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yukino
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夏は、嫌いじゃなかった。
本当なら、好きだった。
青すぎる空も、うるさいくらい鳴く蝉も、夜になっても残る熱も。
全部、青春って呼ばれるものだと思っていた。
でも、あの夏を境に、俺にとって夏は少しだけ苦しい季節になった。
思い出してしまうから。
あの日のことも。
柔太朗のことも。
柔太朗は、いつも笑っていた。
周りにいる人が安心するような笑い方。
誰かが落ち込んでいたらすぐ気づくくせに、自分のことになると何も言わない。
「 勇ちゃんってさ 」
ある日の帰り道、柔ちゃんは隣を歩きながら言った。
「 考えすぎなんだよね 」
「 急に何? 」
「 いや、顔に出てる 」
そう言って笑う。
俺はその笑顔を見るたびに思っていた。
この人は、優しすぎる。
優しい人ほど、限界まで我慢する。
そのことを、俺は知っていた。
最初に違和感を覚えたのは、夏が始まった頃だった。
いつもならくだらないことで笑う時間が減った。
スマホを見る時間が増えた。
「 大丈夫 」
そう言う回数が増えた。
でも、その言葉を聞くたびに思った。
大丈夫な人は、そんな顔をしない。
「 柔太朗 」
呼び止めた夜。
柔太朗は振り返って、いつもの顔を作った。
「 ん? 」
「 何かあった? 」
少しの沈黙。
風が吹いて、柔太朗の髪が揺れた。
「 ……勇ちゃんには、敵わないな 」
その言葉は、笑っていた。
でも目は笑っていなかった。
「 話したくなったら話して 」
俺が言えるのは、それだけだった。
無理に聞き出したら、きっと柔太朗はまた自分を責めるから。
数日後。
夜中にスマホが鳴った。
画面に表示された名前を見た瞬間、胸がざわついた。
「 もしもし? 」
返事がない。
聞こえるのは、小さな呼吸だけ。
「 柔太朗? 」
しばらくして、震えた声がした。
「 ……勇斗 」
その呼び方だけで分かった。
何かが起きた。
「 どこにいる? 」
「 駅の裏 」
俺は靴もろくに履き直さないまま、家を飛び出した。
駅の裏には、柔太朗が一人で座っていた。
いつもなら綺麗に整えている服も、髪も、全部どうでもいいみたいになっていた。
「 柔太朗 」
名前を呼ぶと、顔を上げた。
その瞬間。
俺は後悔した。
もっと早く気づけばよかった。
もっと早く隣にいればよかった。
「 俺…… 」
柔太朗の声が震える。
「 もう、戻れないかもしれない 」
「 何があった 」
「 俺、 」
そこで言葉が止まった。
握りしめた手。
震える肩。
今まで誰にも見せなかった弱さ。
「 昨日人を殺したんだ 」
その一言で、胸が焼けるように痛かった。
柔太朗は、長い間一人で耐えていた。
笑って。
ごまかして。
何もないふりをして。
でも本当は、ずっと助けを求めていた。
そしてその夜。
限界を越えた。
取り返しのつかないことをしてしまった。
その事実だけが、冷たくそこに残っていた。
「 隣の席の虐めてくる人を殺したんだ 」
「 打ち所が悪かったみたいでさ 」
掠れた声が喉に引っ掛かる。
「 ……どっか遠いとこで死んでくるよ 」
「 それじゃ俺も連れってって 」
「 ……勇ちゃん 」
「 ん 」
「 俺のこと、怖くない? 」
すぐには答えられなかった。
怖くないと言えば嘘になる。
でも、それ以上に。
目の前で震えている柔太朗を、一人にするほうが怖かった。
「 怖いよ 」
柔太朗の表情が曇る。
「 でも 」
続ける。
「 それ以上に、柔太朗が一人で全部抱えることのほうが嫌だ 」
柔太朗は黙った。
そして、小さく泣いた。
本当は言いたかった。
好きだって。
ずっと大切だったって。
柔太朗が笑ってくれるだけで嬉しかったって。
でも、今そんなことを言ったら。
柔太朗はきっとまた、自分を責める。
だから言えなかった。
代わりに、手を差し出した。
「 行こう 」
「 どこに? 」
「 分からない 」
自分でも無責任だと思った。
でも。
「 少なくとも、ここじゃない 」
柔太朗は俺の手を見た。
少し迷ってから、ゆっくり握った。
「 勇ちゃん 」
「 ん? 」
「 なんでそんなに優しいの 」
答えは簡単だった。
ずっと前から決まっていた。
「 柔太朗だから 」
それ以上の理由なんて、なかった。
その夜。
俺らは逃げ出した。
何も持たずに。
