テラーノベル
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ここ最近、楽屋には、以前とは少し違う空気が流れていた。仕事そのものは何も変わっていない。
朝早くから集合して、メイクをして、撮影をして、合間には5人でくだらない話をする。
スタッフから「本番5分前です」と声をかけられれば、慌てて立ち上がって現場へ向かう。
外から見れば、いつも通りの5人だった。
けれど、その中にいる4人だけが感じていた小さな違和感があった。
仁人が、最近何かを隠している。
何度かマネージャーに呼び出されていることも、そう思う理由の1つだった。
「何の話だったの?」と聞いても、仁人はいつも困ったように笑って、「ちょっと仕事の話」としか答えない。
それ以上聞けば話してくれそうな雰囲気なのに、どこか踏み込ませないような線がある。
4人は、それを少し気にしていた。
特に勇斗は、仁人がマネージャーに呼ばれる回数が増えていることに気づいていた。
それでも、本人が話したくないのなら無理に聞くことでもないと思っていた。
その日も、5人での撮影を終えたあと、仁人だけがマネージャーに呼び止められた。
「吉田くん、ちょっといい?」
「はい」
仁人は持っていたペットボトルを机の上に置き、マネージャーの後をついていった。
4人はその背中を何となく目で追った。
「また呼ばれてるね」
舜太がぽつりと言った。
「最近多いよね」
柔太朗もそう答えた。
太智は何も言わず、閉じていく楽屋の扉を見つめていた。
勇斗も同じだった。
ただ、誰もその時点では、まさかその会話が自分たちの関係を大きく変えることになるとは思っていなかった。
楽屋から少し離れた場所にある会議室。
扉が閉まると、廊下の音が遠くなった。
仁人はマネージャーの向かいに座り、机の上に置かれた資料へ視線を落とした。
ここ数日、相談している問題についての資料だった。
メンバーの一人に届き続けている、匿名の嫌がらせ。
最初は軽いものだった。
けれど、日を追うごとに内容が悪質になっている。
犯人にはなんとなく目星はついている。
たぶん俺たちの共演者。
けれど、まだ確定では無い。
本人は何も知らない。
仁人は、本人には伝えたくなかった。
犯人が誰なのかまだ確実には分かっていない段階で、余計な不安を与えたくなかったからだ。
「やっぱり、このまま放っておくのは危ないと思う」
マネージャーが静かに言った。
仁人は資料を見つめたまま、小さく頷く。
「……はい」
「本人にも話した方がいいんじゃない?」
「もう少しだけ待ってください」
仁人の声は落ち着いていたが、その表情には疲れが滲んでいた。
「まだあの人が犯人だって確定してないですし。何も分からないまま伝えたら、たぶん余計に怖がると思うので」
「でも、吉田くんが一人で抱えることじゃないよ」
「分かってます」
仁人は一度言葉を切った。
机の上に置いた自分の手を見つめる。
それから、少し迷うように口を開いた。
「……最近、あの人と一緒にいるのがちょっと怖くて」
「怖い?」
「でも、仕事上どうしても一緒にいなきゃいけないから……」
犯人だと思われる人はよく共演する人だった。
そのため、嫌でも顔を合わせなければいけない。
それが、仁人にとっては怖かった。
***
マネージャーと仁人の会話が、偶然廊下を通りかかった勇斗の耳に届いた。
足が止まる。
勇斗は別の用事で廊下を歩いていただけだった。
会議室の扉は閉まっているため、中の様子は見えない。
ただ、わずかに聞こえた声だけが耳に残った。
怖い。
仁人が、誰かと一緒にいることを怖いと言った。
勇斗はしばらくその場に立っていた。
聞いてはいけない。
そう思って、すぐにその場を離れた。
けれど、頭の中では何度も仁人が発した言葉が繰り返されていた。
『最近、あの人と一緒にいるのがちょっと怖くて。
仕事上、どうしても一緒にいなきゃいけない。』
勇斗の胸に、嫌な予感が広がっていった。
「……なあ」
楽屋に戻ってきた勇斗は、3人がいるところへ戻ると、しばらく黙ったまま立っていた。
「どうしたん?」
太智が顔を上げる。
勇斗は迷った。
本当なら、聞かなかったことにした方がいい。
でも、自分だけが知っているのも落ち着かなかった。
「さっき、仁人とマネージャーが話してるの聞こえた」
「何て?」
柔太朗が尋ねる。
