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第5話 大きな選択
未来に見せられた「隣の疑い」は、言葉以上に重かった。朝の教室で、いつも通りに座ってるみんなの顔が、微妙に他人の顔に見える。校庭の時計はまだ逆回転の余韻を引きずって、時々止まっては飛ぶように動く。私たちはそれでも日常を演じなきゃならない。けど、どの一秒も意味を帯びてる。
「今日はどうする?」アヤネが耳打ちしてきた。唇の端が震えてる。普段は化粧で隠すけど、目の動きはいつだって嘘をつかない。私たちは互いを観察してる。観察は優越だ。観察がある限り、裏切りは生まれにくい。だが観察が執着に変わると、それは別の地獄を生む。
リクは放課後、いつもの場所――体育館裏の屋根の下――に誰かを呼び出す素振りを見せた。誘い文句に混ざったのは挑発。相手の反応を見て、顔の筋肉の動きで心理を読む。リクのやり方は粗野で正直だ。私はそれを好む。真面目に言えば、私は嘘を避ける者を尊敬する。だけど自分が窮地に立つと、真面目とは別の武器を選ぶ。人はそうやって強くなる。
ミナトは、やはり無言で動いていた。彼の情報収集の方法はデータだ。音、足音、紙の擦れる音。学校の物理的な挙動を数式に還元して、そこから「異常」を見つける。理屈で解くタイプは厄介だ。感情で動く私からすると、理屈は冷たい正義みたいなもんで、それが時には人を救い、時には人を殺す。
そして、決定の夜が来た。未来の言葉の代償はちょっとした試験で返済される。影が示した舞台で、私たちは「選択」を迫られた。選択はシンプルに見えたが、それは見かけ上の話。行動の一瞬には、何層もの意味がある。私がそこに立ったとき、胸の中で何かが切れて、同時に何かが燃え上がった。
「俺が先に行く」リクが言った。彼の声に震えが混じっていたが、決意は伝わる。アヤネは震える声で「私も行く」と言い、ミナトはただ小さく頷いた。私は……というと、黙って背を向け、黒板の中心を強く押しつけた。離すことはできない。アンカーであることをやめた瞬間、全てが崩れるんだ。それが分かってるから、私は押し続ける。痛いけど、痛みには意味がある。
舞台は、古い図書室のコピーみたいな空間だった。そこに映るのは、普段は明るい笑顔の隣人たちの、ちょっとずれた表情。誰かが笑い、誰かが俯き、誰かだけがやけに冷たい。演劇みたいに見えるが、これがただの見世物でないことは、すぐに理解できた。舞台は我々の心を試す装置だ。
第一のトリガーは、小さな嘘だった。アヤネが「今日、部活行けない」と言ったとき、鞄の中にスポーツ用のシューズが見えたのを誰かが見逃さなかった。それで小さな波紋が起きた。嘘は一枚で済むこともあるし、複数の嘘の連鎖を生むこともある。私たちはその線を、一つずつ辿った。嘘の理由を問い、嘘の温度を測り、嘘が誰に向けられているかを見た。
最終的な選択の時、私が見たのはリクの顔の変化だ。彼は表情を変えずに立っていたが、目の端に微かな血走りが見えた。そこには怒りよりも、危うさが混ざっていた。リクは決定的な瞬間に、自分が誰のために動いているのかを問い直していたのだ。彼はその問いに答えるため、ある行動を取った。仲間の一人に向けて、明らかな不利な情報をリークしたのだ。
裏切りか?表面上はそう。だが私にはわかってた。リクの行為は計算された犠牲だ。犠牲は裏切りと紙一重で混ざる。結果として誰かが痛む。だがその痛みが長期的に見て生存確率を上げるなら、冷めた計算では許容される。倫理の話を持ち出せばここは泥沼だ。けど私は泥を嫌わない。泥を踏んだ者が最後に笑うのが物語の好物だからだ。
アヤネは怒り、泣き、そして笑った。泣き笑いは一番醜くて一番真実味がある。ミナトは静かにデータを並べ、それで仲間の行動を規定する。私?私は、全員の裏側を見ていて、最後に言った。
「裏切りって、単なる行動じゃない。選択の重さの在処だ。誰かを裏切ったかどうかより、裏切られた側がそれをどう解釈するかの方が大事だ」
その言葉を言い切ると、舞台が崩れた。光が走り、私たちは現実の廊下に戻される。黒板に触れた指先が、いつの間にか白く粉を吹いてた。時間はまだ逆回転してる。だが、確実に何かは動いた。信頼は一度痛めつけられると、元に戻すのに労力が要る。だがその回復努力が絆を鍛える。私はそう信じたい。信じるのは勝手だが、信じないよりよっぽど強い。