何も決めずに。
ただ、終わってしまった日常から逃げるように。
夏の終わりへ向かって。
二人で歩き出した。
知らない町の朝は、少しだけ静かだった。
聞こえるのは鳥の声と、遠くを走る車の音。
見慣れない天井。
知らない匂い。
隣には、眠れなかったのか、目の下に薄い影を作った柔ちゃんがいた。
「 ……起きてたの? 」
俺が聞くと、柔太朗は少し驚いた顔をした。
「 勇ちゃんこそ 」
「 俺は寝た 」
「 嘘 」
即答だった。
思わず笑ってしまう。
こんな状況なのに。
何も解決していないのに。
柔太朗といると、ほんの一瞬だけ普通に戻れる気がした。
「 何笑ってるの 」
「 いや 」
俺は窓の外を見た。
夏の朝だった。
太陽が眩しくて、蝉が鳴いていて。
まるで世界は何も知らないみたいだった。
俺たちは小さな海辺の町にいた。
理由はなかった。
ただ、電車を乗り継いで、最後に降りた場所がここだった。
財布の中身は少ない。
連絡も最低限。
戻る場所もない。
普通なら不安で仕方ないはずなのに。
柔太朗と一緒にいる時間だけは、不思議なくらい穏やかだった。
昼は近くの店で買ったパンを食べた。
夕方は海まで歩いた。
夜はくだらない話をした。
昔のこと。
好きな食べ物。
子どもの頃の夢。
そんな話ばかり。
まるで、何も起きていなかったみたいに。
「 勇ちゃん 」
砂浜に座りながら、柔ちゃんが呼んだ。
「 なに? 」
「 もしさ 」
少し間が空く。
「 もし、全部忘れられたらどうする? 」
その質問の意味を、俺は分かっていた。
でも答えた。
「 柔太朗となら、どこでもいい 」
柔太朗は困ったように笑った。
「 そういうところだよ 」
「 何が? 」
「 勇ちゃんは優しすぎる 」
またその言葉。
俺は少しだけ寂しくなった。
優しいんじゃない。
ただ、好きなだけ。
でも、その気持ちは言えなかった。
夜。
宿に戻ってから、柔ちゃんは急に言った。
「 勇ちゃん 」
「 ん? 」
「 俺、帰ったほうがいいと思う 」
心臓が嫌な音を立てた。
「 何言ってるの 」
「 これ以上、勇ちゃんを巻き込みたくない 」
「 巻き込まれたなんて思ってない 」
「 でも 」
柔太朗の声が震えた。
「 俺がいると、勇ちゃんまで苦しくなる 」
違う。
違うんだ。
苦しいのは、柔太朗がいるからじゃない。
柔太朗が一人で苦しんでいるのを見ることが苦しいんだ。
「 柔太朗 」
「 俺はさ 」
喉まで出かかった言葉を飲み込む。
好き。
ずっと好きだった。
でも今言ったら、きっと柔ちゃんは受け止められない。
だから違う言葉に変えた。
「 俺は、柔太朗がいなくなるほうが嫌だ 」
柔ちゃんは目を伏せた。
「 ……優しいね 」
「 違う 」
初めて少し強い声が出た。
「 優しいんじゃない 」
「 俺が、そうしたいだけ 」
次の日。
柔太朗は少しだけ笑った。
「 勇ちゃん 」
「 ん? 」
「 海行こう 」
「 急だね 」
「 いいじゃん 」
その笑顔は、久しぶりに本物に見えた。
俺たちは海へ行った。
靴が濡れるまで波の近くを歩いた。
くだらないことで笑った。
写真を撮った。
アイスを食べた。
その瞬間だけは。
本当に普通の二人だった。
俺は思った。
この時間が永遠ならいいのに。
夏が終わらなければいいのに。
夕暮れ。
柔太朗が海を見ながら呟いた。
「 勇ちゃん 」
「 なに? 」
「 俺さ 」
「 うん 」
「 この夏のこと、一生忘れないと思う 」
胸が痛んだ。
なぜか、その言葉が最後みたいに聞こえたから。
「 俺も 」
そう答える。
本当はもっと伝えたかった。
ありがとう。
出会えてよかった。
大好きだった。
全部。
でも言葉にできなかった。
その夜。
柔太朗は眠った。
久しぶりに、穏やかな顔だった。
俺はその寝顔を見ながら思った。
守りたい。
この先何があっても。
どんな結末になっても。
この人だけは幸せでいてほしい。
逃げているはずなのに。
不思議だった。
知らない町の朝は、少しだけ優しかった。
誰も俺たちを知らない。
過去も知らない。
何も知らない人たちが、いつも通り生活している。
その中に紛れると、自分たちも普通の人間に戻れた気がした。
「 勇ちゃん 」
隣を歩く柔太朗が言う。
「 俺たち、ちゃんと生きてるね 」
その言葉に、胸が痛くなった。
生きている。
確かにそうだった。
昨日まで絶望しかなかった柔ちゃんが、今は少し笑っている。
それだけで、俺は救われていた。
でも、現実は優しくなかった。
財布の中身は減っていく。