勇斗は少し言葉を選んだ。
「……最近、あの人と一緒にいるのがちょっと怖いって仁人が言ってた」
空気が変わった。
太智が持っていたスマホから視線を上げる。
「……怖い?」
「うん」
「誰のこと?」
「そこまでは聞いてない」
4人の間に沈黙が落ちる。
楽屋の外から、スタッフの話し声が微かに聞こえていた。
「でも、仕事上どうしても一緒にいなきゃいけないって言ってた」
勇斗が続ける。
仕事上一緒にいなければならない相手なんて、メンバーがいちばん当てはまる。
「……俺、最近仁人と揉めたからな」
太智がぽつりと言った。
少し前、仕事の進め方について2人の意見がぶつかったことがあった。
大した喧嘩ではなかった。
その日のうちに普通に話せるようになったと思っていた。
けれど、もし仁人がまだ気にしていたとしたら。
「俺も、この前ちょっと言いすぎたかも」
柔太朗が呟く。
舜太は何も言わなかった。
ただ、膝の上で手を握っている。
勇斗も黙っていた。
実は、勇斗自身にも心当たりがあった。
最近、仁人が何度か勇斗に何かを相談しようとしていた。
けれど忙しくて、あまり聞くことができなかった。
もしかしたら、それを仁人は根に持っているのかもしれない。
「……俺のことだったら、どうしよう」
誰かがそう言った。
それを否定する人はいなかった。
4人とも、自分かもしれないと思っていた。
それが、始まりだった。
***
翌日から、4人の態度が変わった。
ほんの少し。
本当に、ほんの少しだけだった。
「仁人、今日帰り一緒に……」
勇斗がそこまで言って、言葉を止める。
仁人が振り向く。
「ん?」
「……いや、何でもない」
「そ?」
仁人は不思議そうに首を傾げた。
その日の帰り、4人は先に楽屋を出た。
仁人だけが少し遅れて残った。
鏡の前に座り、ゆっくり荷物を鞄へ入れていく。
楽屋には誰もいない。
さっきまで5人の声で満たされていた空間が、嘘のように静かだった。
「……なんだよ」
仁人は小さく呟いた。
最近、明らかにおかしい。
話しかければ普通に返事はしてくれる。
笑いかければ笑ってくれる。
それなのに、以前のように近づいてはこない。
5人でいるはずなのに、気づけば仁人だけが少し外側にいる。
その理由が分からないことが、一番苦しかった。
数日後。5人で食事をしていた。
いつもなら料理を囲みながら、誰かが話し始めれば自然と全員がその話に乗っていく。
けれど、その日は違った。
太智が話している間、勇斗と柔太朗は時々視線を交わしている。
舜太も何か言いたそうにしている。
仁人は箸を動かしながら、その様子を何度も見ていた。
「……ねえ」
4人がこちらを見る。
「最近、みんな変じゃない?」
仁人は笑いながら言った。
暗い表情を隠すために。
「そう?」
「うん。なんか、俺のこと避けてない?」
「そんなことないって」
その言葉には少し違和感があった。
「ほんと?」
「ほんとほんと」
「……ならいいけど」
仁人も笑った。
けれど、その笑顔はどこか寂しそうだった。
4人はそれを見て、余計に何も言えなくなった。
仁人は何かを隠している。
自分たちのことを怖いと思っている。
そう思い込んでしまっていた。
***
それからさらに数日。
仁人の我慢が限界に達した。
仕事が終わった夜、楽屋には5人だけが残っていた。
外はもう暗く、窓には室内の明かりが映っている。
4人が帰り支度をしている中、仁人は鞄を持ったまま立っていた。
「……俺、なんかした?」
突然の言葉に、4人の動きが止まった。
「え?」
勇斗が振り向く。
「最近、みんな俺のこと避けてるよね」
「そんなこと……」
「あるじゃん」
仁人は笑おうとした。でも、うまく笑えなかった。
「俺、何かしたなら言ってほしい」
沈黙。
誰も答えられない。
仁人はその沈黙だけで、ある程度察してしまった。
「……やっぱり何かあるんだ」
仁人はそう呟き、唇を噛む。
その様子を見た太智が迷った末に口を開く。
「この前、マネージャーと話してたじゃん」
「うん」
「……『怖い』って」
仁人の顔から、表情が消えた。
「……聞いたの?」
「聞こえた。誰のこと?」
勇斗の問いに仁人は黙った。
言えない。まだ言ってはいけない。
そう思った。
けれど、その沈黙が4人には違う意味に見えた。
「……俺?」
太智が聞く。
「違う」
「じゃあ勇斗?」
「違うって」
「俺?」
「……違う」
