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私を騙してばかりいたミドリが一番先に連絡をくれたなんて、複雑な気分だ。
母と蓮は、今頃どうしているのだろう。
当然、雪香の帰宅を知ってるはずなのに何の連を絡もくれないなんて……。
雪香が戻った今、私のことなんて構っている暇は無いのだろうか。
寂しさを感じるけれど、予想はしていたことだ。
気持ちを切り替え、新しい仕事への期待を膨らませた。
派遣会社に次回の更新はしないと意思を告げた。
新しい会社の入社日は、派遣契約が終わった二週間後となっている。
経済的にも間をおかずに働きたかったけれど、相手の都合も有るから仕方ない。
思いがけずに空いた時間を、有効に使おうと考えて、かねてから考えていた引っ越しについて情報収集を始めた。
そうやって忙しく動いていると、蓮や母から何の連絡も無い事も気にしないで済んだ。
散々巻き込まれたのに、今になって蚊帳の外にされている状況に怒りを感じる時も有ったけれど、自分から連絡をとる気は起きなかった。
あと数日で派遣契約が終了する。
後任者への引き継ぎも大方済み、仕事中に手が空くことも多くなっていた。
当然、残業もなく定時で会社を出て、真っ直ぐアパートに帰る日々が続いていた。
アパートに近付くにつれ、外階段の前に人影がうっすらと見えた。
暗がりではっきりは見えないけど、誰だろう。
足を止めた私に、その人物は足早に近付いて来た。
「沙雪」
「え……蓮?」
聞き慣れた声に、私は体から力を抜く。
「急にどうしたの?」
そう言い終えた瞬間、蓮の後ろに誰かがいると気が付いた。
細い女性の影だ。まさか……。
私は信じられない思いで、蓮を見た。彼はバツが悪そうな表情をしながら、私に近付いてくる。
「沙雪、急に悪い。実は雪香がどうしても……」
「何のつもり?!」
私は蓮の言葉を強い口調で遮ぎった。非難を込めた声に蓮が顔を強張らせる。
「急に来て悪いと思った、でも雪香がどうしても沙雪と話したいって言い出して……」
「だから連れて来た訳? 私の迷惑も考えずに!」
怒りが抑えられずに、蓮をキツく睨みつけた。
私が雪香に対してどんな感情を持っているか、蓮はよく知っているはずだ。
それなのに、私の気持ちは少しも考慮しないで雪香の要求ばかり叶えようとする蓮が憎かった。それに、今更私の前に顔を出せる雪香の神経も疑った。
「沙雪、話を聞いてくれ」
蓮が、いつもでは有り得ない位頼りない声で言う。
「無理、今すぐ雪香を連れて帰って!」
考える事なく私が即答すると、雪香が蓮の隣に進み出た。
私の怒りに気付いているからか、それ以上は近付いて来ない。アパートの頼りない灯りでは顔がよく見えなかった。
「沙雪」
ヒステリックな私の声とは違う、艶やかな声がした。
「雪香……よく顔を出せたね」
攻撃的な私の態度に、雪香が動揺したのが見て取れた。同時に非難の籠った蓮の声がする。
「沙雪!」
やっと戻って来た雪香を心配もせずに怒りだけをぶつける私が、不快なんだろう。
雪香は文句を言い出しそうな蓮を宥め、再び私に話しかける。
「沙雪が怒ってるのは分かってる。でもどうしても聞いて欲しいことが有るの」
「何も聞きたくないから帰って。はっきり言うけど迷惑かけられ過ぎてうんざりしてるの。これ以上私を巻き込まないで」
冷たく言い放ち立ち去ろうとした私を、雪香が手を伸ばして止める。
「待って! 沙雪……私謝りたいの。たくさん迷惑かけてしまったし、直樹のことも」
「……直樹?……今更」
私は薄く笑い、冷めた目で雪香を見た。
今更何を言い出すのか。これまで一度も謝罪しなかったくせに。
それに雪香から直樹に近付いたのも、私を嫌っていたのも知っている。しおらしくされても、一切信用出来ない。
「確かに今更だけど……私知らなかったの。直樹の件で沙雪が深く傷ついていたなんて。だって沙雪は少しも態度に出さなかったから」
苦しそうな雪香の言葉が耳に届いた瞬間、私は怒りで苦しくなった。
蓮が雪香に、私の心情を話したんだと気付いたから。それはとても屈辱的なことだった。
よりによって雪香に知られてしまうなんて。
蓮の無神経さが信じられない。少しずつ積み重ねていた蓮への信頼が、あっけなく崩れ落ちて行く。
私はどうして蓮を信用してしまったのだろう。初めから、雪香を最優先する人だと知っていたはずなのに……。
心が冷え切っていくのを感じながら、二人を見据えた。
「今日を最後に、二度と私に関わらないと約束するなら話を聞く。偶然会っても声をかけないと約束して……雪香も蓮も二人とも」
「お前、何言ってるんだ?!」
蓮が驚いたように声を荒げる。