宿代。
食事代。
移動のお金。
最初は何とかなると思っていた。
でも、何とかならないこともある。
「 あと少ししかないね 」
柔太朗が財布の中を見ながら呟く。
「 大丈夫 」
反射的に言った。
でも。
柔太朗は俺を見る。
「 勇ちゃん 」
「 ……なに 」
「 また嘘ついた 」
何も言えなかった。
柔太朗には全部見抜かれる。
昔からそうだった。
その日の夜。
俺たちは古いベンチに座っていた。
街灯の下。
二人分の飲み物。
それだけ。
「 ねえ、勇ちゃん 」
「 ん? 」
「 俺、働く 」
突然の言葉だった。
「 無理だよ 」
「 なんで 」
「 今の状況じゃ 」
言いかけて止まる。
柔太朗の表情が変わったから。
「 俺、何もできないままなの嫌なんだ 」
その声は、弱かった。
でも。
初めて聞く強さもあった。
「 ずっと守られる側だった 」
柔太朗は俯く。
「 でも、本当は勇ちゃんのことも守りたい 」
その言葉が、苦しかった。
嬉しかった。
でも同時に。
そんなことを言わせてしまった自分が嫌だった。
次の日。
俺たちは小さな仕事を探した。
短期のもの。
簡単なもの。
でも、身元を聞かれるたびに何も言えなくなる。
名前。
住所。
過去。
全部が俺たちを追いかけてくる。
夕方。
疲れ切って歩いている時だった。
柔太朗が足を止めた。
「 勇ちゃん 」
「 ん? 」
「 ごめん 」
嫌な予感がした。
「 何したの 」
柔太朗は黙った。
そして、小さな声で言った。
「 お金 」
胸が冷たくなる。
「 …… 」
「 盗った 」
周りの音が消えた気がした。
「 柔ちゃん 」
「 分かってる 」
すぐに言葉が返ってくる。
「 最低だって分かってる 」
「 でも 」
柔太朗の手が震えていた。
「 勇ちゃんと、もう少しだけ普通にいたかった 」
その言葉で責めることができなくなった。
正しいか間違っているか。
そんな簡単な話じゃなかった。
柔太朗はただ。
生きようとしていた。
その夜。
買ったパンを二人で分けた。
いつもなら何でもないこと。
でも、その日は違った。
「 おいしいね 」
柔太朗が笑う。
「 そんな高いやつじゃないけど 」
「 いいじゃん 」
柔太朗は少し笑った。
「 勇ちゃんと食べるなら 」
その一言で胸が苦しくなる。
本当なら。
こんな場所じゃなくて。
もっと普通の場所で。
もっと普通の日に。
この笑顔を見たかった。
「 勇ちゃん 」
「 なに 」
「 もし全部終わったら 」
柔太朗は空を見る。
「 海の近くに住みたい 」
「 急だね 」
「 なんとなく 」
少し笑う。
「 朝起きて、海見て 」
「 普通にご飯食べて 」
「 普通に怒られて 」
そんな未来を話す柔太朗の顔は、久しぶりに少年みたいだった。
俺は思った。
まだ間に合うんじゃないかって。
まだ、やり直せるんじゃないかって。
「 ごめんこんな普通の生活出来なくしちゃって 」
「 今となっちゃどうでもいいから 」
「 それにそんな夢なら捨てたよ 」
だから、誰もいない場所で二人で死のうよ。
その数日間。
俺たちは小さな幸せを集めた。
安いアイスを半分こした。
知らない町を歩いた。
海で靴を濡らして笑った。
写真も撮った。
くだらない話もした。
罪を抱えていることも。
逃げていることも。
全部忘れるくらい。
その瞬間だけは、俺たちは普通だった。
でも。
幸せな時間ほど、終わりは近い。
柔太朗が夜中に目を覚ましていること。
一人になると泣いていること。
俺は気づいていた。
この時間を続けるほど。
柔太朗は苦しくなっている。
それでも。
俺は願ってしまった。
もう少しだけ。
あと少しだけ。
この夏が続けばいいのに。
柔太朗は、最近よく笑うようになった。
それが、俺には怖かった。
前より明るくなった。
前より普通になった。
でも、それは全部。
何かを決めた人の顔に見えた。
「 勇ちゃん 」
海辺のベンチ。
夕日を眺めながら、柔太朗が名前を呼ぶ。
「 なに? 」
「 俺さ 」
少し間を置く。
「 勇ちゃんが今まで傍に居たからここまでこれたんだ 」
胸が苦しくなった。
そんなこと言わないでほしかった。
まるで最後の言葉みたいだったから。
「 大げさ 」
笑って返す。
いつものように。
でも柔太朗は笑わなかった。
「 大げさじゃないよ 」
静かな声だった。
「 俺、一人だったら多分壊れてた 」
波の音が響く。
俺は何も言えなかった。
本当は聞きたかった。
じゃあこれからも隣にいてくれる?
