔を上げた。
サラリと柔らかそうな黒髪から覗く深いブルーの瞳がじっと私を見つめている。
すっと伸びる鼻筋や、シャープな輪郭は女性のような美しさを感じさせるのに、首筋や身体つきは、がっしりとたくましく、そのギャップだけで多くの女性は心を奪われるだろうし、彼がこの地を守る辺境伯だということを瞬時に理解することが出来る。
ああ、そうか。
こうして彼を知ろうとする時間は沢山あったはずなのに、私はこんなことすら分からないまま、人生を終えてしまったのか。
ここぞとばかりに間近で観察する私を見つめながら、何が起きているのか分からないといった表情を浮かべ、アッシュは言葉を待っている。
言いたいことは山ほどある。だけどどんな風に伝えたって、目の前にいるアッシュには100分の1も伝わらないだろう。
だから――
「“愛さなくていい”とはどういう意味ですか?」
一度目の初対面の日、この書斎で先ほどと同じ言葉を言われた私は、あまりの衝撃に何も言えずただ俯くことしか出来なかった。
「私が伯爵様を愛することは許されないのですか?」
もう後悔なんてしたくない。
「いや……違う。そういうことじゃない」
珍しく、少し慌てた様子のアッシュの表情が瞳に映る。
「では教えてください。伯爵様が考えていることを私は知りたいです」
もっとあなたの事が知りたい。
今度はその願いが叶えられるかもしれない。だから話してほしい。全部。
「……これから俺は戦場へ行くことが増えるだろう。命を落とすことがあるかもしれない。そうなったとき、君の思い出や心の中に何も残していきたくない」
綺麗なブルーの瞳の視線が逸らされる。いつも凛々しく前を向く彼の横顔しか見たこと無かったのに、今はこんなにも近くで、初めて見る彼の表情を見ている。
しかも不思議なことに冷酷非情だと恐れられている目の前の彼に対して“かわいい”だなんて感情が湧いてくるのが不思議だ。あの“愛さなくていい”の言葉の裏にアッシュの秘めた想いがあったなんて。
「挨拶もなしにこのような無礼を働いてしまい、すみませんでした」
少しずつ冷静になってきて、アッシュの身体から降りてそのまま頭を下げた。
「構わない」
簡潔に答えたアッシュは、立ち上がった後私に手を差し伸べた。
その手に掴まろうと一度は手を伸ばすが、少し躊躇う。
だって全然分からない。夫婦としての距離感はどれが正解?この手に掴まっていいの?
悩んだ挙句、手を引こうとした途端、アッシュがグッと手を掴んで、軽々と私を立たせてくれた。でもまた何を考えているのか読み取り難い表情に戻ってしまったアッシュは近寄りがたい空気を纏っている。
「明日は早い。今日はゆっくり休んでくれ。ウィリアム頼む」
そういうとアッシュの手が何のためらいもなく私の手を離れていく。
「はい。ではエレノア様こちらへ」
「……はい」
話は終わりだという風にそっぽを向いてしまったアッシュにもう一度話しかける勇気はなく、私は大人しく書斎を後にした。
我に返ってトボトボと廊下を歩く私にウィリアムの言葉がトドメを刺す。
「エレノア様は積極的な方なのですね」
「……ッ!?いえ、違うんです!普段は絶対こんなこと……って言っても説得力なしですね……。見ました?あの伯爵様の顔。完全に嫌われた。ああ、やってしまった……」
こんなはずじゃなかった。
衝動的に動いてしまったせいで、アッシュと仲良くするどころか、不信感を与える爆弾を落としてしまって私は頭を抱えてその場で立ち尽くす。
「うーむ、そうでしょうか?」
モノクルをくいっと直したウィリアムは顎に手を当て、何かを考えているような仕草で私を見る。
何か言葉をくれるのかと期待して待っていたのに。
「さて、明日は結婚式がございます。早くお休みになられてください」
と言ってウィリアムは誤魔化すようにニッコリと微笑んだ。
「……はぁ。こんな気持ちのまま結婚式って、……え?けっこんしき?」
「はい、結婚式でございます」
「!?」
忘れていたわけじゃない。あの日のことは記憶の奥底に閉まっておきたい最悪な出来事なのだ。