「じゃあ、舜太?」
「違うよ」
仁人の声が少し震える。
「本当に違うから」
「じゃあ誰なの?」
勇斗が尋ねるが、仁人は俯いた。
「……言えない」
4人の顔が曇った。
「なんで?」
「今は言えない」
「俺らには言えないんだ」
その言葉に、仁人が顔を上げる。
「そういう意味じゃない」
「じゃあどういう意味?」
「……」
仁人は答えられない。
自分たちを守るために黙っていたことが、逆に自分たちを傷つけている。
そんなことには気づけなかった。
「俺らの誰かなんだろ?」
「違う!」
今度は、仁人がはっきりと声を上げた。
けれど、4人の表情は晴れなかった。
「……俺らのこと嫌いなら、そう言えばいいじゃん」
舜太の言葉が落ちた。
仁人の目が揺れる。
「嫌いじゃない」
「じゃあ何なんだよ」
「だから違うんだって……」
仁人の声が掠れる。
「俺が何言っても、もう信じてくれないでしょ」
その言葉に、4人は黙った。
仁人はしばらく4人を見つめていた。
そして、諦めたように視線を落とした。
「……もういい」
鞄を肩にかけて仁人は帰ろうとする。
「仁人……」
勇斗が呼び止める。
けれど仁人は振り返らなかった。
扉が静かに閉じる。
その音だけが、妙に大きく楽屋に響いた。
***
その夜。仁人の部屋には、テレビの音もついていなかった。
帰ってきてから電気をつけたものの、何かをする気にはなれず、ソファに座ったままスマートフォンを眺めている。
グループLINEには、4人の会話が流れていた。
仕事の話だったり、世間話だったり。
そこに自分が入っていないことだけが、ひどく寂しかった。
仁人は文字を打つ。
『さっきはごめん』
数秒見つめて、消す。
『俺、みんなのこと嫌いじゃないから』
それも消す。
何度も文章を作っては消した。
結局、送ったのは、
『おやすみ』
それだけだった。
すぐに既読が4つついた。
けれど、返信はなかった。
仁人はスマートフォンを伏せた。
静かな部屋の中で、時計の音だけが響いている。
いつもなら、誰かから「おやすみ」と返ってくる。
たったそれだけのことが、今日はどうしようもなく遠かった。
仁人は俯き、両手で顔を覆った。
肩が小さく震える。
誰にも見られない場所で、声を押し殺すように泣いた。
***
翌日。仕事終わりに4人はマネージャーに呼ばれた。
仁人はもう楽屋を出てここにはいなかった。
マネージャーは少し困ったような表情をしていた。
「吉田くんが言っていた『怖い』って話、聞いた?」
4人は顔を見合わせる。
「……はい」
「君たちの誰かのことじゃないよ」
「え?」
4人の顔から血の気が引いた。
マネージャーは、これまで仁人が相談していたことを一つずつ説明した。
メンバーの一人に届いていた匿名の嫌がらせ。
それを仁人が偶然知り、1人でスタッフに相談していたこと。
本人を不安にさせないために、誰にも話さないように頼んでいたこと。
そして今日、ようやく相手が特定されたこと。
「吉田くん、ずっと『本人にはまだ言わないでください』って言ってたんだよ」
その言葉を聞いた瞬間、4人は何も言えなくなった。
自分たちは、仁人が自分たちの誰かを怖がっていると思っていた。
だから距離を置いた。
傷つけられる前に、自分たちも距離を置こうと思った。
けれど実際には、仁人はその逆だった。
自分たちを守るために、ずっと一人で動いていた。
「……俺ら、何してんだろ」
太智が呟き、柔太朗は俯いた。
「ちゃんと聞けばよかった」
舜太は唇を噛んでいた。
勇斗の頭には、昨日の仁人の顔が浮かんでいた。
――俺が何言っても、もう信じてくれないでしょ。
あの言葉が、何度も胸に突き刺さった。
「仁人、どこ?」
勇斗がマネージャーに尋ねる。
「もう外出て行ったよ。さっきまで一緒に話してたから、多分まだ近くにいると思う」
4人は荷物を持ってすぐに楽屋を飛び出した。
***
少し離れた公園。
昼を過ぎたばかりの空は青く、木々の間から差し込む陽射しが遊歩道にまだらな影を落としていた。
ベンチに、仁人が一人で座っていた。
手には飲みかけのペットボトル。
けれど、ほとんど口をつけていない。
4人は少し離れた場所で立ち止まった。
誰が最初に声をかけるか、互いに顔を見合わせる。
やがて勇斗が一歩前に出た。
「……仁人」
仁人が振り返る。
4人を見つけると、少しだけ目を見開いた。
「……何?」
勇斗は何も言わず、仁人の前まで歩いた。
