彼女はこのまま自分の汚いところを隠して、有賀さんと付き合って行くつもりなの?
その為なら他人の気持ちなんて関係無いと思ってるの?
……本当の事を言ってしまおうか。
私と湊は水原さんが原因で別れたって。
湊と水原さんはつい最近まで付き合っていたって。
衝動的に暴露してしまいたくなる。
でも……怒りの中にも僅かに残った理性がそれを止める。
私が余計なことを言わなければ、この場は丸く収まるし、有賀さんが傷付かずに済むと分かっているから。
このまま何も答えず帰ってしまおうか。
そんな考えを湊の大きな声が遮った。
「卑怯な言い方するなよ!」
険しい湊の表情に、その場の空気が凍りつく。
「それは、どういう意味だ?」
有賀さんが湊に言う。
いつもの穏やかな様子からは考えられない冷たい声。有賀さんを初めて恐いと思った。
でも湊が怯んだ様子は無かった。
「奈緒の言い方が卑怯だって言ったんだ」
「……なぜ?」
「ま、待って!」
水原さんが慌てた様子で二人の会話を止めようとする。
でも湊は止まらなかった。
「美月と付き合ってたのは本当だけど、奈緒との関係が原因で別れたんだ。それなのに自分は無関係って態度は卑怯だろ?」
私が言いよどんだ事実を、湊はあっさりと言ってしまった。
有賀さんの目がゆっくりと細くなる。
「彼女が原因とはどういう意味だ?」
有賀さんの問いに、湊は吐き捨てる様に言う。
「奈緒と関係したのが美月にばれたんだよ。それで別れた」
「……湊!」
水原さんの悲痛な声。
酷くショックを受けてるんだと分かった。
私もかなり衝撃を受けていた。
湊は私と別れる前の水原さんとの関係は断固として否定していたのに。
そんなことも忘れた様に感情的に暴露した。
何も無かった訳無いって頭では分かっていたけど、こんなにはっきりと気遣い無く裏切りを告白されると辛かった。
「あんた今の彼氏だろ? 知らなかったみたいだから教えてやるけど、奈緒は見かけよりしたたかだよ」
湊は憎しみの籠もった目で水原さんを睨みながら言う。
その様子直視するのは苦しかった。
湊の全身から負の感情が溢れている様だった。
理性を失った様に、怒りを有賀さんにまで向けている。
それだけ水原さんへの想いが強かったって事?
水原さんと新しい恋人の幸せが許せなくて攻撃せずにはいられないってこと?
裏切られて辛い気持ちは私は良く分かっている。
本気で有れば有るほど苦しい。
自分を全否定された様でなかなか立ち直れない。
私は雪斗が側で支えてくれたけれど、湊の側には誰も居ないようだし苦しみから抜け出せないのかもしれない。
でもこんなことって……気持ちは分かっていても、湊が卑屈に、見苦しく見えて仕方ない。
このことが原因で有賀さんが水原さんから離れて行くかもしれないけど、湊は満足するのかな?
やりきれない気持ちで湊から目を反らす。
真っ青になっている水原さんと、強張った表情の有賀さんが視界に入る。
あんなに幸せそうにしていた有賀さんの顔が酷く強張っていてかける言葉が見つからない。
きっと傷付いてるに違いない。
水原さんにも湊にも怒りを感じてるんだろう……そう思ったのに有賀さんは水原さんに向って優しく微笑みかけた。
な、なんでこんな場面で笑えるの?
……呆れ過ぎて逆に笑ってるの?
