テラーノベル
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『おはようございます。12月25日木曜日。午前7時40分をお知らせします。今日の気温は11.7度です。生命反応はありません。生存者がいましたら、直ちに報告してください。繰り返します―――…』
もはや定型文のような放送を終え、深く息を吐く。
壊れかけのマイクが奏でる不気味な音。
正面の壁に貼り付けられたカレンダーの12月25日の枠に、赤いペンでバツ印を書いた。
これで122日目だ。
122日。
そう122日前。
世界から俺以外の人間が姿を消した。
理由は不明。
いうならば神隠しといったところだろう。
気味が悪い。……いや、もはや気味が悪いどころの騒ぎではないのだが。
そんなことを考えていると、ふとどこからかヒンヤリと乾いた風が頬を撫でる。
窓は締まっている、空調も壊れていない。まぁ、そういうこともあるだろう。
一人で納得していると、小さく腹の虫がなった。
「あ。そういえば朝ご飯」
そうえば昨日の昼から食べていないな、と、机に積み上げられたカップラーメンに手を伸ばす。
だが、腹が減ってはいるが、お湯を入れに行くのが面倒くさい。
それよりも、お湯が沸くのを待つほうが面倒くさい。
完全栄養食なんてものもあるが、それを取りに行くのも少し遠い。
もう全てが面倒くさいのだ。
めんどくさいが、生きるためにはしょうがない。
「…行くか」
ため息をついて、ゆっくりと立ち上がる。
あぁ、賞味期限だけは無駄に長いの塊のせいで死に損なっている。
「…なんでこんな遠い構造やねん…」
ぐちぐちと文句をこぼしつつ、重い足を動かす。
流石市役所というべきか、複雑&広いという面倒くささのダブルコンボでかなりつらい。
いや、ここが広くて複雑なだけで他は違うのかもしれないが。
ふと、給湯器に向かう途中に鏡の前を通った。
だが俺の姿しか見えなかった。
いつもと変わらない自分だ。
何の変哲もない。
だから気にすることはないのだ。
そのまま、給湯器がある部屋に入り、給湯器のスイッチを押した。
「今度から給湯器もってこよかな…」
そうぼやき、ぼーっと給湯器を見つめる。
そのまま暫く経ってお湯が沸き、それをカップラーメンに入れる。
これでミッション完了だ。
ここから、また戻らなければいけないということを除いては。
きっと、戻るころには三分経っているだろう。
呑気にそんなことを考えていると突然、壊れて判定がゆるくなってしまった火災報知器が、カップ麺の湯気に反応してしゃべりだす。
「火事です。火事…す。火災が発……ま…た。…物内に…る方は直ちに………てく……」
断片的な情報と、気持ち悪いノイズ音だけが廊下に残る。
続いて、唸るようなサイレンの音が俺の頭上を駆け抜けていく。
こちらも途切れ途切れで、音程が定まらない。
頭に直接何かを刺されてるような不協和音。ガンガンと鳴る。うるさい。
流石に破壊するべきか。
あとでやろう。そうあとで…。
だが、とりあえずは早く戻ろうと、足を速めた。
「まじで遠い…なんなん…」
やっとの思いで席に着き、カップ麺のふたを開ける。
思わぬイベントのせいで、早々につかれた。
まだ少しサイレンの音が聞こえてはいるが、慣れれば意外と気にならないものだ。
カップ麺が湯気を立てる。
横を見れば窓。
窓を見れば、人間がいないとは思えないような、何の変哲もない普通の都市の風景。
この世界の終わりは、SFや漫画のように派手な奇跡じゃなく、ただの日常の延長で終わっていくのか。
俺の物語が。
人間の物語が。
誰にも見られず、ここで。
誰も覚えていないのなら、それは終わったことと同じだ。
だから忘れないで。誰か。
ほら。真後ろまで来ているだろ。
「なぁ」
思わず後ろを振り向いた。
何もいない。
自分だけしかいなかった。
コップの中に入った氷だけが、解けて音をたてる。
先ほどのサイレンといい、今の幻聴にいい、今日は何なのだろうか。
たしか厄日ではないはずだ。まぁ、いつが厄日かなんて知らないけれども。
「あ」
うつつを抜かしてる間に麺が伸びてしまっていた。
「おいしくないんよなぁ。伸びた麺…」
だが食べないわけにはいかないので、無理やりすすると絶妙な触感が残った。
本当に今日は何なのだろうか。
「…まず」
そう言い、顔をしかめつつ食べ進める。
しばらくしてカップ麺をすすり終わり、大きく息を吐き出す。
捨てに行くのは面倒くさいので、あらかじめ置いておいたゴミ袋にカップを捨てた。
スープまで飲んだので問題ない。
今日は外に出る予定だったのだが、ちょっと休憩してから行くことにしよう。
