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研究所が独裁国家に成り果ててから、カリーナは何度もストロンの部屋を尋ねていた。
「ねぇ、あなた。お願い、話を聞いて!」
しかし、ストロンは彼女の方を振り返ることすらしない。
「何度も言っただろう。カルシアを救うには、研究を続けるしかないのだと」
そう言って、キーボードをカタカタと鳴らすばかりである。
「私は、そういう話がしたいんじゃないの!お願いだから聞いてちょうだい!」
カリーナは、 夫の肩を強引に掴み、無理矢理作業を中断させた。
「…何だ?」
振り返ったストロンは、明らかに苛立っていた。眉間に皺を寄せ、睨むようにしてカリーナを見つめる。
しかし、彼女はそれに屈することなく、切実な瞳で言った。
「…一度、カルシアに会いに行って。あなた、実験ばかりでしばらくあの子の顔を見ていないでしょう?」
だが、ストロンはそれすらも軽くあしらい、再びパソコンの画面に向き直る。
「何度も言っているだろう。時間が無いのだ。一刻も早く研究を完成させなければ、カルシアは…」
「いい加減にして!カルシアのためと言うなら、こんな研究やめてちょうだい!人体実験なんてして、多くの無関係な子を犠牲にして、あの子が喜ぶと思っているの!?」
普段穏やかな妻に見たこともない剣幕で言葉を遮られ、ストロンは一瞬息を呑んだ。しかし、追い詰められた彼は、感情的になって言い返す。
「うるさい!あの子の病気を治すためにはこれしかないのだ!お前は、あの子の病気が治らなくても良いと言うのか!?死んでいいと言うのか!? 」
「…あなたって、最後はいつもそう言うわよね。どうしてそんな捉え方しか出来ないの?…私はただ、もっとカルシアに寄り添ってあげてほしいだけなのに…!あの子のためと言って、犠牲を出し続けることを、やめてほしいだけなのに…!今のあなたは、カルシアを免罪符にして研究に縋っているだけじゃない !」
その言葉に、ストロンは絶望した。
彼には、カリーナの制止がカルシアの命を諦めろと言っているようにしか聞こえていなかったからである。
カルシアのためを思って研究を続けていると言うのに、何故それを分かってくれないのだろうか。カルシアに寄り添っているからこそ、何とかして生き長らえさせてやりたいと思うのではないか。
「…新たに家族を築いて行こうと言ってくれたお前は、どこに行ってしまったのだ」
ストロンは震える声でそう呟き、妻に背を向ける。
その態度に、カリーナは呆れたような悲嘆しているような溜め息ついた。
「……どこにも行っていないわよ。変わったのは、あなたじゃない」
とだけ言い残して、彼女は所長室を後にした。
カリーナが出ていくと、部屋は静寂に包まれた。
幸せだった記憶が、かつては理解者であったはずの最愛の人に理解してもらえない孤独が、唯一の希望を失う恐怖が、次々に襲いかかる。
(何故だ…何故分かってくれないのだ…!お前と、カルシアと、共に新しい家族を作って行きたいからこそ、私は…!)
机に散乱した資料の文字が滲み、 冷め切ったコーヒーに波紋が広がって行く。
その日の夜は、ひどく長かった。
* * *
カリーナは、来る日も来る日も、足繁く所長室に通い続けた。
「あなた。今日の夜、話せない?」
「…お前と話すことなどない。私はこの研究をやめる気はないからな」
ストロンは、相変わらず見向きもしない。
ただ、新たに開発した薬の成分表と、被験者の経過観察記録と照らし合わせ、眉間に皺を寄せているばかりであった。
それでも、カリーナは諦めず、落ち着きを払って言った。
「私は、あなたに研究をやめろとは言わないわ。ただ、一度落ち着いて、これが本当にカルシアのためになるかどうか、考えてほしいだけなの 」
「…カルシアのためになるかどうか考えろ、と?」
ストロンの眉がぴくりと動く。
「結局は遠回しにカルシアのためにならないから研究をやめろと言っているではないか」
「違う!私は─」
「違わない!私は研究をやめるつもりなどないと、何度も言っているではないか!」
「最後まで聞いてちょうだい!」
「お前の言い分は先ほど聞いただろう!」
売り言葉に買い言葉で、話し合いは平行線になるばかりであった。
カリーナは我慢出来なくなり、ついに声をあげた。
「そこまで言うのなら 聞くけれど…あの子が一度でも、この研究を続けてほしいと言ったの!?最後にあの子に会ったのがいつだったか、覚えている!?あなたは、あの子を失うかもしれない現実から逃げ続けているだけでしょう!」
「黙れ!!」
ストロンの怒声と共に、武骨な拳がカリーナの頬を掠めた。
二人とも、一瞬何が起こったか理解出来ず、部屋は沈黙に包まれた。
頬を抑えながら床に倒れ込むカリーナの姿を見て、ストロンは我に返った。
自分は今、最愛の人に手を上げてしまったのだと言う事実が、目に焼き付く。
「カリーナ…」
焦って妻の名を口にするも、既に彼女の心は離れてしまっていた。
「…ごめんなさい。私が悪かったわ。今のあなたには、何を話しても意味がないようね」
そう言い残して、カリーナは所長室を去って行った。
一人残されたストロンは、声も上げずに涙を溢した。
何故、自分ばかりが失わなければならないのか。
両親を亡くし、憎き妹にも先立たれ、娘にも先立たれそうになり、妻にも理解されず、見離され。
(私だって…こんなことをしなくて済むのなら、そうであってほしかった…!)
声にならない声を噛みしめ、息を殺して泣き続けた。
コメント
1件
うわあ…この夫婦のすれ違い、ほんと胸が痛いわ。 ストロンは確かにカルシアを救いたい一心なんだろうけど、研究に没頭しすぎてカリーナの「もっと寄り添って」っていう声がもう届いてないんだよな…。 「変わったのは、あなたじゃない」って台詞、めっちゃ刺さった。お互いが正義でやってるからこそ、余計にやりきれない。この後どうなるんだろう…続きが気になる。