TellerNovel

テラーノベル

アプリでサクサク楽しめる

テラーノベル(Teller Novel)

タイトル、作家名、タグで検索

ストーリーを書く

シェアするシェアする
報告する

 

 仕事が終わらないからと、結局昨日も生徒会室で寝泊りしたのがいけなかった。

ソファーで寝たから首は寝違えたわ背中も痛いわで、それに…

(あんな夢までみちまうし…)

 夢にでてきたようなあんな関係にはもう戻れないって頭では理解してるのに。身体は正直ってやつなのか思わず夢として見てしまうほど、本当は今でも過去に縋ってしまっている自分がいることに気づいて、そっとため息をついた。

生徒会室には良くも悪くもも思い入れのあるものが多すぎる。だからこそそんな思い入れの塊みたいな部屋に一日閉じこもっているから、あんな夢をみてしまったのかもしれない。それは困る。

この部屋に寝泊りするたびに毎度あんな夢を見せられたらさすがに気が滅入る。目が覚めて夢だったことに気づいたときのあの絶望感は計り知れないものがあるぞ。そろそろ心が折れそうだ。

今度からはいくら仕事が溜まってても、できる限りは寮の自室で寝よう。

 そう決意を新たに、ひとまずシャワーでも浴びようかと考えて、ふと気づいた。

……三谷瀬。

そういえば三谷瀬がいなかった。夢に。七宮も凌汰もいたのに、三谷瀬だけがいなかった。夢の中の俺は誰かに会いたがっていたが、それはきっと三谷瀬のことだったのだろう。なんでわかるかって、そんなの俺がそうだからに決まってる。

夢でも、現実でも。ふとしたときに考えるのはいつだって恐ろしいくらい整ったあの無表情面だ。

一度あいつの顔を思い浮かべてしまうと、もうだめだ。顔がみたい、声が聞きたい。今何してんだろうなとか、そんな女々しいことばかりつらつらと考えてしまうようになる。

「……あいたいな」

「誰に?」

「みやせに」

「会ってどうするの?」

「会って、声がききたい。あと名前をよんでほしい」

「…名前?」

「おう…。会長会長って、あいつかたくなに俺のことなまえでよばないから。…七宮のことは仲よさそうになまえでよんでんのに……、って、え?は!?なに、ぇ、みやせ、!?」

「あ、やっと気づいた。おはよう、結来会長。」

「ぁ、お、おはよう…っじゃない!!おまえいつからそこに…って、えッゆいき!?」

 朝から元気だね、なんて楽し気に目元を和らげる目の前の相手に、一瞬くらりと目眩がした。

…いや。いやいやちょっとまってくれ。一度頭の中を整理させてくれ。

たしかに会いたいとはいった。声がききたいとも。でも、でもこれは、これはあんまりだ。神だか仏だかは知らないが、誰かが願いを聞き届けてくれたにしてもこれは望んでない叶い方だ。

だって、だってこんなの恥ずかしすぎる。ようやく自分の気持ちに素直になれたからといって、本人の前であいたいとか、まして名前をよんでくれとか言ってしまうなんて…、

俺みたいな図体がでかい男にそんなこと面と向かって言われたらきもいに決まってる。俺が逆の立場だったらぜったいに引く…

「あんたが難しい顔して考え込んでる時にはもういたけど」 

「…そうか、気づかなくて悪かった。次からはノックしろよ……、っわ!?」

それじゃあ俺はこれからシャワーでも浴びるから、またな。とやんわり断りを入れて立ち上がろうとした瞬間、ぐるんと視界が反転して、ぽすん、と頭の衝撃を受け止める軽い音に再びソファーに寝転がされたことに気づく。

気づいて、時すでに遅し。

目の前には天井と、繊密なガラス細工のように綺麗な三谷瀬の顔。そして何より問題なのは、覆い被さぶられいるためその距離が非常に近いことだ。

というか近すぎる…っ、もしやこれが据え膳ってやつなのか…

「結来会長」

「っ、な、なんだ、」

耳元で話しかけられて、ひくりと身体が跳ねる。吐息がかかってむず痒い。

こいつぜったいにわかってやってる…!!

