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【アオハレ】
二話 運動会
*
甲高く鳴り響く、学校のチャイム。
窓の外を見やれば、正門から出ていくランドセルを背負った小さな背中。
教室に残った椋と裕太。
ついでに、残した中山。
「早く帰りたいんだけど」
椋が真正面から言うと、思い切り肘で裕太に突かれる。
「それで、用っていうのは何なんですか?」
中山は机にプリントを並べた。
それを見た途端、椋の顔は歪んでいく。
「運動会?」
「そうです。二人は成績優秀ですし、周りからの信頼も厚い。なので、今年の青組団長、副団長は二人にしようと思います」
ニコッと笑顔を向ける中山。
裕太は嬉しそうでもなく、嫌そうでもない顔。
そしてもちろん、椋はとことん嫌な顔。
「嫌だ。嫌だ嫌だ。他を当たってくれ」
「そう言わずに、ね?」
中山のあったかスマイルは、女子の心を奪い、何でもYesと答えさせてしまう笑顔だが、それは椋には無効だ。
すると、きりがないと見計らった裕太が声を挙げた。
「あの、今まで立候補制だったのに、急にどうして推薦制になったんですか?」
うぐっと中山が仰け反った。
「何かある」と確信を持った椋と裕太は、目付きを鋭くさせる。
「話せ中山。さもなくば今日は家に入れさん」
椋がダークフェイスで言うと、冷や汗を垂らした笑みで中山は事情を吐いた。
「去年まではヒトモノがいなかったですからね、誰が団長をやろうと心配はなかったんです。教師が心配してるのは、演出が成功するかどうかで、ヒトモノがいない頃はただただ練習あるのみ。なので、誰がやろうと構わなかったんですが……。ヒトモノがいつ襲ってくるかもわからないこの時代、信用のない人に団長を任せることはできない、と言ったら、少し言い方がキツいですけど」
成る程、と思った。
つまり、ヒトモノがもし襲って来た際、組をまとめ上げ、犠牲者をより少なくすることができる人が団長、副団長として推薦されるわけだ。
ヒトモノによって、時代は変わりつつあるのだ。
「そうなんですね。だったら俺は、受けますよ」
「……別に、正直私は団長、副団長じゃなくてもよくないか?私がヒトモノ倒せば話は早いじゃん」
白い目で見る裕太。
まるで「いつまで粘ってるんだ」とでも言いたげだ。
中山はしっかりと、まっすぐに椋を見つめて言った。
「ヒトモノは、どういう生態で、どこまで危険なのかもわからない、危険すぎる生き物なんです。確かに椋さんは強いし、前だってヒトモノを倒しました。ですが、そんな危険なヒトモノを、椋さん一人に任せるわけには行きません。もしそれで椋さんが犠牲になったとしたら、先生は」
中山はハッと口を閉ざした。
二人は「?」を頭から生やし、中山を見つめる。
すると彼は気を取り直すように咳払いをして、また告げた。
「とりあえず、ヒトモノを倒すことはおすすめしません。避難することを考えて、裕太さんと椋さんを推薦します」
先程は何を言おうとしたのか、というのもやや気になるが、今はそれどころではない。
確かに、中山の言うことにも一理ある。
もし児童一人でヒトモノと対峙し、それでその児童が死んだともなれば、学校のブーイングは半端じゃないことであろう。
それであれば、皆避難して逃げるが勝ち、という道を取るほうが良い。
避難することを考えると、やはり組をまとめられる人材が必要だ。
それで、こうなったわけだった。
そこではたと椋、裕太はお互いを見た。
暫しの沈黙。
そのすぐあと、顔を顰める二人。
「中山先生、待ってください。二人で組をまとめ上げるとなれば、その二人の息が合わなければならないはずですが」
先程まで賛成派だった裕太は、急に反論を始めた。
うんうん、と頷く椋。
しかし中山はニッコニコで答えた。
「はい。だったら二人は推薦されるべき、ぴったりなペアじゃないですか」
「「ぴったりじゃない」です」
「阿吽の呼吸って、このことなんですよね」
椋は裕太と距離を取りながら中山を見つめた。
「阿吽どころか水と油なんだが」
しかし中山も退かない。
頑固である。
「水と油って、実は混ざるらしいですよ」
「中山先生、水と油を混ぜるには、界面活性剤が必要です。二人じゃ混ざれません」
裕太も椋から距離を取り出した。
中山はうーん、と唸ってまた言った。
「界面活性剤、用意しておきますね」
二人は顰めっ面で中山を睨んだ。
つまり、無理矢理でも二人を青組団長にしたいそうだ。
そして卑怯なことに、自分が界面活性剤になるのではなく、他に誰か、界面活性剤を用意するという。
