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賭けの意味は分かっても、その先のことは未経験で、分からない。
怖い。怖いけど。
言い付け通りに生きて後悔するぐらいならば、私はもう言い付けなんて守りたくない。
自分で迷って、自分で失敗して、自分で考えたい。
Up to you.
「一晩、私はデイビットさんのモノです」
「嬉しいです。――今すぐ抱き締めてキスしたい」
はにかむように笑うデイビットさんが眩しくて、私は何だか下を向いてしまった。
「あの、デイビットさんは何で私なんか……」
「美麗ちゃん?」
私なんか何処が良かったのか?
そう聞こうとしていた言葉は遮られた。
名前を呼ばれた方へ顔を上げると、着物姿の美しい御婦人が立っていた。
横には、夫だろうか。金髪のおじさんも立っている。
綺麗だけど、知らない。母と年齢はそう変わらないから、家の関係の人だとは思うけれど、分からない。
「あら、嫌だ。10年ぶりだから忘れちゃったかしら。美一さんのご葬儀の時は美麗ちゃんずっと泣いていたしね」
寂しげに笑うと、私の方まで歩いてくる。
父の仕事の関係者?
大和撫子のような上品な女性を立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花と例えられるけど、歩いてくる女性は確かに、美しく凛と咲く花に例えられそうな雰囲気だった。
「今日は、ご参加ありがとうございます。佐和子さん」
私より先に、デイビットさんが話しかけた。
その名前で、私は漸く記憶の片隅からこの女性の姿を発見できた。
父の師匠である書道家の先生は、頑固な方で弟子なんて取らないと言っていた。
その先生が生涯、たった二人のお弟子さんだけは取ったのだ。
父とこの佐和子さんを。
日本で3人しか貰えない有名な賞を国から頂いていた先生。
その弟子である父と佐和子さんは確かに有名だったけど。
「ふふ。思い出したのね? 美一さんが亡くなられてから、貴方も書道を辞められて心配していたのよ」
「すいません」
佐和子さんの笑顔を見たら、瞬時に墨の匂いや研ぐ音、筆を握る感触が思い出され、胸が締めつけられた。
その思い出の中心には、必ず父の存在があるから。
「デイビットに会えたってことは、美一君の賭けは負けかしら?」
――賭け?
首を傾げつつ佐和子さんの顔を見ると、デイビットさんは長い人差し指で口元を隠し、笑う。
「まだ、です。今、頑張ってるのでまだ内緒ですよ」
クスクスと笑うデイビットさんを、佐和子さんは暖かい眼差しで見つめた。
そして、私を見てウインクする。
「貴方さえ良ければ、――私、ここの近くで書道教室やっているからいらっしゃいな。私も弟子なんて生意気なもの、取らないから、遊びにだけでも」
名刺を差し出してきたので、受け取る。それ以上は、踏み込んだ話は出来なかった。
でも、舞を辞めて空っぽになった時間を埋められるなら良いことかもしれない。
二人は談笑を始め、私も笑顔で聞いては居たものの、話に入っていけずにお酒をちびちび飲む。はたしてこの苦い飲みモノを美味しいと思う日が来るのか。
デイビットさんは赤いワインとか似合いそうだし香りまで楽しみそうだけど。
ちらちら周りを見渡すと、スーツの男性に私みたいなワンピースの女性が多い。
佐和子さんみたいに着物の人は人目を惹くようで視線が痛い。
良かった。このワンピースで。
綺麗で、――着られて私も嬉しい。
「美麗、退屈ですか?」
ぼーっとしていた私の顔を、デイビットさんが覗きこむ。
「あ、やや、その」
本当に宝石に例えられるほど綺麗な碧眼の瞳に私が映るのが、たまらなく恥ずかしい。
両手をブンブン振り回し、頭を振る。
「あっちのマフィンが美味しそうなので取ってきますね」
後ずさりして、距離をとるとデイビットさんは不思議そうに首を傾げた。
そんな姿まで絵になるからずるい。
今さらながらに、この人の隣なんて不釣り合いすぎて悲しくなってくる。
「あ」
