テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
「ばかもん」
瑞奈がクッションを膝と顎の間に挟んだ姿勢で、繰り返した。
「ばかもん」
「ばかばか言うな」
俺が言い返すと、瑞奈がクッションを投げてきた。俺はそれをよける。が、顔に違うものが命中した。枕だった。
「ばかもんはばかもんなんだ。たこ、いか。ざこ。もぶ……」
ベッドに座る瑞奈が、他に投げられるものを探す。
「だいたい、こんな炎天下の中……もし咲良が、倒れている晴翔くんを見つけなかったら、熱中症で死んじゃってたんだぞ。ばかもん。たこ、いか。ざこ。もぶ」
瑞奈の手が目覚まし時計を掴んだ。
「おまえ、それヤバい」
時計の固そうな出っ張りに目が吸い寄せられ、俺はあわてて腰を浮かせる。
瑞奈が振りかぶる寸前で、その手を止めた。
だが、止まらないものがあった――涙だった。瑞奈が大声で泣き始める。瑞奈の部屋内でぐしゃぐしゃの潰れた声が飽和しだす。
炎天下の公園で意識を失った俺を、夏期講習帰りの咲良が見つけてくれたことは、不幸中の幸いだった。すぐに病院に運ばれ、点滴を受けた後、俺は瑞奈の実家に帰された。
今は、瑞奈の部屋で二人っきりで話している。瑞奈の泣き声は、階下のご両親や咲良に聞こえているだろう。
「死んじゃってたかもしれないんだぞ。ば……」
涙ながらに瑞奈が言った。布団の端を握り締め、唸った。
「あたしより先に死ぬな……ばか、……もん」
俺は奥歯を噛みしめた。言葉を絞り出せなかった。ぎゅっと両手を握り込む。爪が手の平に食い込む。痛くなかった。ただ、背中から震えていた。
瑞奈の荒い息が段々と落ち着いてきた。布団を掴む手が緩んでいる。顔をあげ、睨むように俺を見た。
「もう会わないほうがいいの。晴翔くんに迷惑かけるから」
沈黙が落ちる。呼吸音が聞こえてこない。俺からも、瑞奈からも。浅く息を吸っている訳ではない。呼吸を止めていた。意図せずに、自然と。
すう、と吸音が小さく立つ。瑞奈だった。俺も吸う。口を開いた。
「おまえと一緒に生きていきたい」
「嘘」
「?じゃない」
「じゃあ、誰なの、倉持春奈って」
それは……、言い淀む。俺はまだ中途半端なのか。
「言えない人なのね」
違う……。そうじゃない。
「帰って」
瑞奈の声がうわずった。
「帰って帰って帰ってもう来ないで」
瑞奈が立ち上がる。ベッドの上から俺を睨みつける。
「帰ってよぉおお」
「患者さんなんだ!」
俺はフローリングの床を見つめながら、吐くように言った。駄目だ。こんな態度を見せてはいけない。きちんと話さなければいけない。俺は顔をゆっくりとあげる。瑞奈を正視する。
「倉持春奈さんは、ALSの患者さんだ」
瑞奈が、理解できない、とでも言いたげな目を俺に向けていた。口を開く。しかし、何も言わないまま、閉じられた。顎が引かれる。より険しい視線で俺を見てくる。
「昨日、ALSを患っている倉持春奈さんに会いに行った。春奈さんに瑞奈のことを喋ってしまった、おまえに無断で。ごめん」
強い緊張感が瑞奈の瞳に宿っていた。目を逸らしたいほどの圧が瑞奈から伝わってくる。真意を確かめるように、瑞奈が俺を直視していた。息が止まった。瑞奈に首を絞められているみたいだ。でも、絶対に目をそむけない。俺も、瑞奈を真正面から見つめる。
どれほどの時間が経ったのだろうか。瑞奈の表情から硬さが消えた。少なくとも、険しい目つきは止んでいた。
「話して。最初からちゃんと。説明して、あたしに分かるように」
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!