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────救援がやってきたのは、三日目の昼だった。
アーネストとカトリナを主体とした救援隊の乗る何隻もの小型飛空艇は、グランシップ・ヒルデガルド号の全員を一度に運ぶことはできないため、多くの物資を積んでやってきた。身分問わず怪我人を最優先に、その後は乗客、乗組員、それから雇われた冒険者たちが最後に運ばれる。
ひと足先にティオナは首都へ戻ることになり、商談の予定もあるから、と名残惜しさを覚えつつヒルデガルドたちと別れることになった。
「ありがとうございました、ヒルデガルド様。首都にお戻りの際は、ぜひ商会にお立ち寄りくださいませ。もちろん、ベルリオーズ様としていらっしゃってくださって大丈夫です。わたくしが、しっかりおもてなしをいたしますわ」
軽い抱擁を交わす。ヒルデガルドも寂しそうにした。
「こっちこそ、君には助けられたよ。また会おう」
「ええ! イーリスさんも、待ってますわね!」
「うん。ボクも楽しみにしてる。ありがとう」
そうして飛空艇の襲撃事件は幕を下ろすことになる。貴族たちがいなくなった飛空艇は静かなもので、アーネストは今後調査のためしばらくは森から動かさず、現場での解体作業を行い、自然の環境保護に努めると説明した。
電力供給のために運び込まれた魔水晶のおかげで、次の救助までも十分に快適に過ごせるようになり、あとは帰れるのを待つだけだった。
「……全部終わったね」
「ああ。クレイグの遺体も運んでくれたらしい」
「そっか。やっと帰れるんだ、あの人も」
「生きていたら、いちばん良かったんだがな」
犠牲になった冒険者のほとんどが、その姿を残していない。クレイグは運が良かったほうだ。クリスタルスライムはあらゆるものを瞬時に溶かして、その存在の証明さえ奪ってしまう。あまりに残酷な現実が、ただただ胸を締めつけた。
「ボクはさ。それなりにアベルたちと特訓してさ。……強くなったと思ってた。でも、たったひとりの友達すら助けられないどころか、助けられて……」
「言うな。君がいなければクレイグだけではすまなかった」
動力室が爆破され、アバドンの妨害を受けたとき、ヒルデガルドだけでは飛空艇の落下を防ぎきれなかっただろう。そのうえ強力な敵を前に消耗してしまったせいで、不時着をさせたのもイーリスの魔力がなければとても不可能だった。
無力なのは自分のほうだとヒルデガルドは自分を責めた。
「……だが、君がもっと力を付けたいというのなら方法がないわけじゃない。もう魔力を操るのも以前と比べて、遥かに上達している。そろそろ、本格的な〝戦うための魔法〟を覚えていこう。次はもっとうまくやれるように」
俯くだけでは何も変わらないし、変えられない。自分にとっても学び直す良い機会だと考えて、イーリスに新たな魔法を授けようと決める。
「ボクにできるかな」
不安そうな彼女に微笑みかけ、ぽんと肩を叩く。
「大丈夫さ。私が弟子に選んだんだから」
何もかもこれからだ。シャロムが言った通り、アバドンが敵に回らないとしても、真なる敵として見据えているクレイ・アルニムは、何を企んでいるか分からない。これ以上の被害を少しでも減らすためには、とにかく前を向く必要がある。
「わかった。ヒルデガルドを信じるよ」
「そうしてくれ。私にできることはなんでも──」
話している途中、アーネストが二人を見つけて駆け寄ってくる。「二人共、話しているところをすまないが」と、傍にはアベルを連れ立っていた。
「アッシュが目を覚ました……んだが、ちょっと訳が分からない状況で。アベルも困っているから、すぐに会いに来てほしい。問題ないか?」
「もちろんだ、すぐ行こう」
体調に問題があったのではないか、不安になって足は自然と急ぐ。しかし、アーネストに連れられて向かった先はキッチンだった。そこには確かにアッシュがいたが、ヒルデガルドもイーリスも言葉に詰まってしまった。
大きいのだ、全体的なサイズが。
「……えーと。私の知ってるアッシュはもっとこう、いや、確かに私より大きくはあったが、何もこんなに大きくはなかったはずだ」
「俺もそう思ったよ。でも部屋にいたのはコイツなんだ」
アーネストも本当にアッシュか信じ難く、傍にいたアベルに尋ねたが、間違いなく彼なのだと言うので仕方なく受け入れ、腹が減ったと騒ぐからキッチンに連れて来たのだ。まるで獣のようにガツガツと食糧を食い散らかす姿が、不安になった。
「ね、ねえアッシュ。……アッシュだよね?」
イーリスが声を掛けて背中をちょんとつつく。
『い、イーリ、ス? いいにおいする』
振り返ったアッシュの低く響く声。その瞬間、ヒルデガルドは理解する。イーリスの襟を引っ掴んで後ろに下がらせ、キッチンにいた者をほとんど部屋から出るように言って、手に竜翡翠の杖を握り締めた。
「アッシュ。私が誰だか分かるか?」
彼は頷かず、じっと見つめてよだれを垂らす。
「……プリスコット卿。イーリスを連れて外へ」
「なに? 待て、だが彼女は関係者だろう」
「早くしろ、こんな姿を見せたくはない」
怒られて、彼は仕方なくイーリスの肩を掴む。
「待ってよ、ヒルデガルド。どういうこと?」
「変異だ。彼は理性を保つのが困難になっている」
アベルが耳を倒れさせ、がっくりする。彼も分かるのだ、アッシュの身に何が起きているのか。理性を保つのが難しく身体が大きくなったコボルトが辿るのはただひとつ。──ロード級への進化。ただし、人間的な理性を保てるかどうかは個体によって変わり、アッシュは残念ながら、野性的に寄っていた。
「じゃあ、もしかしてアッシュのことを……!?」
「今は黙って私に任せろ。はやく出て行け」
嫌がるイーリスを、アーネストは無理やり連れだす。まるで、そうするべきかのように、二人が出て行ったあとでアベルが扉の鍵を閉めた。
「……ヒルデガルド。アッシュ、殺す?」
「いいや、殺さないよ」
殺したくなかったし、殺せるとも思えなかった。一緒に過ごしてきた時間が長かったヒルデガルドには、いまさら変異していくとはいえ家族を手にかけるなど出来るはずもない。ではどうするのか、と問われれば、考えるべきは──。
「まずは場所を移そう。このままではどのみち、森の大気の影響を受けるようになって、そのうち死んでしまう。……アイツなら、彼を正気に戻す方法を知っているかもしれない。もう僅かな可能性も捨てたりしないさ」