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結局一睡もできずに朝を迎え、仕事へと向かう足取りは重たかった。
付き合った時には同じメンバーでよかったと思っていたのに、別れた途端にそれが足枷にもなる。昨日の今日で顔を見なければならないなんて、気まずいとしか思えなかった。
控え室のドアの前に立ち、耳を近づけて中の様子を伺う。
微かに元貴の声は聞こえてくるけど、涼ちゃんはまだ来ていないのだろうか。いつもは涼ちゃんが、一番先に仕事入りをすることが多いのに。
「若井、そこで何してんの?俺、入れないんだけど~」
背後からの声に、咄嗟に振り向いた。
視線が合っている涼ちゃんの表情は、いつも通り全く変わりがない。目が腫れているわけでもないし、縁だって赤くはないっていない。泣いた形跡はどこにも見当たらず、ふんわりとした笑顔を浮かべていた。
「あ、ごめん…」
謝りながらドアの前から体を退けると、その横を通り抜けて、涼ちゃんは挨拶をしながら部屋へと入っていく。いつまでもここに立ち尽くしているわけにもいかず、俺も涼ちゃんの後に続いた。
涼ちゃんが一番奥のメイク用の鏡の前へと腰をおろすと、メイクさんが笑顔で話しかけにいく。何となく距離を取りたくて、ドアに近いソファーへと座っている元貴の横へと腰かけた。
スタッフと打ち合わせをしていない元貴は珍しい。
見ていたスマホから視線を外し、元貴は隣に座った俺へと挨拶をする。
「若井、おはよ」
「あ、うん、おはよ…。なあ、元貴……昨日、涼ちゃんからなんか、聞いた…?」
小声で元貴へと聞いてみる。普段から仲のいい元貴には、涼ちゃんはもう告げてしまったのかもしれないと思ったからだ。俺のそんな言葉を聞いて、元貴は一瞬だけきょとんとした。
「なにかって、なによ?」
同じように、小声で聞き返してくる。
「…いや、何も聞いてなかったら、別にいい」
「え、またケンカしたの?今度は何が原因?どうせまた、しょうもないことなんだろうけどさ~」
「……そんなんじゃ、ないし」
足元に視線を落としながらに言う。
今まで涼ちゃんとくだらないケンカをしたときは、『もう、お前らほんと、どんだけくだらないの?』と笑いながら、仲を取り持ってくれていたのは元貴なのだ。だから今回もきっとそう思っているのだろう。
でも今回はケンカなんてそんな生易しいものではなく、自分たちは昨日、恋人という関係を解消してしまったのだ。
するとメイクを終えた涼ちゃんがこちらへと歩いてきた。何となくばつが悪くて、知らずに体が強張ってしまう。
「あ、涼ちゃん終わった?うん、今日も綺麗にメイクしてもらったね。似合ってるよ」
目の前に立った涼ちゃんへと笑みを浮かべ、元貴はいつものように素直な感想を口にした。以前は俺も元貴に負けず、着飾られた涼ちゃんへと可愛いだとか綺麗だとか、そんな言葉を惜しみなく言っていたのに。
「え、ほんと?ありがと、うれしい。あ、そうだ。元貴に話しておかなきゃいけないことがあって」
涼ちゃんは周囲を見渡して、自分たちの周りにスタッフたちがいないことを確認する。
今から何を言おうとしているのか分かっている俺は、思わず息を詰めて身動きすらできなかった。
「ん?どした?」
「昨日さ、俺ら、別れたから」
付き合った時には俺が元貴へと交際宣言をしたけれど、今度は涼ちゃんが破局宣言をするだなんて、元貴は想像もしていなかっただろう。涼ちゃんのそんな言葉を聞いて、さすがの元貴も驚きを隠せないようだった。目を見開いて涼ちゃんを見上げている。
「…そっか。ちょっと、びっくりしたけど。でもちゃんと二人で決めたこと、なんだよね?」
「うん、ちゃんと円満に別れたから大丈夫。ね、若井?」
「……うん」
「ほら、ね?元貴にはちゃんと言っておいた方がいいかなって思って。でも仕事上は今までと何も変わらないから、変な気は使わないでね」
