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彼奴と出逢ったのは、良く晴れた日の事だった。横濱の中心街からは離れた擂鉢街で、俺が先に見つけて蹴り飛ばした。出会った瞬間から、俺は彼奴が嫌いだった。今振り返れば、自分もかなり調子に乗った餓鬼だったとは思う。否、それでも彼奴は俺以上に捻くれて意地悪で糞みたいな性格をしていた。最低最悪な野郎だ。良い所と言えば、無駄に整った顔位だろう。それ程には俺は最初から彼奴を嫌悪していた。
何だかんだあり、その後俺と彼奴はポートマフィアに入った。最悪だったのは、彼奴と相棒として仕事をさせられた事だ。お陰で散々執拗な厭がらせを喰らった。「今週の負け惜しみ中也」なる会報を組織全体にばら撒き、俺のちょっとした醜態を事細かく広めやがったり、僕の犬だと言い張って散々使いっ走りにこき使ってきたり、かと思えば重要な会議の直前にフラッと居なくなり、笑みを浮かべて自殺を試みる彼奴を間一髪の所で止めたり、言い出したらキリが無い。顔を合わせれば必ず喧嘩。酷い時は殴り合いの喧嘩に発展し、何度首領と姐さんに叱られた事か。けれど、任務中は別だ。彼奴の立てた恐ろしいほど完璧な作戦で、好き勝手暴れ回るのは本当に気持ち良かった。あの莫迦の頭は如何なっているんだとつくづく思う。如何やったらあんなに緻密で正確で美しい作戦になるのだろう。その作戦の通りに俺が暴れ回れば、斃せ無い敵は無かった。
俺は彼奴の立てた作戦が好きだった。
なのに。
彼奴は俺を置いて居なくなった。
ある日、本部に着くとやけに騒がしかった。入り口に立つ俺に気付いた部下が、慌ててやってきて、「首領がお呼びです」と告げた。胸騒ぎがした。当たって欲しく無かった。けれど事実は残酷だった。この騒ぎは、彼奴がーーーーーーーーーー太宰が離反した事による騒ぎだった。知らなかった。何も言われなかった。これでも相棒、だったのに。太宰は、過去に無い恐ろしい成果を挙げ、史上最年少幹部として君臨して居た。俺は準幹部として、また太宰の相棒として、マフィアに籍を置いて居た。如何やら、俺が遠方の抗争の鎮圧に向かっている間に、太宰の友人が殉職したらしい。友人の最期に何があったのかまでは詳しくは知らないが、それにより太宰が離反したのは確かだった。あの悪魔めいた思考の持ち主の行方を探すのは不可能と言って良いだろう。太宰は完全に行方を絡ませた。思えば、最近友人が出来たとはしゃいでいた。二人とも、すっごく話が面白いんだよ、と笑う太宰を見て、俺はそれ以上何も言え無かった。そうか、其奴らが死んじまったのか。でも。なら。「俺にせめて言う事ねぇのかよ…」別に、太宰が好きだった訳では無い。断じて。世界一彼奴が大っ嫌いだ。だが、何度も窮地を共に乗り越えてきた、相棒だった。太宰の中で、俺は其処其処の存在なのでは無いかと勝手に思って居た。だが、一方的な勘違いだったらしい。3年共に過ごした俺より、その友人を取った。その事実は、静かに俺を傷付けた。大嫌いな彼奴が居なくなった祝いに開けた当たり年のペトリュスは、心無しかしょっぱかった。
其れから、俺の心は緩やかに、少しずつ崩れていった。何時もは直ぐに俺の執務室にきて揶揄って来る彼奴の声がしない。例の会報も出ない。殲滅任務は作戦が面白く無い。彼奴の存在は、俺の中で、大嫌いでも、大事な、信頼できる奴になって居たらしい。何時の間に。毎日が分かりやすく色褪せた。心の隙間が埋まらない。其れ等を忘れようとするかの様に、俺は今まで以上に仕事に取り組んだ。何せ幹部の一人が、それも稼ぎ頭が突然消えたのだ。その分の仕事は別の奴に回すしか無い。相棒時代から彼奴の仕事を手伝い、肩代わりしてきた俺にかなりの量が回ってくるのは必然的だった。何も考えず、只組織の為に、仲間の為に仕事に打ち込む。首領や姐さんには何度も休めと言われたが、「良いんです、俺がやりたいので」と言って半ば無理矢理働き続けた。
