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※虫描写
真っ青な空に、白く巨大な入道雲が広がっている。
しかしその峰はいとも簡単に、小さな窓枠に収められてしまう。
人工的な直線に囲まれた空は、一枚の絵画にも見えた。
それを挟むようにベッドとデスクが置いてある、六畳ほどの部屋。
質素な内装と薄暗さが、夏空との異世界感をより一層引き立たせる。
そこはさながら美術館のようだった。
もう一遍、
少年の心中と喩えることもできた。
充溢する孤独感と寂寥感。その真ん中で黄色い帽子がやけに目立っている。
珍しく、その頬に笑みは無い。
何も思わないという顔。いや。何も思わないフリをしていただけか。
そんないつかの記憶の横で、壁に背を預けボールを足元で踊らせている青年。
ターコイズブルーと蛍光オレンジの向こうに、冷たそうなフローリングが見える。
小説や漫画のワンシーンなら、「コロコロ」なんて効果音が添えられるんだろうか。
実際には、指先とボールが擦れる音なんてほんの微かなものなのだが。
その繊細な指遣いは、幼い頃からの練磨が彼の身に刻んだもの。
もはやそこに意識はない。
人体は記憶するのだ。
物事の継続と、それから強い衝撃によって。
現に、青年は足先が弄ぶボールのことなんかこれっぽっちも考えていない。
彼は、セミのことを考えている 。
漢字なら蝉と書く、セミ。
君達の殆どは既に、この青年と同じものを想像できているんじゃないだろうか。
夏の始まりを唄う。
小さな麦わら帽子と笑い合うように。
駄菓子屋の小さな扇風機に集る学生等を嘲笑するように。
そして、夏が去っていくのを見送るように。
そんな世間が夏の風物詩とも呼ぶ、セミのこと。
中学生の頃、部活終わりの帰路。
少年は焼けるようなコンクリートの上で、仰向けになった蝉を見た。
死んでいるように見えるけれど、警戒しなくてはいけない。
コイツは突然ビィビィ鳴き出すことがあるから。
まだカブトムシやクワガタに目を輝かせていた頃、転がっていた蝉にちょっかいをかけて腰を抜かしたことがある。
それ以来このサイズの虫に触れたことは多分ない。
急に飛び起きたら怖いな。
情けない様子の虫螻を、横目で確認しながら通り過ぎようとした。
既に恐怖の中で、少しばかりの好奇心が生まれていた。
……衝動は抑えられないものだ。
そっと落ちていた枝で突いてみる。
…ピクリともしなかった。
一回転、くるりと寝返りを打たせてみる。
…ピクリともしなかった。
なんだ、もう動かないのか。
少年は代わりの手を投げ捨てて立ち上がった。
何故か少し気落ちしている自分自身に疑問を抱く。
確かに動くなと願ったのに。 叶ったら叶ったで、つまらないと思うのは何故だろう 。 何故なんだろう。
すぐ横を駆け抜けていった車が、風を呼んで少年の頬に触れていく。
クシャ…
これでもかと照らす太陽は大気をも温めていた。肌を撫でる風も………。 遅れて聞こえてきた。
何だ、今の音?
少年が振り返ると。__五メートル程先で、蝉が潰れていた。
「 …………ン゛…。」
タン、タンッ。
逃げ出したサッカーボールが、薄暗いフローリングの上を転がっていく。
蝉達が広大な空を羽ばたける日数は、両手にも満たないと言う。
青年もそれを知っていた。
掲げた手を閉じる、開く。閉じる 。
手持ち無沙汰な指先を不揃いに動かしてみた。
そういえば。こうやって、親指から順に手を開いていく数え方はアメリカ式と呼ぶんだったっけ。
「いち、に、さん、……」
薬指を立てるのが難しい。
まるで蝉が、新たな日を迎えることを拒んでいるみたいに。
なんとか四日目を数えることに成功したが、どうしても薬指と一緒に小指も着いてきてしまう。
「……よんご、ろくなな。」
まるで蝉が、生きることへの執着をなくしたみたいに。
蝉は煩わしい、鬱陶しい生き物だ。
多くの人が彼らを唾棄し、彼らを「不幸せ」だと、「可哀想」だと言う。憐憫の情を寄せる。
人生の大半を大地の中で過ごす。自由という自由はほんの僅かで、刹那に過ぎない。
潰れた蝉は無数の蟻に食われて、気付けば姿を消している。
孤独と寂寥の美術館。
その真ん中で少年が壁にかかった一枚の絵画を眺める。
コンクリートに張り付いた蝉の亡骸が鮮明だ。
いつまでも鮮やかに色付けられたそれが、
塗り潰しても浮き上がる灰色の記憶が。
孤独の二文字を重く、重く押し付けてくる。
ひとり、視界いっぱいの青空で最期を迎える蝉のようだ。__「俺は」。
#神様の宴