なんなら1回寝たっていい。
どうせ今日も明日も暇なのだから。
「出かけなくてええんか?」
斜め後ろから声。
慌てて振り返るが誰もいない。
自分だけだ。
まただ。
また。
この声。
なんとなく聞き覚えがあるような気がする。
だがずっとピントが合わないようなそんな感じがして誰かわからない。
先ほどのは「なぁ」だけだったため、聞き間違いかと思いたかったが流石にこれは無理だろう。
ついに幻聴なんか聞こえ始めてしまったのか。まだ全然正気を保てていると思っていたのに。
まぁ良い。無視だ。無視。
きっとヤニ不足によるストレスが原因だろう。そういえば暫く吸っていなかったし。
そうだ。ヤニ不足のせいに決まっている。
そう一人で納得し、雑に置かれた煙草の箱を手に取る。
すると、手に取った時の感覚がやけに軽い。
試しに振ってみると、重い塊がすれるような音ではなく、カサリと軽い音しかならなかった。
かなり嫌な予感がし、箱を開けると1本だけ手のひらに転がってくる。
もしかしたら、もしかしたら箱の底にタバコの群れが奇跡的に隠れているかもしれないという一縷の望みをかけ、中途半端にめくられたインフォールを限界まで広げ中を覗き込んだ。
だがそこにあったのは真っ白で空っぽの虚ろな空間だけだった。
「うげえぇ……まじかよ…」
ないのは困る。
だが手持ちはこの1箱しかない。
つまり取りに行かなければいけないのだ。
正直タバコなんて別になくても生きてはいけるが、今の自分には必要なのだ。
『出かけなくてええんか』という言葉が、今初めて現実味を帯びて纏わりついてきた感じがした。
こうなってはしょうがないと、手のひらに転がっている煙草を、今すぐ吸いたいのを抑えそっと箱にもどす。
そして雑に置かれたリュックサックを肩に掛け、静かに部屋のドアを開けた。
――――――――――――――――
「だっからまじでなんでこんな遠い構造やねんって…」
部屋から出て体感で約数分。いまだ外に出られない現状に不満を募らせていた。
普段はさほど気にならないのだが、今日に限って異常に腹が立つ。
やはりヤニ不足でストレスがたまっているのかもしれない。
ようやく外に出たころには、肩で息をするレベルになっていた。
遠いというのはもちろんあるが、それよりも自分の体力の低下に驚いた。
さすがに数分歩いただけでここまでになるとはだれも思わないだろう。俺も思わない。
「きっつ」
そう漏らしたが、たかが500mほどしか歩いていない。
人間なにもしないとこうなってしまうのか。
一人でうなだれつつ、白い息を吐き、歩き出す。
冬の街は、人間以外の生物がほぼいないのも相まってより一層寂しく感じた。
「まずはタバコ…」
煙草が置いてあるところと言ったら、まぁまず煙草屋が思いつくが現代にはほぼない。
次にコンビニが思いつくが、生憎コンビニよりデパ地下のほうが近い。デパ地下にも恐らく煙草は置いていたはずだ。
あぁ早く吸いたい。今回はいつもより多めに回収しておこう――そんなことを考えつつ足を進める。
街角には永遠に静止命令を出すだけの凍り付いた赤色が瞬いている。
それ以外はぱっと見はそこまで荒れてもなく、とても人がいないとは思えない。
ただ、確かな静けさと孤独が自分と街を包んでいて、なんともいえぬグロテスクさがあった。
無音。何も聞こえない。ただただ無音。自分の足音だけがコンクリートを這って追いかけてくる。
世界が死んだから、音も一緒に死んでしまったのだろうか。
道路沿いの店のショーウィンドウに自分の姿が映っている。
ふと、自分と目が合った。自分の姿しか見えなかった。いつもの自分だ。
暫く一人で淡々と歩いているとデパ地下が見えてきた。
大々的に飾られている垂れ幕には『サマーセール実施中!』の文字。
長い間外に晒されていたせいで全体的に薄黒く汚れていたが、それでも鮮やかに描かれていたであろう向日葵や入道雲が嘲笑するようにこちらを見ていた。
「こんなクソ寒い中サマーセールとか…」
枯れ果てた世の中とは不釣り合いな夏の明るさに無性に腹が立つ。
それと同時に、122日前のまま凍り付いてしまった世界に自分だけ取り残されてしまっているような底知れぬ恐怖を感じた。
明るい警告色に出迎えられつつ店内に入ると、それらはより一層濃く残っていた。
いたるところに消費期限切れの夏が取り残されている。
かつては食欲をそそっていたであろう惣菜の残骸たちが、今や吐き気を催すようなゴミになり果ててしまっている。
店内に立ち込める腐敗臭。
「気持ちわる…」
自分の独り言さえ、埃をかぶった夏の空気に吸い込まれていく。
食べ物だけじゃなく、この店内にあるかつての日常が腐りきって異臭を放っているような気がした。
