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四月。入学式からわずか一週間。
まだ教室の空気も、制服の匂いも、新しい。
俺──笹原悠真は、昼休みに食堂へ行こうとしていた。けれど、その途中で足が止まった。
廊下の窓際に、ひとりで立つ背の高い男子がいたからだ。
黒髪は長めで、光の加減で青みがかって見える。少し伏せた視線の奥に、何を考えているのか読み取れない。
その佇まいだけで、廊下が彼のための舞台みたいになっていた。
「……二宮先輩。」
同じクラスの女子が小声でつぶやくのを聞き、俺は名前を知る。
二年生。運動も勉強もできて、顔も良い──そして“滅多に笑わない”ことで有名らしい。
彼がふっとこちらを見た瞬間、目が合った。
「……お前、一年?」
低く落ち着いた声。思わず頷くと、彼は窓から目を離し、ゆっくり近づいてきた。
靴音がやけに響く。距離が一気に詰まった気がして、息が詰まる。
「君、名前は?」
「……笹原悠真、です。」
「ふーん。」
その“ふーん”が、妙に意味深に聞こえた。
何かを見透かされたような──いや、値踏みされたような感覚。
それから数日、奇妙なことが続いた。
下駄箱を開けると、誰かの視線を感じる。振り向くと、少し離れたところに二宮先輩が立っている。
放課後の図書室でも、屋上へ続く階段でも、偶然を装ったように会う。
そのたびに、先輩は長い指で俺の髪をつまんだり、肩を軽く叩いたり、距離感が近すぎる。
ある日の放課後、俺は勇気を出して聞いた。
「先輩、なんで俺に構うんですか。」
窓際で西日を浴びていた先輩が、ふっと笑った。
その笑顔が、初めて見る種類のものだった。
「お前、面白いから。」
「……面白い?」
「驚いた顔も、睨んだ顔も、全部見たくなる。俺、そういうの滅多に思わないんだよ。」
心臓が嫌な音を立てる。からかわれているのか、本気なのか、判断がつかない。
けれど、先輩の視線だけは真っすぐで、逃げ場がなかった。
翌週の金曜、校舎は嵐の前触れのような曇天だった。
昼休み、俺が教室を出ようとすると、廊下に先輩が立っていた。
「ちょっと来い」とだけ言い、階段を上がっていく。
辿り着いたのは屋上の扉前。施錠はされていたが、先輩はその隣の小さな倉庫に入った。
狭い空間に二人。距離は半歩。心臓が跳ね上がる。
「笹原。俺、お前のこと──」
そこでチャイムが鳴る。
先輩は言葉を切り、俺の頬に指先を触れさせた。
「……今はまだ、言わない。」
「え……」
「もっとお前を知ってからにする。逃げんなよ。」
耳元で囁く声が低くて、全身に震えが走る。
その瞬間、外から吹き込んだ風が、倉庫の中に先輩の匂いを広げた。甘く、少し冷たい匂い。
その日から、俺は先輩を“意識しないようにする”ことができなくなった。
廊下で目が合うだけで、胸の奥が熱くなる。
気付けば、彼の一挙手一投足を追っている自分がいる。
──でも、先輩が本当に何を考えているのかは、まだわからない。
だからこそ、もっと知りたくなる。
灰色の廊下で佇む彼を、もう一度見たくなる。
その先に何が待っているのかも知らずに。