驚く私達の前で有賀さんは優しい声で言った。
「過去に何が有ったかは知らないけど、今の奈緒さんの事は信じているよ」
「……有賀さん」
有賀さんの言葉に応える彼女の顔は泣きそうだった。
悲しみじゃなくて安心と喜びの涙。
こんな修羅場で知られたくない過去まで暴露されたら、付き合いが駄目になってしまってもおかしくない。
水原さんもきっとそう考えたんだと思う。
でも有賀さんは少しも揺らがなかった。
湊の話を信じていないってこともあるかもしれないけど、それよりも今の彼女を信じた。
自分の目で見て来た彼女を。
二人がどんな付き合いをしているのか想像出来ない。
でも有賀さんにとって水原奈緒さんは信頼する大切な人なんだ。
……なんだかショックだった。
私と湊を振り回して傷つけて、不誠実でしかない思っていた彼女が、今の恋人の絶大な信頼を得ている事が。
危うい関係だと思っていた有賀さんと水原さんが、実は強い絆で繋がってたことが。
「……なんだよ、それ……」
湊も二人の姿に圧されたのか、声を震わせ呟く事しか出来ない様だった。
寄り添いながら去って行く二人の後ろ姿を湊と二人で見送った。
……こんな惨めな気持ちになるなんて。
私は今起きた出来事の当事者じゃ無かった。
それなのに酷い敗北感に苛まれている。
有賀さんと水原さんに負けた私と湊……実際は勝ち負けなんて問題じゃないと分かっているけれど。
湊もそんな風に感じているのかもしれない。
蒼白な顔でいつまでも二人が去って行った方向を睨んでる。
どれ位の時間が経ったのか、湊が私の存在を思い出した様に言った。
「あいつら人を馬鹿にしてるよな」
吐き捨てる様な声。
それに何て応えればいいのか分からなかった。
平静でいられない気持ちは分かるけれど、二人に馬鹿にされたんじゃないと分かっているから。
あの二人……特に有賀さんは湊のことなんて意識していなかった。
そして私は完全に部外者だった。
「何で黙ってるんだよ、美月もムカついただろ?」
イライラとした湊の声。
「湊……もう止めてよ。言えば言う程惨めになるだけだよ、湊だって分かってるでしょ?」
しっかりとした想いを持った有賀さんには湊が何を言っても無駄だ。私が水原さんの酷さを訴えても同じ。
別に湊を慰める気は無いけど、帰り道は一緒だった。
駅に向かい同じホームで電車を待つ。
「何で上手くいかないんだろうな」
湊が独り言の様にポツリと言った。
「水原さんとの事?」
「何もかもだよ。奈緒の事も、仕事の事も、家の事も……美月の事も……」
湊は俯きながら言う。
「前は良かったよな……あれからそんなに時間は経って無いのに、なんでこんなことになったんだ?」
独り言なのか、私に問いかけてるのか分からなかった。
湊が良かったって言うのが、いつの話なのかも。
でも、湊が酷く後悔して、現状に苦しんでるのは伝わって来る。
「俺が何をしたんだよ?」
湊は今度は私を真っ直ぐ見つめながら言った。
「何をしたって……」
水原さんとの間に何が有ったのかは知らないけれど、私は酷い事をされたと思っている。
でも、今更改めて言う気になれなかった。
今の湊に私の辛かった気持ちなんて伝わらない。
それにもう私は分かってる。
湊は私に悪意が有った訳じゃなく自分の幸せを追求しただけだって。
「美月が奈緒とのことを騒ぎ出してから何もかもおかしくなった……どうして放って置いてくれなかったんだよ」
湊の言葉は私に向けてる様で実は違う。
思うまま不満を口に出してるだけだって頭では分かってる。
でも私には、ずっと黙って聞いていられる程の心の余裕は無かった。
「湊は本当に自分のことばかりだよね」
つい責める様な言葉を口にしてしまった。
当然湊は気に障った様で私を睨んで来る。
今までこんな事は何度も有った。
湊の主張が許せなくて、私が反論して。
進歩の無い争いをした。もう繰り返したくない。
「湊が今辛いんだって事は分かるけど、全て私のせいにしたって何も変わらないよ」
「……」
「もしあの時私が湊と水原さんの事を責めなかったとして、上手くいっていたと思う? 私との関係と水原さんの件は別問題でしょ?」
「……奈緒は美月の事で罪悪感を持ってたから……それから上手くいかなくなったんだよ」
「彼女が本当に湊を必要としてたら、そんな理由で離れる訳無いよ」
水原さんの私から見ると意味不明な行動も、おそらく彼女にとっては自分の幸せを追及した結果だ。
あの彼女が自分の幸せを私への罪悪感なんかで諦める訳が無い。
ただ湊は必要無くなった。それだけなんだと思う。
「湊だって分かってるでしょ?」
誰だって幸せになりたいに決まってる。
湊が私を裏切ったのだって、きっと水原さんだけが原因じゃない。
湊は私と居ても幸せじゃ無かったんだ。
長い付き合いでゆっくりと気持ちは離れていって……私の気持ちは変わらなくても二人の関係は変わって行った。
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