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文化祭まで、あと三日。
教室の中はいつもより静かだった。
装飾の紙くずやペンの匂いが混ざり合うその空気の中で、
笑い声がどこかぎこちない。
モブ子さんは、ここ数日ほとんど教室にいなかった。
来ても短い時間だけで、すぐに保健室へ行くか、早退してしまう。
誰も理由を話さない。けれど皆がその話題を避けているのが分かった。
アメリカさんは相変わらず明るくて、中心にいた。
でもその笑顔の裏に、妙な緊張を感じる。
まるで、無理やり明るさを貼りつけているような――
そんな気配が、ほんの一瞬に見え隠れした。
放課後、僕は残って作業をしていた。
カッターで紙を切っていると、背後から声がした。
「日本、今日も頑張ってるな」
「……アメリカさん」
振り返ると、アメリカさんが教室のドアにもたれて笑っていた。
光の加減で、その表情がやけに優しく見える。
「そろそろ帰ろ。遅くなると危ないし」
「もう少しで終わるので、大丈夫です」
「俺も手伝うよ」
そう言って、アメリカさんは机の上の道具を取り上げる。
僕が止めるより早く、手際よく作業を進めていく。
その手元の動きに見とれていると、ふと視線が合った。
「……日本ってさ、誰かに頼るの下手だよな」
「え?」
「全部自分でやろうとする。そういうとこ、放っておけない」
アメリカさんは軽く笑って言ったが、声の奥に少しだけ重みがあった。
僕はどう答えていいか分からず、「すみません」とだけ言う。
すると彼は「謝んなよ」と柔らかく笑って、手を伸ばした。
指先が僕の頬に触れる。
ほんの一瞬だったけれど、体が硬直する。
「紙くず、ついてた」
軽い調子で言うその声の裏に、何か別の感情が隠れている気がした。
優しさと、所有欲が入り混じったような温度。
「……ありがとう、ございます」
「うん」
アメリカさんは満足げに笑い、それ以上は何も言わなかった。
──この人の優しさは、どこまでが本物なんだろう。
翌朝、モブ子さんが欠席した。
連絡もないまま二日が過ぎ、クラスでは小さな噂が流れ始めた。
誰も彼女の名前をはっきりとは出さない。
ただ、全員がどこかで同じことを考えているようだった。
昼休み、僕が机に座っていると、アメリカさんが向かいの席に腰を下ろす。
「日本、昼一緒に食べよ」
「……いいんですか?」
「当たり前だろ。俺、お前といるのが一番落ち着くんだ」
そう言って笑う彼の目は、まっすぐ僕を捉えて離さなかった。
その視線に、妙な圧を感じる。
“逃がさない”と言われているような、静かな確信。
弁当を食べながら、アメリカさんはふと呟いた。
「日本に嫌なこと言うやつ、もういなくなったな」
「え……?」
「前より、平和だろ? お前が笑ってられるなら、それでいい」
僕は何も言えなかった。
その笑顔があまりにも穏やかで、逆に怖かった。
まるで世界が、アメリカさんの手の中で静かに形を変えていくような――
そんな錯覚を覚えた。
窓の外では、文化祭の看板が風に揺れている。
その向こうにある夕焼けの色が、妙に鮮やかだった。
アメリカさんが僕の名前を呼ぶ。
「日本」
「はい」
「俺、お前のことちゃんと守るから」
その言葉が、胸の奥にゆっくり沈んでいった。
温かくて、でも息が詰まりそうなほど重い。
“守る”という言葉の意味を、僕はまだ知らなかった。