こんなとこ、さっさと用済ませてさっさと帰ろう――そう思いながら、スマホのライトをつけ、燃費の悪い足取りでサービスカウンターまで歩いていく。
サービスカウンターならおそらく煙草くらいあるだろう。行ったことないのでわからないが。
買い物好きはかつてのこの空間を楽しめたのだろうが、自分にはただの迷路にしか見えない。
暫く同じところをぐるぐると歩き回った後、ようやくサービスカウンターにたどり着いた。
「やっと着いた…」
荒く息を吐きながらカウンターの裏側に回ると、客には見えないような位置に開封済みの煙草の箱が転がっていた。
中には数本煙草が入っているようで、122日前の人間の痕跡を強く感じさせた。
「こんな放置されてんの、さすがに湿気って吸えんよな」
小さくつぶやき、スマホのライトを背後に向ける。
そこには未開封の煙草が我を主張するように棚に並べられていた。
「あー……あった」
目的の銘柄を手に取り、勝ち誇ったように息をつく。
後は帰るだけだ。
そう思い、追加で数箱リュックに入れる。その瞬間ふと、視界の端に何かが揺れたような気がした。
別に普段なら特に気にしないのだが、今回は何か違う気がした。
薄暗い店内にライトを向ける。そうして見えたのは――
「……人…?」
122日前から一度も揺らがなかった絶望が、音を立てて崩れる。
見間違いだ。いや、見間違いであってほしかった。
そんな。だって人間は自分以外いないはずなんだ。
いるわけがない。いるわけがないのに。
「だれ…か、おるん……?」
その声は喜びというよりもはや恐怖に近かった。
待ちわびた、122日間ずっと願っていた人間との遭遇が恐ろしくてたまらなかった。
影はまるで重力などないかのように、無機質な階段の闇へと滑り込んでいった。
「あ、ま、まっ…て」
確かめるのが怖い。でもこのまま帰って一生この人影にとらわれ続けるのも嫌だ。
風が吹き抜ける音を皮切りに、切り忘れられた電気と命を横目に息も忘れて走り出した。
肺が引きちぎれるような苦しさも、むせかえるような腐敗臭も、どうしようもできない過去も、逃げ出したい現実も、全部忘れて階段を駆け上がる。
今までの足取りの重さが嘘のように感じられた。
踊り場を勢いに任せて曲がるタイミングで、リュックの肩ひもが肩から腕に滑り落ちる。
その拍子に、中に入っていた煙草が落ちたのか、背後で軽い音が響いた。
だけど気にならなかった。気づきすらしなかった。それどころじゃなかった。
本当に上に行けばいるのだろうか。途中で別の階層に出たのではないか、そんな雑念を振り払いただ足を動かした。
やっと屋上の扉の前までたどり着き、荒い息を整えながら鍵のかかっていない重い扉を開ける。
広がった世界の眩しさに、思わず腕で目を覆う。
網膜に映ったのは、どこまでも高く、一点の曇りもない澄み切った青空。
風が吹くたび、火照った体から熱を奪っていく。必死に吸い込んだ空気は、肺を凍らせるように冷たく鋭い。
吐き出した息が冬の窓のように、視界を遮る。焼けつくような視界を瞬かせると、結露越しの街にその背中を見た。
鋭い逆光を背負い、くすんだ青色の髪が透き通るように揺れる。
ゆらりと振り返ったあいつと目が合う。その青い目は驚くでも、喜ぶでもなくただ俺を見ていた。
青い青い青い蒼い目が俺を見ていた。
「なん、で…」
俺が見た影は、122日前に俺の前から消えた、紛れもないあいつだった。
思考が停止する。
問いかけたいことはたくさんあったはずなのに、何故か言葉がひっかかって出てこない。
気づけば自分の意思と背景を置き去りにして、引き寄せられるように駈けていた。
手を伸ばせば、その肩に触れられる。
あと数センチ。指先が光る輪郭を捉えようとした、その刹那―――視界が不自然に落ちた。
踏み込んだはずの虚無が音もなく消える。
瞬き一つ。次に目を開けた時には、もうあいつはいなかった。青空の底へと引き下ろされる俺をあざ笑うように澄み渡った空に溶けた。
急速に背景がエンドロールのように上へと流れていく。
「ぁ、……はは…」
なんて空虚な人生なのだろう。
122日間も意味もなく生に縋った挙句、幻覚に踊らされて一人寂しく落下死だなんて。
やはり俺の人生の終わりは、SFや漫画のように派手な奇跡じゃなく、ただの非日常の延長で終わっていくのだ。
――さよならくそったれな世界。
視界に広がる青色が、スノードームのように儚く散った。
あぁ、本当に、
「最後に見た空が、きれいでよかった…」
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