なんと罪な人だ。
*
「界面活性剤って、誰用意するつもり?」
椋は中山の車内で彼に問うた。
結局五時頃まで学校に残り、裕太と二人で青組団長としての作戦会議をしていた。
というか、させられていた。
小学一年から六年まで、一学年ごとにチームを組んで他学年と競う。
今の五年生は、青が主要カラーのため、青組だ。
今年の青組団長は裕太、副団長は椋。
主に団長たちの仕事には、応援合戦出場や、宣誓、競技中の応援などがある。
しかし一番の役目は、『最終決戦』と呼ばれる競技だ。
これはこのみつば小学校独自の競技なのだが、それぞれ組の団長副団長二人で力を合わせ、リレーや綱引きなどの競技を行う。
ここで重要なのが、1チームは二人しか出場しないということと、最終決戦の競技は無茶苦茶なものが多いということ。
リレーや綱引きならまだ良いが、たまにバスケやサッカー、一度水泳もあったようだ。
チーム競技を二人でするのはとても難しいが、まぁ相手も二人なら……と黙るそうだ。
また、最終決戦はその名の通り、一番最後に行う。
最後ということは、もうどう足掻いても勝てない組やどうなってももう勝てる組は『決戦』というには、もう既に決着がついているが、まだどうなるかわからない状況に立ったとき、この最後の戦いは皆燃えるのだ。
そのため、最終決戦前の競技でも、やる気をだせるようにあるのが最終決戦とも言える。
しかし不思議に思わないか。一学年ごとに点数を競技で付け、競うのだが、流石に一年生と六年生では、一年生が不利になってしまうということが。
そのため、加点が一年生のほうが多い。
面倒な話になるのだが、例えば、玉入れでは、玉一つの特典を決めるとする。
もし六年生が玉一つで一点なら、一年生は玉一つで六点だ。
というふうに、できるだけフェアになるような工夫がある。
しかし最終決戦にはこのルールはついておらず、学年関係なく、正々堂々真正面勝負ということだ。
これで一年生が六年生に勝つということは聞いたことがないが、隣学年との諍いなら案外有名だ。
しかし椋は絶対に嫌だと感じる。
毎年運動会は本気を出さないようにしてきた。
本気を出してしまえば、運動会が成り立たないからだ。
限界まで力を出さないということは、思いの外つまらない。
本当に、つまらない。
普通なら運動が得意な人が喜ぶことの多い運動会だが、度が過ぎた運動神経の場合は一周回ってつまらないらしい。
(ま、今年は副団長やるんなら、そこそこ忙しくはなりそうだけど)
とも、副団長をやる利点はあった。
だが、あの界面活性剤とやらの存在が怖くて仕方ない。
どうせろくなことじゃないとわかっているのだ。
「先程、下里先生に頼んでおきました」
「はぁっ?!なんであの先生なんだよっ!」
下里紗理先生。
彼女はみつば小教師三大美女に数えられる美女だ。
すらっと長い脚、高い背丈、さらさらな髪、長いまつげ、通った鼻筋……。
モデルになろうと思えば簡単になれるのでは、と思うほどのスタイルと顔だ。
そんな美女だが、性格だけは美女ではないと、椋は思っていた。
あれはそう、つい先程、職員室で中山を待っていたときの話だ。
*
キィキィと鳴る、教員用の椅子に体操座りで座り、周る。
くるんと一回転してまたデスクが目の前に来ると、もう一回転。
流石は綺麗好きな中山だが、デスクがとても綺麗だ。
「すぐに戻って来る」といいながらどこかへ行き、早く下校したいのに中山が来ずに一人で帰ろうかとも思いだした椋は、椅子から立ち上がった。
と、後ろから腕を引っ張られた。
振り向くと、あの整った顔。
大人っぽい女の人の顔だが、その表情はニヤニヤ。
「なんですか、下里センセイ」
心底うんざりしながら要件を聞く。
そういえば、中山の隣のデスクはこの下里のデスクだった。
トントン、と、長い爪に彩られたマニキュアの爪で机を叩いた。
と思ったら、それは一冊の雑誌だった。
『教師と生徒、禁断の恋』とか書かれたその表紙。
ピンクっぽさと気持ち悪さに椋は顔をしかめた。
それとは反対に、下里はニヤニヤしている。
「椋クン、今日こそ中山クンとの関係について、話してもらうヨ」
「一言言いますが、センセイの思っているような関係じゃないですよ、気持ち悪い」
「本当にそうなのかなァ」
彼女は椋を中山の椅子に座らせ、帰るのを阻止した。
ペラペラとあの雑誌をめくり、文を音読する。
「『下校前。“また明日”って先生に伝えたくて、職員室で先生を待つ。だけど先生は一向に来ない。私は恥ずかしくなって、職員室を出ようとした。けれど、腕を引っ張られて後ろを振り向くと、先生がいた。』だってさ。今のキミの状況じゃないかィ」
