コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
「殿下、恐れながら、私は魑魅魍魎が渦巻く王宮に、可愛い妹を放り込ませる気はありません」
ウィレイムはきっぱりと言い切った途端、シドレイが「おい、言葉に気を付けろ」と横から口を挟むが、知ったことではない。
これに関しては、耳にタコができようが、イボができようが、何度だってこの男に言わなくてはならない。
一方、クリストファーは、もう一度溜め息を吐いたかと思えば、すぐに顔をあげて笑った。
「気が合うなぁ。私も、君の妹が辛い思いをするのは見ていられない」
「話がわかる王子で、私は大変嬉しく存じます」
ウィレイムも笑みを浮かべてそう言ったけれど、挑発に近い微笑みだ。
幼馴染であるクリストファーとウィレイムは、互いのことを良く知っている。
クリストファーが冷たい印象を与える容姿とは裏腹に、心根の優しい男で、冷静沈着に物事を判断でき、理不尽なことを他人に要求しないということを。
そして、マリアンヌを誰より愛していることを。
もし仮にクリストファーが、ただの貴族令息であれば、レイドリックからの求婚など足蹴にして、マリアンヌの嫁ぎ先に決めただろう。
けれど、彼は王族だ。引っ込み思案で、繊細な部分があるマリアンヌが、王宮の中で生きていくのは容易いことではない。
それはもちろん、クリストファーも知っている。だからこそ、権力を笠に着てマリアンヌを妻にすることはしない。
……しないつもりだ。このままレイドリックとの縁談が破局してくれるならば。
「でもね、私はあんなクズ男にくれてやる気はないからね」
「奇遇でございます。わたくしも、厄介な男に嫁がせる気はございません」
厄介な男の部類にクリストファーが含まれていることは、本人も自覚しているが、同意するつもりはない。
「悪いが君の護衛は、当分休ませてもらう。しばらくは、自由にさせてもらうよ」
駄目だと言ったところで相手は王族だ。ウィレイムには止める権利など無い。
なのに、わざわざ宣言するということは、多少なりとも自分に関わることに間違いない。
「……ほどほどにお願いします」
精一杯の拒絶の意を伝えてみたけれど、クリストファーは低く笑うだけだった。
そして、ずっと手にしていたままの菓子の箱を机に戻す。
「じゃ、仕事の邪魔になりそうだから、これで失礼するよ。ああ、礼はいらない。仕事を続けて」
そう言って、クリストファーはひらりと手を振ると、部屋を出て行った。
最後に「後で、軽食を運ばせよう」と、労う言葉を添えて。
パタンと扉が閉まり、完全に第二王子の気配が消えた後、ウィレイムはシドレイに視線を向けた。
「……宰相殿」
「なんだ」
「この国で、私の家と釣り合う家柄で、私よりも妹を愛してくれて、私よりも将来有望で、ガサツではなく神経質でもなく、それでいて剣の腕が立ち、頭脳明晰で……そして……第二王子が諦めざるを得ない男性をご存知ないでしょうか?」
生真面目にそう問うた自分の部下に、宰相は無情にも「ない」と吐き捨てた。
クリストファーは一人、王宮の奥にある居住棟まで歩いている。
少し長い漆黒の髪は歩くたびに揺れて、月の明かりを受けて星のようにきらめいている。
長い足が動くたびに上着の裾が揺れ、足音に混ざって衣擦れの音がしんとした回廊に響く。
「……嫌われたくないから、大人しくしていたけど、もういいか」
歩みを止めることなく、そう言ったクリストファーの表情は、心を決めた男のそれだった。
そこそこ顔が良い兄の幼馴染みという立ち位置は、妹にとってかなり恋の対象になりやすいはずなのだが、現実はそんなに甘くはなかった。
社交界にデビューするまでは、どうせ誰のものにもならないという余裕があり、クリストファーは気持ちを表に出すことはせず、マリアンヌを見守るだけの存在でいた。
なのに今、顔を合わせる度に、マリアンヌとの間に見えない壁ができているのを感じてしまう。
しかも、ちょっと目を離した隙に、他の男に奪われるなんて。まったく冗談じゃない。
「ウィレイムには悪いが、そろそろ本気を出させて貰おう」
彼女自ら自分の元に嫁ぎたいと言い出せば、ウィレイムは否とは言えないはず。いや、絶対に言わせない。
クリストファーは足を止めて、夜空を見つめる。
アイスブルーの瞳は、煌めく星を見ているようだが、実際にはここには居ない誰かを見ている。
「結構我慢強く待ったけど、もう待たないよ。マリアンヌ。私は君を手に入れることにするよ。どんな手を使っても」
──どうせ、もう嫌われているんだし。
クリストファーは自嘲気味に笑って目を閉じた。
瞼の裏には、愛しい少女の姿が映る。
久しぶりに触れた彼女の身体は、相変わらず華奢ではあったが、女性らしい丸みを帯びていた。大人になったのだ。いつの間にか。
マリアンヌを好きになった理由なんて、ずいぶん昔のことなので忘れてしまった。
けれど、どうしてだろう。
誰にも渡したくないという強い執着は、日増しに強くなっていく。