俺がいれば大丈夫?
そう言ってほしかった。
でも。
柔太朗の顔を見た瞬間、言えなくなった。
その目はもう決めていた。
俺には止められない何かを。
「 勇ちゃん 」
「 ん 」
「 俺がいなくても 」
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥が冷たくなった。
「 そういうこと言わないで 」
思わず遮った。
柔太朗は少し悲しそうに笑う。
「 ごめん 」
「 謝らないで 」
「 でも 」
「 謝るくらいなら、いなくならないで 」
初めて、声が震えた。
怒っているんじゃない。
怖かった。
柔ちゃんがいなくなる未来を想像するだけで、息が苦しくなった。
柔太朗はしばらく黙っていた。
そして、小さな声で言った。
「 勇ちゃんはさ 」
「 ん 」
「 優しすぎるんだよ 」
またその言葉。
でも今までとは違った。
「 俺がいることで、勇ちゃんまで苦しむ 」
「 そんなの 」
否定しようとした。
でも、柔太朗は続けた。
「 俺の問題に、勇ちゃんの人生まで巻き込みたくない 」
「 だからもういいよ 」
違う。
俺は自分で選んでここにいる。
「 もういいよ 」
柔太朗がいるから。
「 死ぬのは俺一人でいいよ 」
柔太朗だから。
でも、その言葉は喉の奥で止まった。
夜。
宿に戻ると、柔太朗は荷物を整理していた。
「 何してるの 」
聞かなくても分かっていた。
でも聞いた。
違う答えを期待して。
「 勇ちゃん 」
振り返った柔太朗は、すごく穏やかな顔をしていた。
「 ありがとう 」
やめて。
その言葉を聞きたくなかった。
「 まだ何も終わってないじゃん 」
俺が言うと、柔太朗は少し笑った。
「 そうだね 」
「 じゃあ 」
「 でも 」
柔太朗は優しく言った。
「 俺が終わらせなきゃいけないことがある 」
その夜。
二人で最後にコンビニへ行った。
いつも通り。
安いアイスを買った。
いつも通り。
くだらない話をした。
俺は必死だった。
この時間を普通にしたかった。
最後になんてしたくなかった。
「 勇ちゃん 」
「 ん? 」
「 覚えてる? 」
「 何を 」
「 初めて会った時 」
笑う。
「 勇ちゃん、すごい警戒してた 」
「 嘘 」
笑う。
「 ほんと 」
柔太朗が笑う。
その顔を見て思った。
ずっと見ていたい。
ずっと隣にいたい。
なのに。
俺は何も言えない。
好きだった。
ずっと。
でも。
柔太朗が苦しんでいる時に、その気持ちを押しつけたくなかった。
俺の幸せのために、柔太朗を縛りたくなかった。
だから言わない。
言えない。
この想いは。
俺だけが持っていけばいい。
「 勇ちゃん 」
「 ん 」
「 もし明日から、普通の生活に戻れたら 」
柔太朗は空を見る。
「 ちゃんと笑ってね 」
胸が痛んだ。
「 柔太朗も 」
そう返す。
柔太朗は少しだけ笑った。
「 うん 」
「 ……勇斗、ありがとう 」
「 ん?なんか言った? 」
「 なんでもない! 」
その返事が。
なぜか最後みたいに聞こえた。
朝。
目を覚ました時。
柔太朗はいなかった。
机の上に、小さなメモだけが残っていた。
震える手で開く。
そこには短い言葉。
『 ありがとう 』
それだけ。
俺は走った。
名前を呼んだ。
何度も。
何度も。
でも。
夏の朝の街は、何も知らない顔をしていた。
太陽はいつも通り昇って。
蝉はいつも通り鳴いて。
世界だけが、置いていかれた俺を残して進んでいった。
海は、何も知らない顔をしていた。
あの日と同じ青。
あの日と同じ波の音。
違うのは。
隣の温もりがないこと。
「 柔太朗! 」
何度呼んでも返事はない。
砂浜を走る。
足がもつれる。
息が苦しい。
でも止まれなかった。
止まったら、本当に認めてしまう気がしたから。