本格的に体調に影響が出てきたのは、彼奴が居なくなって3年ほど経過した頃だろうか。その頃には、俺は実力を認められ、ポートマフィアの中枢的存在である五大幹部に名を連ねていた。切っ掛けは、久しぶりに彼奴の執務室に入った事だった。首領に掃除を頼まれて、久方ぶりにその部屋に足を踏み入れた。部屋は何一つ変わって居なかった。包帯も、乱雑に積まれた資料も、埃は被っているが、其の儘に残って居た。一通り執務室を掃除、整頓した所で、仮眠室の存在に気付き、掃除しようと部屋に入った。入った瞬間、彼奴の、彼奴の匂いがした。屹度何度も此処で昼寝をしたのだろう、狭さも相まって執務室より太宰の匂いを強く感じる。だが、驚いたのは其れだけでは無かった。「何で…」手紙が置いてあった。それも、俺宛の。
『中也へ突然居なくなってごめんね暫く会えないけれど、何時か必ず会いにいくから。』
何だよ、それ。俺のこと置いて行った癖に。こちとら漸く手前の事忘れて、前向いて仕事しつつあったのに、このタイミングでこれかよ。巫山戯んな。頭の中は文句で一杯だったが、何故か俺は泣いて居た。
その日は眠れなかった。彼奴と過ごした日々が蘇ってきて、懐かしいと同時に苦しくて、彼奴は離れて居ても俺を苦しめるんだなと思った。全く、酷い飼い主だ。睡眠不足が続き、再び首領や姐さんに心配される様になったが、俺は強気な体を貫いた。彼奴が居ない所為で不調なんだと認めてしまう様で嫌だった。それでも、自分が彼奴に対して抱える感情が大嫌いだけでは無いのかも知れない事に、嫌々気付きつつあった。ポートマフィアに泊まり込む時は、成る可く彼奴の仮眠室を使う様にした。掃除の時に借りた鍵は、首領が「君が持って居て良いよ」と言って下さった。俺が度々彼奴の部屋にいる事に、若しかしたら気付いているのかも知れない。まあ、有り難く使わせて貰う事にした。仮眠室では、彼奴の匂いがして、セーフハウスより少し、眠り易かった。眠り乍ら泣いて居たこともあった。
太宰が消えた事によって、俺の中の何かが確実に変わり出していた。
其れから更に一年が経過した。何とか仕事はこなしているが、事ある毎に彼奴を思い出して苦しくなる。
其れは、俺が西方の小競り合いの鎮圧を任され、無事に帰って来た時の事だった。彼奴の部下だった芥川から、「太宰さんを捕縛しました」という連絡が来たのだ。生きてたのか。思わずそう呟いた。如何やら芥川の報告に寄ると、彼奴は今、敵対組織の一つである武装探偵社の社員らしい。彼奴は生きていた。光側の、世界で。彼奴が光の世界なんて、有り得ないと思った。命を何とも思っていない様な、あの冷徹で残酷な濁った瞳の持ち主だったのに。次いで莫迦だと思った。四年も逃げてきたのに、今更捕まったのかよ。笑えるぜ。揶揄ってやろうと思って、彼奴のいる地下監獄への道を下って行った。
彼奴と出会ったのは、何時ぶりだろうか。彼奴は、地下の牢獄で鎖に繋がれていた。でも、自分の知っている彼奴ではなくて。知らない砂色の外套を着て、あの頃とは違う、光を宿した目をしていて、少し、ほんの少しだけ、寂しいと感じてしまった。揶揄いに行った積りだったのに、気付いたら俺が一方的に揶揄われ、笑われ、羞恥を晒して終わった。彼奴は四年経っても変わらず俺を揶揄ってきた。少しだけ、昔の様で嬉しかった。これが切っ掛けだったのだろうか。いや、拗らせすぎた感情が、偶々そのタイミングで顔を出しただけかも知れない。
「は?」俺は次の日、花を吐いた。
朝起きたら、呼吸が苦しかった。又泣いて居たのかと思ったが、そうでは無かった。唐突な、食道を迫り上がってくる感覚に、反射的に口元を抑えた。奇妙なのは、胃液の感じというより、柔らかいものの感覚がした事だ。口から出てきたのは、何片かの、花弁だった。「何なんだよ、此れは…」呆然として居た俺だったが、今日は休日では無い。早く支度をしなければ。この謎の現象を如何するべきかは迷ったが、取り敢えず医師でもある首領に相談する事に決めた。
本部に到着して早々、最上階の首領室を訪れる。普段朝一番に此処へ来る事は中々無い上にアポなしという状況だったが、首領は笑顔で迎えて下さった。
「おや、朝早くから珍しいね。何かあったのかい、中也君。」
