私は物書きをしている。
四畳半の狭い部屋を借りている。
空は青く、蝉が鳴いている。
窓ガラスの向こうでは涼しげな風が吹き、木々を揺らしている。
そんな様子を私は頬杖をつきながら眺めている。
そんな折、いつも思い出すのがあの人の後ろ姿だ。
その人は何やら書き物をしている。
漆で塗ったように綺麗な黒髪の持ち主で、色白の女性であったように記憶している。
また、紫紺の和装に身を包んでいたように思える。
その人は一つも私の方を振り返らない。
だが私はそんなあの人の後ろ姿が好きだった。
さらさらと舞う筆の跡が紙面を擦り、その音が心地よく私の耳に届く。
私はそれを子守唄代わりに微睡み、そのうち眠りに落ちてしまう。
よく考えれば、それは私の母親の後ろ姿だったかもしれない。
だが私は母の事をあまりよく覚えていない。
何故なら幼い頃に生き別れてしまったからだ。
恐らく病に伏せってしまったのだろう。
そして私は親戚の家に預けられたのだろう…。
今でもあの人の事を思い出す。
窓枠の向こうでは、流れゆく雲が跡形もなく消え去ってゆく。
私が物書きになったのも、こうした理由があるのかもしれない。
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