まだどこかにいるかもしれない。
いつものように笑って、
『 勇ちゃん、焦りすぎ 』
って言ってくれるかもしれない。
そんなありえない期待だけで、俺は走った。
でも。
現実は優しくなかった。
そこにいた柔ちゃんは。
首元の血が砂浜に飛び散って。
いざとなったら使おうと話していたナイフを片手に持って。
もう俺の名前を呼んでくれなかった。
「 ……嘘 」
声が震える。
「 柔太朗…? 」
肩に触れる。
冷たい。
頭の中が真っ白になる。
「 起きてよ 」
返事がない。
「 ねえ 」
声が大きくなる。
「 ねえ! 」
「 柔太朗! 」
何度呼んでも。
俺の大好きだった声は返ってこなかった。
「 嫌だ…… 」
気づいたら泣いていた。
子どもみたいに。
何も考えられなかった。
悔しかった。
悲しかった。
どうして。
なんで。
あんなに苦しんでいたのに。
俺は隣にいたはずなのに。
守るって決めたはずなのに。
「 俺、約束したじゃん…… 」
ちゃんと生きるって。
笑うって。
なのに。
俺だけが残された。
遠くで誰かの声がした。
足音。
呼びかけ。
でも、何も聞こえなかった。
俺の世界にはもう。
柔ちゃんがいないという事実だけがあった。
「 佐野さん 」
名前を呼ばれて、初めて現実に戻った。
制服姿の人たち。
緊張した空気。
質問。
確認。
何もかもが遠かった。
「 山中さんとは、どういう関係ですか 」
答えられなかった。
友達。
仲間。
大切な人。
どの言葉でも足りなかった。
「 …… 」
口から出たのは。
「 柔太朗です…… 」
それだけだった。
その後のことは、あまり覚えていない。
何を聞かれたのか。
何を答えたのか。
ただ覚えているのは。
手の中に残った写真。
二人で笑った、あの夏の一枚。
時間が経ってから。
俺はやっと分かった。
柔太朗が残してくれたものは。
悲しい記憶だけじゃなかった。
一緒に見た景色。
一緒に笑った時間。
俺を信じてくれた瞬間。
全部。
ちゃんと俺の中に残っている。
あの夏。
俺は君を救えなかった。
その後悔は、きっと消えない。
でも。
君と過ごした時間まで否定したくない。
君が笑っていたこと。
君が幸せそうだった瞬間があったこと。
それだけは、誰にも奪えない。
そして時が過ぎていった。
ただ暑い暑い日が過ぎていった。
波の音を聞く。
そして思い出す。
『 勇ちゃん 』
『 勇ちゃん! 』
『 勇斗 』
君だけがどこにも見つからなくって。
君だけがどこにもいなくって。
もし、もう一度会えたなら。
君に言いたいことがあるんだ。
ありがとう。
一緒にいてくれて。
君がいたから。
俺の夏は、あんなにも大切なものになった。
海は今日も変わらない。
空も。
波も。
季節も。
全部、進んでいく。
家族も、クラスの奴らもいるのに。
なぜか君だけはどこにもいない。
誰も何も悪くない。
君は何も悪くないから。
今日も俺は君がくれた夏を生きる。
コメント
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ほんとにごめん。10分くらいガチで泣いてた。 え、神作じゃん.....😭😭ちびちゃん絶対才能あるって😭
読み終わりました……。 最初から最後まで、胸がぎゅっとなるお話でした。 柔太朗の「優しすぎる」っていう言葉が何度も出てくるけど、勇斗くんのその優しさが、逆に苦しかったです。 最後の海辺のシーン、すごく静かで、でもその静けさが痛くて。 「君だけがどこにもいない」っていう一文が、ずっと心に残ってます。 好きって気持ちを伝えられなかった勇斗くんの気持ち、考えるだけで切ないです。 でも、それでも「君がくれた夏を生きる」って言える強さが、すごく尊かった。 ちゃんと受け止めました。ありがとうございます。