テラーノベル
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ただひたすらに歩いていた。
タクシーを捕まえたいのに、流しのタクシーは全然走っていないし、ここはタクシーアプリを使った方がいいのだろうか。そう思って近くにあったコンビニの駐車場へ行き、アプリを立ち上げた。
本当ならこのまま家に帰って、引きこもってしまいたい。
それでも忙しい阿部ちゃんと久しぶりに時間があったから、急にキャンセルをしてしまうのは申し訳なくて。阿部ちゃんは人の感情に敏感だから、俺に何かあったって分かっちゃうかもしれないけれど、無理には聞こうとしないだろう、とっても優しい人。
きっと気を使わせてしまうよね。
すぐに理由を話せるほど気丈じゃないけれど、いつかきっと笑って話せると思うから。
それまでごめんね、阿部ちゃん。
帰ってきてからの若井の表情は沈んでいて、何か思い詰めているように思えた。仕事のことで悩みでもあるのかなと思いながらも、俺はいつも通りの態度に努めるしかなくて。
努力家でもともと何でも器用にこなす方ではあるけれど、若井は感情を溜め込むから、いつも密かに心配していたんだよ。
でもやっぱり若井の様子がおかしくて、ソファーに座っていた若井の前に膝を落として顔を覗き込んだ。仕事中以外でじっくりと、若井と視線を交わすことは久しぶりだったから、心配しながらもちょっとは嬉しかったんだけどなぁ…。
様子がおかしかったのは、俺に別れ話をしようとしていたからなんだね。
言われるまで気付かなかった自分は、なんて鈍感なんだろうと思ってしまう。
今日、若井の家に行かなければよかった。ちゃんとご飯食べられてるのかなとか、洗濯物を溜め込んだりしていないかなとか、そんな心配なんてしなければよかった。
そしたら別れ話なんて聞かずにすんだのに。
でもそれは単に先延ばしになっただけで、近いうちに別れようって切り出されていたはずだ。
最近は恋人として一緒に過ごす時間もなかったし、セックスだって全然していなかった。一人の夜がどうしても寂しくて、火照った体をなぐさめるときには、いつだって俺をとろけさせてくれる若井のことだけを考えていた。
元貴ほどじゃないにしても、最近は若井だってソロの仕事を何本も抱えているから、そうした中での付き合いやプライベートの時間を邪魔したくはなかった。だから会いたいという言葉は、いつだって呑み込んでいた。ちょっと前までは、頻繁に連絡を取り合っていたのが噓のようだね。
俺の髪を触ってくる、若井のちょっとごつごつした手が好きだったなぁ。
セックスでがっついた後、涼ちゃんほんとごめん!って、俺の機嫌を取るように頭を撫でてくれるのも好きだったなぁ。
あの時泣けなかったのは、この恋の結末が分かっていたからだ。
若井はすぐに、他の人と付き合うのだろうか。
男と付き合うのはもう俺で懲りただろうから、次はきっと女性と付き合うだろう。柔らかで抱き心地がよく、子供を宿すことができる、可愛くて守ってあげたくなるような女性と。
俺はどうやったって、女性には勝てないから。
若井はすごくモテるから、女性からのアピールだって後を絶たないだろう。
今のメイクさんについている新しいアシスタントの女の子は、若井に恋をしている瞳を隠そうともしていない。若井は全然気づいていないけれど、若井を好きな俺にはすぐに分かった。
以前共演した時に、アイドルグループの女の子から手作りのお菓子をもらっていたこともある。あの時は俺に気を使って、後でマネージャーへとあげていたけれど、もし今度そんなことがあったら、それがきっかけで付き合ったりするのだろうか。彼女は、カッコいい若井の隣に並ぶにふさわしい容姿を持っている。
いくら俺が中性的なメイクや衣装を身に着けても、女性に敵うことなんて決してないのだから。
大丈夫。
今まで以上に仕事に専念していれば、いつか時間が俺の気持ちを追い越してくれるだろうから。
絶対に泣かない。
泣いたと分かる顔を、明日若井に見せるのは卑怯だから。
若井と付き合えた日から、密かに自分へと誓っていたことだから。
後腐れもなく、ちゃんと物わかりのいい奴を演じてみせるからね。
だから若井は何も気にしなくていいよ。
付き合う前の、単なるメンバーとして接してくれるだけで十分だから。
でも、ほんのちょっとだけでもいいから、付き合っていたことを覚えておいてほしいと願うのは、俺のわがままなのかな…。
気を抜いたら涙が溢れてきそうになり、俺は空へと顔を向けて歯を食いしばった。
コメント
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読ませていただきました……。涼ちゃんの「絶対に泣かない」って気持ち、すごく伝わってきました。別れをわかってたからこそ泣けなかった、っていう一行が胸に刺さりました。それでも「覚えておいてほしい」って願う最後の切なさが、とても人間らしくて。若井さんのごつごつした手の感触とか、♡♡♡後の謝る癖とか、細かい記憶が蘇るほどに読者の感情も引きずられました。次が気になります……!
いちご飴
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