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以前のような、駆け引きめいた探り合いは鳴りを潜め、その代わりに、もっと素の感情がそのまま行き来するようになっている。柔太朗はもう、余裕を装う必要を感じなくなっていた。
以前は、仕事が終わるタイミングがいつも深夜付近で、それがゆえに閉店間際に足を運んでいた舜太だったが、柔太朗が一人で店を任されている時間帯を、無意識のうちに、あるいは半ば意図的に見計らうようになった。いつの間にか、柔太朗と二人きりになれる時間を選んで店の扉を開けるようになっていた。
その日、舜太は仕事終わりに、ふらっと店に現れた。手には、小さな紙袋を一つ提げている。
「今日、なんかいつもと雰囲気違うね」
カウンターの向こうから、柔太朗が首を傾げた。舜太は答えずに、紙袋をカウンターの上にそっと置いた。
高級感のある紙袋には、どこかでみたブランドのロゴがあったかもしれない。
「開けてみてください」
促されるまま、柔太朗が紙袋を開けると、中には小さな箱が二つ入っていた。蓋を開けると、シンプルなデザインの指輪が、それぞれ一つずつ収まっている。
「──これ」
「俺、決めたんです。柔太朗さんが人間やろうがヴァンパイアやろうが、そんなんもう関係ない。ただ、これだけは、はっきりさせときたくて」
舜太は指輪の一つを取り出し、柔太朗の左手を取った。突然のことに、柔太朗は戸惑いを隠せない。
「舜太くん、これは……」
「薬指、まだ誰のもんでもないですよね」
からかうような口調だったが、その目は真剣だった。舜太は当然のように柔太朗の薬指に、ゆっくりと指輪を通す。冷たい金属の感触が、柔太朗の指に馴染んでいく。
「言っときますけど、これ、俺の一存で勝手にやってます。柔太朗さんの気持ちとか、まだちゃんと聞いてないのに」
「そうだね。随分と強引だ」
「知ってます。やけど、待っててもどうせ、柔太朗さんの方から動いてくれやんな。隙見て、先に奪ったもん勝ちや思って」
そう言って、舜太はにやりと笑った。誘惑されるだけだった立場から、今は完全に主導権を握っている。柔太朗はその変化を、まぶしいものを見るような目で見つめていた。
「──俺の意見、聞く気はあるの?」
「ありますよ、もちろん。一応、聞きますけど、嫌ですか」
柔太朗はしばらく黙って、自分の指にはまった指輪を見つめていた。何十年もの間、誰かにこれほどまで踏み込まれたことはなかった。自分の種族と立場とよくわきまえて、常に一歩引いた場所から関係を管理してきた。だが今、その管理は完全に手放されている。
不思議と、それが嫌ではなかった。
「嫌じゃない。むしろ」
柔太朗は言葉を選びながら、不意にもう一つの箱に手を伸ばした。中の指輪を取り出し、今度は自分から、舜太の左手を取る。
「俺からも」
柔太朗は舜太の薬指に、丁寧な手つきで指輪を通した。
「これで、お互い様ってことで」
「なんか、柔太朗さんがそれ言うと、すごい説得力ありますね」
「独占欲は、俺の方が強いかもしれないよ」
その一言に、舜太は目を丸くした後、声を上げて笑った。
「ヴァンパイアの独占欲て、どんなんですか」
「──さあ。今度、ゆっくり教えてあげる」
柔太朗の声には、これまでにない色気が滲んでいた。舜太はその変化に、ぞくりとするような予感を覚える。二人の左手に並んだ、揃いの指輪が、間接照明の下で静かに光を反射していた。
「なぁ、柔太朗さん」
「なに」
「もう、逃がしませんから」
その言葉に、柔太朗は微笑んだ。完全に搦め捕られている、その事実を、もう否定する気にはなれなかった。
「──望むところだよ」
窓の外には、雲の切れ間から、久しぶりに星が覗いていた。
指輪という小さな約束の証を交わしたことで、二人の関係は、もう後戻りのできない場所へと踏み出していた。だが、その先にはまだ、越えなければならない最後の一線が残されている。
──吸血、という名の、本当の意味での欲望の証明が。
その夜が訪れるのは、そう遠くない未来だと、二人ともどこかで予感していた。