いつもと変わらない口調の涼ちゃんの顔を見ることはできなかった。
りー
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1,327
269
忠義子
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「涼ちゃん、ちょっといい~?今日の衣装のことなんだけど~」
「あ、は~い。今行きます」
衣装さんに呼ばれた涼ちゃんはそちらへと向かう。
残された俺たちに会話はなかった。元貴は何も聞いては来なかったし、タブレットで何かの作業を始めている。それでも時折感じる、真意を測るかのような元貴の視線に耐え切れなくて、俺は目を瞑って思考ごとシャットアウトした。
あれから一週間が経ったけれど、何も変わらない日常だった。
涼ちゃんが気まずそうに俺を避けることもなく、物を渡すときに触れあった指先に驚いて、咄嗟に手を引っ込めるわけでもない。まるで何もなかったかのように、涼ちゃんの態度は一切変わることがなかった。
けれど俺は自分でも理解できない苛立ちと、何かが胸につかえている感覚にずっと襲われていた。
雑誌の個人インタビューが終わって控え室に戻ると、室内には元貴だけが残っていた。一番最初にインタビューを受けていた涼ちゃんはすでに帰っているし、自分が最後だったので、もう誰もいないと思っていたのに。いつだって忙しい元貴が、自分の順番が終わっても残っているのは珍しい。
「元貴、まだ帰んないのか?」
テーブルの上に置いていた鞄からスマホを取り出しながら、ソファーに座っている元貴へと声をかけた。
「ん~、帰るけど。でもその前に、ちょっと若井と話をしたかったから」
ああ、やっぱりそうだよな。
スマホをテーブルへと置いて、俺は元貴へと向き合った。
きっと今から責められるのだろう。
元貴が自分の座っている横をポンポンと叩いたので、気まずいながらもそれに従った。
「ねぇ、なんで涼ちゃんと別れちゃったの?たぶん若井から、だよね…?」
二人しか居ない空間に、遠慮のない元貴の声が響く。
一週間、俺に何も聞いてこなかった元貴は、涼ちゃんにも何も聞かなかったのか。俺が一方的に別れを告げたことは、涼ちゃん、元貴にも言っていなかったんだ。
「それは……色々あんだよ。長く付き合ってたんだし」
「…まあ、そうだよね。それでなくても男同士なんだし、二人にしか分かんない苦しいことだって、きっとたくさんあったはずだもんね」
「………」
元貴の言葉に、何も返せなかった。付き合ったことを報告した時、絶対に涼ちゃんと幸せになってよねと、こっそりと耳打ちしてきた元貴へと申し訳なさすら浮かんでくる。
すると知らずに嚙みしめていた唇へと、元貴の指先が当たった。
「ダメだって。唇、切れちゃうよ」
「………」
優しく咎められて、フイっと視線を外す。
「ねぇ、前に三人でドイツに行ったじゃん?」
何の脈絡もなく、元貴は以前番組の収録で訪れた異国の地のことを口にした。
そうだ、あの時は三人で、クリスマスパーティーをした戸建ての別荘に泊まったのだ。スタッフたちは近くのホテルに泊まっていて、三人だけで楽しい時間を過ごせたことを思い出す。
あの時は、こうやって涼ちゃんと別れる日が来るなんて考えてもいなかったのに。
「あの時さぁ、若井は酔っぱらって先に部屋に戻って寝ちゃったけど、俺と涼ちゃんはもう少しだけ飲んでたのね。その時に『涼ちゃん今、しあわせ?これからも若井とずっと一緒にいるの?』って、聞いたんだよね。まあ、何となく、興味本位でなんだけど。そしたら涼ちゃん、それまで酔っぱらってとろんとしてたのに、急に真剣な顔して言ったのよ」
そう言うと元貴は、その時のやり取りを教えてくれた。
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