「何言ってんですか。“また明日”って中山に言いたくてここに来たわけじゃないし、そもそも腕引っ張ったのアンタでしょう。アンタと私が恋してる設定にしたいんですか」
「設定ってなんだイ。設定とかじゃなく、椋クンは中山クンと付き合ってるんダロウ?」
「気持ち悪いです。やめてください」
「ホラ、ここに書いてある。『他の先生に、あの先生との関係を聞かれた。どう答えたらいいかわからなくて、“嫌いです”なんて答えてしまった。ああ、私ってば、なんて乙女なんだろう。』だってさ」
「散々私のこと男扱いして“クン”呼びだったりするくせに、こういうとこでは乙女扱いなんですね」
「キミは気分で性別を変えられるンだろう?」
「下里センセイの気分で私の性別が変わってるだけです」
「アララ」
身の回りには頑固で粘着質な大人が多いものだ、と椋は呆れる。
本当に、その相手をするのは面倒だ。
「もう帰っていいですか」
「駄目です」
椅子から立つと、前ではなく後から声がした。
その低く優しい声に、うげ、と声を漏らしつつ、気付かなかったふりをして職員室わ出ようとする。
が、手を掴まれ、「ちょっと待ってください」と帰る準備をしながら言われる。
これはどうも言い逃れできん。
「ホホウ、やはり二人はそういう仲か」
「どういう仲だ、と言いたいが、聞きたくない気持ちが強くて言えん」
椋はパッと手を中山から振りほどいた。
彼はバッグに荷物を詰めるのは、やはり片手じゃ難しかったらしく、なんの素振りもなく淡々と荷物を詰める。
それからは普通に職員室を出たが、どうやら彼女は中山にもああいうことを言っているらしい。
「変わった人ですよね」とは中山言うが、嫌には思っていないらしい。
その下里という女は、みつば小三大変人にも数えられる。
美女兼変人というのはもう慣れたもので、あの面構えにはニヤニヤが似合う。
担任を持つクラスが、椋の学年の一つ上、六年一組なのだが、彼女のクラスはしっかりものが多いため、全く崩壊しない。
兄弟でよく見られる、『どちらかが抜けていると、どちらかがしっかりもの』という法則。
六年一組はそのお手本のようなものだ。
担任はあんなふうな人間で、「私が教えるより教科書読んだほうが正確だしわかり易いよ」と、授業内容を少しだけ説明するとすぐにいなくなる。
しかしそんなのでも、生徒がしっかりしているため、成績は高いままだ。
寧ろ、しっかりした先生が担任になると、どういうふうになるのか少し気になりもする。
そんなふうな人間が下里紗理という人間だ。
それが水と油の界面活性剤になるのなら、もう科学反応を起こして爆発してしまうかもしれない。
だから椋は中山に対して驚いたのだった。
*
「もっと他にいただろ……」
頭を抱える椋に対して、中山はケロッとしている。
「いいじゃないですか。あなた、ちょっと変な人とのほうが付き合い易いでしょう?」
「ああ、何それ。自分が変だってやっと自覚持った?」
「先生は論外なので」
「よく言えるな、それ」
二八の弱いにして、卵料理以外の料理をうまく作れないというのは、変以外の何なのだ。
卵料理はごく普通に普通なのだが、それ以外、例えばカップラーメンでも、失敗する。
カップラーメンでは、あるときは水を入れすぎて水をこぼし、ふやふやにふやけた麺啜っていたり、あるときは水を入れなさい過ぎて硬い麺を噛んでいたり。
椋が中山とひとつ屋根の下で生活するのは、“家庭の事情”もあるのだが、そういう中山の食生活を見直すという点も理由であった。
(中山が界面活性剤じゃないだけ、マシ……なのか?)
ふと思うが、よくよく考えれば、下里は六年の担任で、そもそも組が違う。
椋たちは青組だが、下里の担任する六年生は赤組。
青組を成功させるための下里が、まさかの赤組なのだ。
「スパイじゃん」
「問題ないですよ、先生が赤組に行ってるので」
「は?どういうこと?」
「あれ、言いませんでしたっけ」
中山曰く、中山が担当している委員会の生徒が、テントを建てる準備や、その他諸々、手伝いをしてほしいと頼んできたそうだ。
その生徒が赤組、それも一組だったらしい。
「あれだな、下里センセイが頼りなくてお前に頼んだんだな」
「ああ見えて下里先生、意外としっかりしてるんですよ」
「どこが」
「意外と、ですよ」
どんな釘の刺し方だ、と椋は中山を睨んだが、運転中のため前を向いていた中山は気付かなかった。
(運動会、やばめにやばくなりそうだな……)
こういう勘は、大抵当たるものである。
*二話 運動会 完