「ごめん。全部、俺らの勘違いだった」
「……」
「スタッフさんから聞いた」
その言葉を聞いて、仁人は少しだけ目を伏せた。
「そっか」
それだけだった。
「本当にごめん。俺ら、勝手に『自分たちのことだ』って思い込んで、仁人を避けた」
「……うん」
「ちゃんと聞けばよかった」
柔太朗が後悔しているような顔でそう言う。
「仁ちゃんが困ってたのに、俺ら……」
舜太の声が震えた。
仁人はしばらく何も言わなかった。
風が吹き、木の葉が静かに揺れる。
やがて仁人が、小さく息を吐いた。
「俺……みんなに嫌われたと思った」
4人の胸が痛んだ。
嫌っていたわけではない。嫌いになるわけない。
けれど、自分たちの態度は仁人にそう思わせてしまっても仕方がなかったと思う。
自分たちが仁人に嫌われていると勝手に思って、距離を置いてしまっていた。
「何日も避けられて、話しかけても距離置かれて……俺、何したんだろうってずっと考えてた」
仁人の声が少しずつ震える。
「俺、みんなのこと悪く言ったりしないよ」
「分かってる」
勇斗が答える。
仁人は涙を堪えるように目を伏せた。
「……今は分かってるだけでしょ」
誰も否定できなかった。
「昨日まで、分かってなかったじゃん」
「……うん」
「ずっと一緒にいたのに」
仁人の頬を、一筋の涙が伝った。
勇斗は拳を握りしめる。
「ごめん」
もう一度、頭を下げた。
「勝手に決めつけて、仁人を1人にした」
太智も柔太朗もそれに続く。
「疑ってごめん」
「避けてごめん」
「俺も、本当にごめんなさい」
舜太も頭を下げた。
仁人は4人を見つめた。
その目にはまだ寂しさが残っていた。
けれど、少しずつ表情が柔らかくなっていく。
「……もういいよ」
小さな声だった。
それでも4人には十分聞こえた。
「よくない。俺たちが勝手に傷つけたんだから」
「……」
柔太朗は仁人をまっすぐ見た。
「何かあったときは、勝手に決めつけない。ちゃんと聞く」
「仁ちゃんは1人で抱え込むの禁止」
舜太は勇斗の言葉に付け加える。
「5人なんだから、一緒に考えればいいだろ」
その言葉に、仁人の目からまた涙が落ちた。
けれど今度は、泣きながら少し微笑んでいた。
「……じゃあ」
仁人が袖で涙を拭う。
「もう一回だけ、信じてあげる」
勇斗が少し笑った。
「一回だけ?」
「……嘘。ずっと信じる」
その言葉を聞いて、4人もようやく笑った。
公園を出る頃には、夕方が近づいていた。
5人は並んで歩いていた。
数日前まで感じていた妙な距離は、もうなかった。
くだらないことで言い合い、笑っている。
仁人もその様子を笑いながら見ている。
「……なあ」
「ん?」
仁人の呼び掛けに太智が振り返る。
「今度から、ちゃんと俺の話聞いてよ」
「当たり前やん。もう勝手に勘違いないって」
「ほんとに?」
「ほんとほんと」
4人が口々に答える。
仁人は呆れたように笑った。
「……頼むからね」
夕暮れの光が、5人の足元に長い影を作っていた。
その影は5つ。
離れることなく、同じ方向へ伸びている。
仁人はそれを少しだけ眺めてから、隣を歩く四人に笑いかけた。
「……5人でいられてよかった」
誰かが「何、急に」と笑った。
別の誰かが「恥ずかしいこと言ってる」とからかう。
仁人は「うるさい」と笑い返す。
いつもの声。
いつもの笑い声。
いつもの5人。
今度こそ、誰も勝手な想像で離れない。
何かあれば、ちゃんと聞く。
5人でいるために。
5人だからこそ。
そうして彼らは、いつものようにくだらない話をしながら、夕暮れの街を歩いて帰っていった。
コメント
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読ませていただきました……。 すれ違いって、ほんとに少しのことで起きちゃうんだなって思いました。仁人が一人で抱え込んでたのはメンバーを守りたかったからで、なのにその優しさがすれ違いを生んじゃうのが切なかったです。「俺が何言ってももう信じてくれないでしょ」の台詞がすごく刺さりました…… 最後、ちゃんと向き合って、また5人で笑えるようになってよかったです。みかんさんの心情描写、すごく繊細で引き込まれました。 続きがすごく気になります……!
みかん
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