テラーノベル
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ピクシブの加筆修正版。
気に入っているので反響があれば続きを書こうかなと思っている次第です。
珍しく、返上することなく過ごせた祝日。
昼前の街は人通りもほどほどで、少し暖かくなり始めてきた空気が颯爽と並木の隙間を駆けている。
上機嫌に揺れる手の先にはずっと気になっていたパン屋の紙袋。焼きたての香りがほのかに立ち上り、歩調まで軽くなる。
出掛けにめざとい妹に見つかって財布を圧迫されたことを差し引いても今日はいい日になりそうだ。
そんな根拠のないことを考えながら顔を上げる。
「ねーぇ、あのレストラン行きましょうよ!」
「またか?お前ほんとあの店好きだな……そんなに美味いか?」
「だからお酒はやめてって言ってるのに…。いいから早く!」
視線の先。腕を組み、笑い合いながら歩く一組のカップル。
ピシリ、と幸せな気持ちが凍りつく音がした。
「……ろしあ、さん。」
思い人の名前が掠れて喉を抜ける。
甘えるような瞳で見上げる綺麗な女性に、顔を近付けるように背を丸めて応じる彼。
麗らかな日差しに縁取られた2人は、理想の恋人を描いた一枚の絵画のようだった。
そばにいてほしい。
笑いかけてほしい。
そんな僕の願いを欲しいままにしている人を目にしているというのに、女性らしさも男性らしさもない自分がただただ惨めで、耳の奥でキィンと小さな音が鳴った。
指先から、体温が抜け落ちていく。
鼻の奥がツンと痛む。
じわりと醜い心を炙り出す違和感たちを誤魔化すように、僕は家へと走り出した。
* *
一睡もできなかった。
連休明けの朝。
疲労を引きずったまま電車に乗り込むと、いつもは気にならない人の気配や揺れがやけに重く感じられた。
込み上げる不快感を抑え込むように胃薬を喉へ流し込んで、充血した目に目薬を落とす。
無機質な画面にパスワードを打ち込むと、ようやく日常に戻れた気がして酷く安堵した。
よし。一旦全部忘れよう。
逃げるようにキーボードを叩く。
忙しなく動く指先が、澱のように濁った思考を無理矢理かき消していく。
お腹、全然空かないな。
ぼんやりそんなことを考えていると、突然マウスを滑らせていた手を押さえられた。
「おい。そろそろ飯食え。休憩終わるぞ。」
反射的に立ち上り、あたたかな手のひらの主を確認する。
そこにいたのは呆れ顔の青年。
今一番会いたくて、一番会いたくない人だった。
* *
小さな口が、白米を一口頬張る。
もぐもぐと懸命に咀嚼を繰り返す桜色を見ていると、つられてフォークを動かす手が速くなっていた。
己の単純さに苦笑しつつ、日本を食堂へ連れ出せと連絡をくれた中国への礼を考える。
酒にすると食生活への説教をくらいそうだが、他にいいものが思い浮かばない。
いつも日本の食への執着は自分が起源だと主張しているし、気に入りのつまみでもいくつか詰め合わせれば合格点はもらえるだろう。
「美味しいですね、ロシアさん。」
その声に顔を上げてみれば、青白かった頬にじんわりと血色が戻っていた。
その変化だけで胸の奥が軽くなる。
「そうだな。」
無理にでも連れ出して正解だった。
そうでなければこの時間も、この表情だってきっと他の誰かのものになっていたのだろう。
酔い潰れて1日を終わらせたいような気分に浸っていると、つぶらな瞳がこちらを探るように揺れていた。
どうした、と視線で問う。
日本は一瞬言葉を探すように唇を噛み、恐る恐る口を開いた。
「……ロシアさんって、彼女さんいらっしゃいますか?」
盛大にむせた。
慌てる日本を手で制し、咳を整える。
__恋人。
その単語が頭の中でこだまする。
食以外のことでは聞き役に回ることの多い日本が自ら話題を、しかも色恋沙汰を唐突に振るとは思えない。
何か俺に関する噂話でも聞いたのだろうか。
いや、日本はそんな曖昧な情報で浮き足立つような奴ではない。
ならば。