「その…任務や仕事についてでは無いんですが。首領は、突然花を吐く現象について、何かご存知ですか?」
「ふむ、心当たりならあるが…若しかして中也君、君、花を吐いたのかい?」
「ーーっ、はい。今朝、起きたら苦しくて、思わず吐いたら花が、ッ」
「そうか…恐らく、君が患ったのは嘔吐中枢花被性疾患、通称『花吐き病』だろう。時に中也君、今、想い人は居るかい?」
想い人…?咄嗟に脳内に浮かんだのは、昨日再会した元相棒の顔だった。薄々気付いていた、嫌悪以外の感情。彼奴に対してしか抱いた事の無い、複雑に絡んだ感情。この感情の存在に気付いてから四年、流石にこの感情を世間では何と呼ぶのかぐらい、判っている。でも。認めたく無い。認めてしまったらもう、以前の関係には戻れない気がした。そんな事を考えている内に、俺の顔は真っ赤に染まっていたらしい。先程まではお絵描きをしていたエリス嬢が、有り得ない速さで詰め寄ってきて、「チュウヤ、若しかして『恋』してるの?」と期待の籠った眼差しで見つめてきた。そう、恋。認めたくは無いが、如何やら俺は彼奴に恋心を抱いているらしい。女々し過ぎて笑ってしまう。
「その様子だと、心当たりがある様だね。まあ、この病気は片思いを拗らせる事によって発症するから、当然と言えば当然だか。中也君、花吐き病というのは、片想いを拗らせた人が発症する奇病だ。何も無い所からは花は出来ない。発症した人の体内の養分を、花弁や花に変えているんだ。其の儘にしてしまうと、いずれ死んでしまう。花を吐き続けて窒息死か、栄養失調か、何れにしても苦しい死に方なのは確かだ。私としても中也君を失うのは惜しい。だから、出来るだけ治して欲しいと思っている。治し方なんだか、この病は想い人と両思いになる事でしか治せない。」
「はい?」
嘘だろ、この想いを彼奴に伝えるのか?今更?答えは間違いなくNOだろう。其れどころか、「えー何中也、私の事好きだったの?!気色悪〜いw」なんて言って莫迦にされ、嘲笑われるのがオチだろう。そんな結果が目に見えているのならば。
「申し訳ありませんが、伝える事はできません、首領。俺はこの病を受け入れて死にます。御恩を返しきれず済みません。それまで精一杯仕事に勤めます。」
「え、伝えないのかい?!相手も中也君の事を想っているかも知れないのだよ?そりゃ君の身体だし君の感情だ、私がとやかく言える事では無い。だが…本当に伝えなくていいのかい?」
「…すみません、伝える気は無いので。」
「そうかい…分かったよ。気が変わったら言って呉れ給え。それでは、寿命や薬についてだ。寿命は長くても半年、短いと1ヶ月程だろう。花の吐く量によって予想は付くから、こまめに花を持ってきて呉れ。ああ、言い忘れていたが、呉々も他の人に花を触らせない様に。触った人も感染してしまうからね。袋か何かに入れて持ってきて呉れ。薬については、特効薬はないが吐気を軽減したり、症状を抑える薬ならある。取り敢えず処方するから使ってみなさい。」
「有り難うございます、首領。」
「全然良いんだよ、中也君。本当に…良いんだね?」
「…はい。そうだ首領、手の付けにくい敵対組織を洗い出して貰えませんか?病で死ぬよりは、せめて最期まで組織の為に過ごしたいんです。」
「…分かった。考えておこう。」
そんなこんなで、薬を貰い、失礼しますと部屋から出ると、何時の間にか聞いていたらしい姐さんが、静かに泣きながら俺を待っていた。「中也…今の話は本当なのかえ。想いを伝える気は無いのかえ?」
「ッ、済みません、姐さん…」
「誰なのじゃ、中也を此処まで苦しめとる輩は!わっちが頭をかち割ってやろうかの!」
「いいんです、姐さん、俺が伝えないって決めたので。」
「本当に良いのじゃね?」
「はい…」
「そうか…分かったの。何か辛い事があったら力になるからの。わっちは中也の味方じゃ。」
「有り難うございます、姐さん。命尽きるその日まで、この組織に尽くしますよ。」
精一杯笑って、その場を立ち去った。
結局其の日は、首領が半ば無理矢理半休にしてきたので、買い出しにでも行くことにした。