基本的に、私は休みの日は家でゆっくりとしている。
ラナキンス商会が紹介してくれた住まいは、集合住宅の一種だ。
貴族だった時と比べると、部屋はかなり狭い。故に初めは、私も圧迫感を覚えていた。
しかし慣れてしまえば、そんなことは気にならなくなった。ここは既に、私の憩いの場所である。
「まあ、一つ不満があるとしたらお風呂とかかしら……毎日入れないというのは、結構辛いわね。でも無駄遣いする訳にはいかないし、我慢するべきよね」
一人暮らしを始めた私は、できる限り節約することにしている。お母様の遺産があるとはいえ、豪遊することはできない。何があるかはわからないし、蓄えは多い方がいいのだ。
「さて、今日も買い物に出かけるとしますか」
部屋の鍵を閉めて、私はゆっくりと階段を下りていく。
昔はシェフが作ってくれていた食事も、今では自分で作っている。故に毎日の買い物も日課のようなものだ。
そんな風に、私は平民としての生活に段々と順応している。初めはわからないことも多くて、色々と苦戦したものだが、様々な人に助けてもらって、私は楽しい日々を過ごせているのだ。
「……あら?」
そこで私は、町の一角で辺りを見渡している若い男性を発見した。
彼は、手元の紙と周囲の景色を交互に見ている。どうやら地図と実際の地を照らし合わせているようだ。
「あの、大丈夫ですか?」
「え?」
困っているようだったので、私はその男性に声をかけてみることにした。
すると彼は、驚いたような顔をする。急に話しかけられたのだから、それは当然だ。そのため私は気にせず彼に質問をする。
「困っているように見えたのですけれど、もしかして道に迷われましたか?」
「ええ、実はそうなんです。恥ずかしながら、道がわからなくなってしまって……」
「よかったら道案内しますよ?」
「え? よろしいのですか?」
「ええ、困った時はお互い様ですからね」
私の提案に、男性はその表情を輝かせた。
端正な顔立ちの彼の笑顔には、それなりの威力がある。
ただなんというか、その笑顔は子供のようにも見えてきた。それだけ不安だったということだろうか。彼の表情からは、安堵が伺える。
「それならよろしくお願いします。実は方向音痴でして、このままでは目的地に辿り着けないと絶望していた所なんです」
「そうなんですか……」
男性は、とても大袈裟だった。
確かに道に迷うと不安になるかもしれないが、流石に絶望する程ではないだろう。
この時の私は、そんな風に呑気に考えていた。ただ、後々のことを考えると彼のその性質は本当に絶望するに値するものだったように思える。
何はともあれ、私はそこで出会ったのだ。今後私の運命を大きく変える人物に、出会えたのである。
「えっと、それで目的地はどこなんですか?」
とりあえず私は、男性に目的地を聞いてみることにした。
まだまだ新参者であるため、私もこの町について熟知している訳ではない。
そのため、少し不安もあった。私の知っている所ならいいのだが。
「ラナキンス商会の拠点に行きたいんです」
「え?」
そこで私は、男性から告げられた場所に驚いた。彼が告げてきたのが、私が普段働いている場所だったからだ。
当然そこなら、私も確実に案内することができる。しかし奇妙な偶然だ。まさか、お客様と休日に会うなんて思っていなかった。
「どうかされましたか?」
「あ、いえ、実は私、そのラナキンス商会で働いていまして」
「おや、そうだったんですか?」
「ええ、今日は休日だったんですけどね」
「ああ、それは申し訳ないことをしてしまいましたね……」
「ああいえ、お気になさらず」
男性のことがわかったため、私は意識を仕事に切り替えることになった。
せっかくの休日が潰れてしまうのは、正直とても残念だ。ただ、困っているラナキンス商会のお客様を助けられるというのは幸いとも考えられる。
お世話になっていることもあって、私はラナキンス商会にはこれからも発展してもらいたいと思っている。そのため無事にお客様を届けられそうなのは、よかったと思う。
「すみません。この埋め合わせは、いつか必ずしますから」
「本当に気にしないでください。そもそも、休日だろうとなんだろうと困っている人を見過ごせませんよ」
「……あなたはお優しい方なのですね?」
「いえいえ、私は当然のことをしているだけですから」
「立派な方ですね……僕も見習わないと駄目ですね」
私に対して、男性はとても申し訳なさそうにしていた。
ただその態度に、私は少し違和感を覚えていた。なんというか、彼の立場があまり理解できないのである。
本当に、彼はラナキンス商会のお客様なのだろうか。ここにきて私は、それがわからなくなってきた。
「えっと……まあ多分、ここなら二十分くらいで着くと思います。あ、待ち合わせの時間などは……」
「ああ、それは大丈夫です」
「そうですか。それなら行きましょうか?」
「ええ、どうかよろしくお願いします」
男性は、私にゆっくりと頭を下げてきた。
その丁寧な一礼に、私は苦笑いを浮かべてしまう。そんなに大袈裟なことではないと思うのだが、彼は本当に真摯な対応だ。
こうして私は、道に迷っている男性をラナキンス商会まで案内するのだった。
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!