雪香は消え入りそうな声で同意した。
「……約束する」
私は蓮と雪香を部屋に招いた。
話の内容を考えると、人の大勢いるファミレスって訳にもいかない。
かといって、蓮のテリトリーであるリーベルに行く気にもなれなかった。
自分の部屋にふたりを入れるのは気が進まないけど他に選択肢はない。
「その辺に座って」
雪香と蓮に告げると、私はキッチンでお茶の用意をした。
二人に気遣いなどするつもりは無いけれど、自分自身冷静になる為に間を開けたかったから。時間をかけてお茶を入れると、それをトレーに乗せて居間に運んだ。
二人は物珍しそうに、大して広くない部屋を見回していた。
駅から遠く不便な立地の為、一人暮らしのアパートにしては広く、ベッドの置いてあるスペースは仕切りで目隠ししている。それでも観察されるのは気分が良くない。
私は不満を吐き出すように息を吐くと、テーブルに適当にお茶を置き二人の前に座った。
「それで話って?」
余計な話は受け付けないという気持ちを表すように、固い声を出す。
「あ……さっきも言ったけど沙雪に謝りたくて」
躊躇いながら言う雪香を、私はじっと観察した。
最後に会ったときと比べると、やつれたように見える。艶やかだった髪も毛先が痛んでくすんでいた。
失踪していた間、楽な暮らしをしていた訳では無いと見てとれる。かといって態度を和らげる気は無いけれど。
「謝るって、何を? 心当たりが多すぎてどの件を言ってるのか分からないけど」
わざと嫌みな言い方をする。雪香は傷付いたような顔をした。
「沙雪、雪香は……」
「蓮は口を出さないで! 雪香の謝罪を聞くだけの約束でしょ?」
雪香のフォローをしようとする蓮を、キツい声で遮った。
私は蓮に対して、再び心を閉ざしていた。
彼は何か言いたそうに顔を歪めながらも黙る。代わりに雪香が口を開いた。
「まずは直樹の件……私は間違っていた。本当に後悔してるの……だから直樹とは婚約解消したの」
雪香は今日一番明るい表情で言う。
まさか、私が喜ぶとでも思っているのだろうか。そうだとしたら信じられないくらい無神経だ。
「知ってる。直樹に聞いたから」
そう言った途端、雪香は顔を曇らせた。
「え……直樹に会ったの?」
「雪香が帰って来る大分前にね。直樹はその時既に婚約解消するって言ってた」
こんなに詳細に言う必要はない。だけど、雪香と蓮に対する苛立ちが、私を意地悪くしていた。
「婚約解消なんて私には関係がないし、謝らなくていい。今更遅すぎるし、もうどうでもいいから。話は終わり?」
冷たすぎる口調で切り捨てる。
「……後は沙雪の名前を勝手に使ったこととか……ごめんなさい」
雪香は青ざめた顔で、伏し目になりながら懺悔する。
「なんで私の名前使ったの?」
私は、軽蔑の目を雪香に向けた。
「……素性を知られたくなくて……遊んでるとお義父さんに知られたくなかったの」
「本当に? 実際は違う目的じゃないの?」
「え? どういう意味?」
雪香は困惑して聞き返して来る。視界の端に蓮の怪訝そうな顔が映った。
「雪香は前から私を嫌ってたそうね。ということは、 全て私に対する嫌がらせだったんじゃないの? 直樹にも雪香から近付いたそうだけど、それも私への攻撃だったんじゃない?」
「違う! 私そんなつもりじゃ……」
「違わないでしょ? 雪香が私についてどう言っていたか、直樹に聞いたわ」
「そ、それは……」
雪香は辛そうに顔を歪める。
「沙雪、佐伯直樹の言葉なんて信じるな!」
それまで黙っていた蓮が、たまりかねたように叫んだ。
「別に信じてないけど、雪香はもっと信用出来ない。蓮もね」
「……!」
蓮は驚愕したように息をのんだ。信じられないといった表情で私を見てる。
その視線に耐えられずに目を逸らした。
「……確かに直樹に沙雪についての文句を言った……でもそれは嫌いとかじゃなく、ただ妬んでの事だったの」
「なにそれ、嘘でしょ?」
雪香が私を妬むなんて、考えられない。
雪香が私の何を羨むというのだろう。私が持っていて雪香が持っていないものなんて無いのに……。
「私……子供の頃から義父の厳しい管理下にあった。いろいろと制限されて息苦しくて気がおかしくなりそうだった」
その話は以前蓮から聞いていた。
雪香の自由の無い暮らし。聞いた時は雪香を気の毒に思った。
でも今は、雪香に同情する気持ちより苛立ちの方が勝っている。
「私、自由な沙雪が羨ましかった。自立して何でも自分で決めて行動していて……すごいなと思ってたし、そんな環境にいる沙雪が妬ましかった」
「……私の環境が妬ましい?」
雪香の言葉に思わず笑いを漏らしてしまった。
確かに私は自由だけど、それは私には誰もいないし、何も無いからだ。