嫌な予感が虫のように背中を這い上がる。
「……日本は?」
「……え……ぁ…その……。」
黒の瞳がかすかに潤み、恥ずかしげに日本が口ごもる。
とどめに赤く染まった頬を見せられれば、答えは簡単だった。
あぁ。そういうことか。
「……あの、先日…」
「あー……いい。大丈夫だ。」
言葉を遮り、ポーカーフェイスを装う。
「お前、彼女できたんだろ?」
「…えっ、何で……。」
どうやら正解してしまったらしい。
じくり、と胸が痛んだ。
長年拗らせた割に、あっけない終幕だ。
「会ってみたいな。どんな奴なんだ?」
そんな社交辞令を口にしながら歯噛みする。
午後の業務まであと数分。何かみっともないことを口走る前に、一刻も早くこの場を離れたかった。
「じゃ、じゃあ今度……4人で出かけたり、とか……。」
「……あぁ、いいな。」
「あっ、ありがとうございます!」
失礼します!と壊れたラジオのような音量で告げると、日本は慌ただしく立ち上り会釈を残して去っていった。
その背を見送りながら、会話を反芻する。
「……ん?『4人』…?」
つ、と冷たい汗が背筋を伝った。
***
「ごめんなさい兄様。私、全然状況を把握できていないんだけれど。」
よく磨かれた木目に差し込む斜めの光。
向かい合ったカフェの片隅で、1週間ぶりに顔を合わせた妹が眉間を揉んでいる。
「だからだな。日本が彼女できたって言うから……」
「うん。」
「ダブルデートすることになった。」
「……うん。そこの飛躍どうにかしましょうか。」
カップをトントンと細い指が叩く。
急に呼び出された上、当事者である俺ですら理解しきれていない話をされているのだ。無理もない。
「兄様、今お付き合いしている方は?」
「……何でも話せるチャットAIなら…。」
「……まぁ、その座に日本さんを据えようとしてたんだものね。」
ため息。
気の毒そうな視線に縋り、兄としての威厳を諦める。
「あのなベラ。当日、ついてきてほしいんだが……」
「勿論。」
即答だった。
食い気味な首肯を繰り返していたベラは、はっとしたように咳払いをして口を開いた。
「兄様の恋人役なんて本望ですし、兄様の思い人…日本さんにもお会いしてみたいですし。」
「本当か?」
食い入るように親父そっくりの金の瞳をみつめる。
悠然と微笑む妹の、なんと頼もしいことか。
先日新色が出たと言っていたリップを買ってやろうと財布を手放す覚悟を決める。
「えぇ。日本さんのこと、二度と女なんて抱けなくして差し上げましょう。」
「ありが……ちょっと待て。」
* *
「え?ごめん、マジで意味わかんない。」
にゃぽんはケーキを前に顰めっ面を披露した。
フォークを持つ指先には、推し色のネイルチップが光っている。
「……先週ロシアさんの彼女さんの話しただろ?それでアドバイス通りさ、ロシアさんに確認してみたんだよ。」
「うん。」
「そしたら彼女できたと思われちゃって……。ダブルデートすることになった……。」
「……うん。」
うん?と首を傾げた状態でにゃぽんが固まる。
「えっと……お兄、彼氏か彼女は?」
「……何でも話せるお地蔵さんなら…。」
「ですよね〜知ってた。」
普通に片思い拗らせてるだけだったのにねぇ、と呟かれる。
その気の毒そうな声色に縋るように、お願いの姿勢を取る。
「というわけで協力していただきたく存じます……。」
「ネタにしていいならいいけど?」
「……あ、rの方は…。」
「う〜ん……なしでいいよ。」
「乗った。」
兄どころか男としての尊厳を失いかけたような気がするが、これで最悪の事態は逃れられた。
「よし!二度とお兄以外抱かせないぞ〜!」
「待て。」
***
「「そこまではお願いしてない!」」
同時刻、別の場所。
2人の兄は、仲良く声を揃えてそう叫んだ。
(続?)
コメント
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ふふふ…やっぱり露日って両片思いが代名詞ですよね……、 きっとそうだ、そうに違いない