テラーノベル
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『明日、会えるの楽しみにしています』
『よろしくお願いします』
ようやく大豆生田さんと顔合わせをする日が巡ってきた。引き継ぎをしながら、すでに半月は仕事を共にしている。なのに直接会うのは初めてだ。
一般的に「社会人のマナーとして」は全く好まれないだろうが、魑魅魍魎が集うこの会社。中でもこれから会う男はそんな瑣末な「常識」を微塵も気にしていないのは明白なので、正直こちらも負い目はないんだけど。
「てゆーかね、忙しすぎるのよ大豆生田さん」
こっちだって早々に会いたかったが、常にリスケをしてきたのは彼だ。
何度顔合わせの調整をしても、必ず直前で重要な会議が横入りしてしまって、重要度勝負で常に負けつづけてきた。
で、気が遠くなるほどのリスケを経て、ようやく今朝10分だけ会う時間を確保できた。
大豆生田桐人が8年前に最速スピードでパートナーに昇格したことは、その当時いた社員であれば誰の記憶にも根強く残っている。
新卒で弊社に入った場合、パートナーにまで昇格するには約20年というタイムラインが最速だと言われていたのを、あっさり5年縮めてしまったから。
大豆生田さんは新卒でこの会社に入社したけれど、当時からコンサルとしてのスキルはピカイチで、且つ上司が引くほど労働の鬼だったらしい。
「秘書に無茶な労働を要求するパートナーは今時いないし大丈夫かなあ…」
昨今のコンプライアンス遵守の風潮から、秘書も割と定時退社をしたり、土日はパソコンの画面を開かないようにという通達が来たり、変わりつつある。
「でもそれまともに守ってたら仕事回らなさそ…」
たとえ上司に強制されなくても、守られた世界だけでは仕事が終わらない、というのはままある話で。
もう大豆生田さんなんて絶対その典型じゃん?土日のどちらかぐらいは死守したいけど大丈夫かな?
元々、仕事がある日の朝をあまり愉快な気持ちで迎えることはない。けど、今日はなんだか一際億劫だ。
夏特有の湿気と空調の冷気が混ざり合って、肌にじっとりと乗ってくる気がする。
今朝も、小さな自室の中はすでに暑い。
子供の頃は6月は梅雨の時期だと思っていたけれど、全然雨が降る気配はなくて湿気を纏う空気だけが湿っぽい。
暑いから半袖にしたいけど、日焼けとオフィスの冷房を考えると長袖がいいのかな…。
今年もなかなか悩ましい季節の到来だ。
支度を整えて、意を決して玄関を開ければ、思った通り熱気を孕んだ空気が頬を撫でる。
家から駅までの10分を耐えれば、あとはもう冷房で管理された快適空間に居られるから…と自分を鼓舞しながら歩く。
耳に押し入れたイヤホンから聞こえる推しアーティストの声は癒しだけど、カバンの中で次々震える社用携帯。カバン越しに私の肌にも振動が伝わり、どんどん朝の活力が減っていく。
ねえ、待って。
今まだ朝の8時にもなってないんですけど!
経営層に近くなる程に朝型生活に移行していくという生態はよく知っているけど、鬱蒼とした湿気の中を歩く今、これは文字通りノイズでしかない。
「全員夜遅くまで働いた上で朝型生活ってほざくゴリラしかいねーのよ」
かつて聞いた、同期の平坦な声音が脳裏に再生される。
今ほどその言葉に腹落ちすることもなくて、今更ながら的確な表現をした彼に大きな賛辞を送りたい。
生馬の目を抜くような世界で生きていくには、誰も彼もが必死にならないといけないのはよくわかっている。
だから朝早いメールの応酬だって嫌がらせじゃないことも十分理解してるんだけどさ!
「魑魅魍魎が跳梁跋扈する生き地獄よ」
今度は別の同期がぼそっと呟いた、ため息まじりの言葉も思い出される。
これもまた言い得て妙で。
そんな世界で日々気を抜かずに生き抜いている、ということだけでどれほどの化け物か日々思い知らされている。
けど、ごめん。対応はちょっと待って。
コメント
1件
第2話お疲れさまです〜!🌸 大豆生田さんとの顔合わせ、やっと実現するんですね!でも直前までリスケ続きで、しかも朝8時前から社用携帯が鳴りまくるとか、彼おもいっきり「労働の鬼」タイプじゃないですか…😇 主人公の「対応はちょっと待って」に超共感。あと「魑魅魍魎が跳梁跋扈する生き地獄」って同期のツッコミ、秀逸すぎて笑ったw この会社の空気感めっちゃ伝わってくるし、次が気になります!🔥
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