「恐れながら、王子……」
「ん?どうしたんだい。そんなに顔を強張らせて」
クリストファーは、ニヤニヤと意地悪く笑う。
これが王宮外なら、迷わずウィレイムは「お前なぁっ」と声を荒げただろう。しかし今は、感情のままに振る舞うことは許されない。
ウィレイムは大きく深呼吸をして、苛立つ気持ちを押しつぶしてから口を開いた。
「ちょっと仕事疲れのせいで、うまく聞き取ることができませんでした。もう一度、お願いできますか?」
「大丈夫かい?君の身体が心配だなぁー。……ああ、すまない、すまない。もちろん言うよ。何度でも」
クリストファーは机の上に置いたままの箱を掴むと、それを軽く振りながらニコリと笑う。
「君の妹君は、仕事を頑張りすぎる兄上を心配して、こっそりコレを街まで買いに行ったそうなんだ」
「なっ」
聞き間違いでないことを確認したウィレイムは、絶句し、項垂れた。
「そんな……マリーが……私に無断で……が、外出したなんて……。嘘だ。……絶対に私は信じない。そうだ夢だ。これは夢だ」
まるで自分に言い聞かせるように、ブツブツと呟くウィレイムに、クリストファーは憐憫の目を向けた。
「まぁ、年頃の娘さんは好奇心の塊だからね。この程度のお転婆は可愛らしいじゃないか。それにクリスがちゃんと護衛して、馬車まで送り届けたから、安心しなよ」
「なにを安心すればいいと?野獣と街を歩いたんですよ!?何もないなんて思えるわけないですっ」
「野獣って……それ、クリスにひどくない?」
「これでも、だいぶ婉曲に言ってますっ」
「あー……そう」
噛みつかんばかりに食って掛かるウィレイムに、クリストファーは微妙な顔をした。
ごく僅かな人間しか知らないことだが、クリスとクリストファーは同一人物である。
同じ国に母親が違う年の近い王子が二人もいるのは厄介事が多いので、表向きはクリストファーは病弱で、自室に引きこもっていることになっている。
しかし実際には宰相補佐の護衛騎士に扮して、自由奔放に動き回っていたりもする。
ウィレイムはクリスを護衛騎士として傍に置いているわけではなく、クリストファー王子のお目付け役なのだ。
ただ、護衛騎士に対してへりくだった態度を取ってしまえば、すぐに怪しまれてしまうので、王宮外では砕けた態度で接している。
ちなみに宰相のシドレイは、クリスとクリストファーが同一人物なのを知っている数少ない一人なので、テンポの良い二人の掛け合いを、適当に聞き流している。
「ああ、言っておくけど、クリスはマリアンヌ嬢とこんな約束したんだ。お兄様には絶対に内緒にするって。だから、妹君を叱っちゃダメだよ。あとクリスも、ね?」
「……マリーはともかく、クリスの件はお約束しかねます」
「うわぁー、クリスが可愛そうだ」
「……」
おお怖いと肩を竦める第二王子に、ウィレイムは無礼と知りながらもジト目で睨んでしまう。
都合良く、クリスとクリストファーを使い分けるこの男に、腹が立って仕方がない。
しかしウィレイムがどんなに腹を立てても、第二王子は気にすることなく話題を変えた。
「でも、良いものが見られた」
「それはどんなものでしょう?」
軽い口調ではあるが、アイスブルーの瞳が剣呑な色を湛えている。
「妹さんの婚約者がもう一人の幼馴染と仲良く腕組んでいるのをね。ま、端的に言うなら浮気現場を見てしまったよ」
「なぜすぐに斬り殺してくれなかったのでしょうか?」
間髪入れずにウィレイムがそう言えば、すぐに横からシドレイが「物騒なことを言うな」と窘めるが、知ったことではない。
それにこの宰相、愛娘アンジェラに粉をかけた貴族青年に対して、厳しい処罰を与えた過去がある。
「そうしたかったんだけどねぇ」
クリストファーもシドレイを無視して、ウィレイムの言葉に半分だけ同意した。
「妹さんがあまりのショックで、ふらついてしまってね。抱き留めるために両腕を使ってしまったから、できなかったんだよ」
「……許可なく、触れたんですか?」
唸るようなウィレイムの物言いに、クリストファーは無実を証明するかのように、両手を軽く上げた。
「無理を言うな。地面にたたきつけられるのを傍観しろと?紳士として、それは絶対にできない」
地面に倒れ込む痛々しい妹の姿を想像してしまい、ウィレイムはつい本音を漏らしてしまった。クリストファーも、同じく。
「……ったく、だからよく考えろと言ったんだ」
「……ったく、だから私の妻になれば良かったんだ」
息がピッタリと合ったのはここまでで、次の動作は異なった。
クリストファーは、眉間に手を当て苦悩混じりに深く息を吐き、ウィレイムは額に青筋を立てて、クリストファーを睨みつけた。
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