後ろから聞こえてきた声に、振り向くよりはやく冷たい何かが足にかかった。
「すいません!」
振り返ると、御盆の上に何枚もの皿を重ねて下げようとしていたウェイトレスさんに私がぶつかってしまったのだ。
「私こそすいません、邪魔してしまって」
身体を半分に折るぎらい深々とお辞儀して謝ると、濡れた足に目が行く。
ベビーピンクの淡いワンピースに、真っ赤なワインが飛び散っていた。
せっかくデイビットさんが用意してくれた服を、私の不注意で、汚してしまった。
くらりと眩暈で一気に血の気がひいてしまう。
「どうされました?」
「あら、大変」
デイビットさんと佐和子さんが駆けつけてくれたけど、申し訳なくて既に涙で視界が滲んでいた。
けれど、おろおろしているウェイトレスさんに心配をかけないように笑う。
「大丈夫です。ちょっと、御手洗い借りますね」
「ちょっと待っててね。私も行くわ」
佐和子さんも着いて来てくれてゲストルームに通され、そこの化粧室の椅子に座りハンカチでトントンと叩くが完全には消えない。
「着替えて早く染み抜きした方がいいわね。家まで送るわよ」
「家は、まだ帰りたくないです」
汚れたスカートを握りしめ、嫌だけどもうこれしか無かった。
「着替えてきます。近くの職場で着替えて此方に来たので、戻って着替えて」
着物になんて着替えたくなかったけど、服を汚したのは私だからときつく唇を噛む。
デイビットさんに頂いたものを私……。
「美麗?」
化粧室をノックされ、佐和子さんがすぐにドアを少し開けた。
背が高いから、佐和子さんの頭の上からすぐに私に視線を送って、心配そうに首を傾げる。
「服なんて気にしないで下さいね。今から着替えを買いに行きましょうか?」
デイビットさんは借りれそうな服がないか聞きまわっていたと佐和子さんとの会話で分かったけど、それ以上は甘えられなかった。
「この服が良いんです。あの、だから御願があります」
立ち上がって、ワンピースの裾を握りしめながらデイビットさんの顔を見上げた。
時間はまだ20時を過ぎてもいなくて。
調理場には明かりが着いていたのですぐに覗いてみた。
「あの、幹太さん」
「!?」
幽霊を見たかのように、ばっと振り返られ、へらりと笑ってしまった。
「お前、迎えも俺が頼まれてたんだが、どうやって帰った?」
少ししかめっ面な幹太さんは、普段なら怖かったけど今は外でデイビットさんを待たせていたから気にしない。
早口で要件だけ言って逃げかえろうと決めていたし。
「着物、預かってくれてありがとうございました。迎えは大丈夫です。幹太さんに迷惑かからないように連絡いれましたから」
今日は友人の家に泊りますとお手伝いさんに伝言を頼んできた。
生娘の言いわけみたいだと苦笑しそうだったがその通り過ぎて上手く笑えない。
その代わり、汚してしまったワンピースを綺麗にしたかっとので着たくもない着物に着替えて調理場を覗いていたんだから。
「あのイギリス人の所か?」
呆れたように溜息を吐かれたけど、嘘を付きたくなくて頷く。
幹太さんは洗い物をしていた手を止めて、射るような目で私を真っ直ぐ見た。
だから私も真っ直ぐに目を見る。やはり、ちょっと怖いけど。
「そうです」
「嘘ん臭いけど、俺は知らないぞ」
「嘘臭いですか?」
あんな綺麗な瞳のデイビットさんが?
首を傾げると、幹太さんは小さく舌打ちする。
「そんなに隙だらけだから、俺なんかと!」
俺なんかと?
その次の言葉を待っても、幹太さんは黙ってしまった。
そのまま背を向け、蛇口を捻るとまた洗い物を再開する。
「お前がうちに来た意味を理解した時にはもうお前に選択権はなくなっているかもしれんぞ。しっかり流されるなよ」
口調は突き放すように冷たいけれど、きっと心配してくれてるんだと思った。
「ありがとうございます」
幹太さんの言葉の意味が分からないことだらけだったけど、考える余裕なんてどこにもない。
私は重くてキツいだけの私を鳥籠に縛り付ける鎖のような着物を巻きつけて、デイビットさんの元へ駆けだす。約束の夜を過ごすために。