その証拠に、余裕を貼り付けたような顔で口角を上げて俺のことを見下ろしているし。

手持ち無沙汰に服の上から脇腹や内股を撫でて、そのたびに「…ふ、っん、ぁ…、!」と口から漏れそうになる声を必死に押し殺す俺の姿を見てますます笑みは深まっていく。

仕舞いには不意打ちでするりと頬を撫でられ、「っひ、!」とさすがに我慢できずに漏らしてしまった声を聞いて。そいつ、三谷瀬は限界といわんばかりに笑い声をあげた。

普段の無表情面はどうしたんだといわんばかりの大笑いに、それでも綺麗な顔は形崩れることなくいっそうますます綺麗だと思えるもんだから、やはり美人ってのはずるい。

が、それとこれとは全くの別モンだ。からかわれたのが悔しくてキッと睨めばようやく笑い声は納まったものの、それでも依然として余裕気なスタンスのままだ。

「なに、拗ねたの?」

どの口が言うんだ、どの口がっ!

口調だけ聞けば気遣っているように取れるが、その実、手は俺の反応を楽しむように性懲りなくうなじや襟足を弄んでいるんだから性が悪い。さすがにやられっぱなしは気にくわないので力任せにその手を払ってやった。

「、…すねてない」

「はは、その言葉がもう拗ねてんじゃん。こんなに顔真っ赤にさせてさー。それに簡単に押し倒されるし。ほんと、無防備すぎ」

もっと警戒しなよ、会長

「…べつに、」

「……」

「べつにいいだろ。おまえのまえでくらい警戒しなくたって、ーんン、っ!?」

言い終わるが早いか、ぐっと三谷瀬の顔が近づいてきたかと思えばそのまま後頭部を掴まれて、気づいたときにはキスをされていた。

いつもならただお互いの唇を合わせるだけのスキンシップのような軽いものを何度かしてからようやく舌が入るのに。

今日は初めから吐息すら飲み込むような深いもので、荒っぽく掻き混ぜられる口内についていくのだけで精一杯だった。

深すぎるキスに腰が砕けそうになる。酸素を求めて顔を逸らそうとすると、逃がさないとばかりに顎を掬われて、口付けはますます深くなるばかりだった。

苦しくてじわりと目尻が濡れてくる。それでも三谷瀬は離してくれなくて、朦朧とする視界のなか、縋るように腕を伸ばして三谷瀬の背中に回せば。どことなく、纏う空気が綻んだ。気がした。

「ーん、はぁ、……あー、だいじょうぶ?」

「っん、ンあ…!ッふ、は、はぁ、っだ、だいじょうぶなわけ、ないだろ…っころすきかばか……!」

どの面下げて、のうのうと大丈夫なんて言いやがる!口を離すのがあと1分でも遅かったら間違いなく天国行きだったぞ!

ぜえぜえと大きく肩で息をしながら、もう少しで俺を窒息死させるところだった張本人を睨む。

だがその先には息ひとつ乱していない、普段となんら変わらない涼しげな顔があって。悔しかったのでぱしりと一発背中をはたいてやった。

「殺す気かって…息継ぎしてなかったの?」

「そん、そんな余裕、なかったに決まってんだろ…!」

「仕方は知ってたよね?」

「しかた?」

「……なんでもない。いまの無し」

これはさすがに俺が悪かったかなー。

そっぽを向きながら何やら小さく呟く三谷瀬の声は残念ながら聞き取れなかったけど、どういう心情の変化か途端に反省してますって空気を纏うもんだから。訳はわからんが、初めて見る三谷瀬のしおらしい姿に思わずきゅんとしてしまい、窒息させようとしてきたことを許してしまうのも仕方ない。

普段忘れてしまいそうな三谷瀬が年下という事実を思わぬところで垣間見ることができて、さっきまでの羞恥やら怒りやらがまるで嘘のように清々しい気持ちになる。

そうかそうか、なるほど。いつも三谷瀬にからかわれてばかりいるから忘れがちだったが、そういえば俺の方が年上で先輩だったんだ。

だったらここはひとつ先輩として、かわいい後輩に何か与えてやろうじゃないか!

思いたって吉日。満面の笑みでくるりと三谷瀬の方を振り向けば、あからさまに表情を歪めて怪訝そうな視線を返された。解せねえ。

「何、その笑顔」

「三谷瀬」

「…なに」

「なにか困ってることはないか?」

「は?」

「困ってること。なにかないか?」

「別に」

「探せば何かしらあるはずだ。」

「ないって。ていうか急に何?」

「特に意味があるわけではないが、急におまえの頼みを聞いてやりたくなった。

なぜなら俺は先輩で、おまえは後輩だからだ」

「……」

「だから三谷瀬、なんでもいい。なにか困ってることがあれば言ってほしいんだ」

これでも生徒会長に選ばれるくらいだ。誰かの悩みや頼みを解決してやりたいとか、後輩の面倒を見てやりたいとか。そういう長男気質みたいなのが少なからず自分にもあるのだろう。

それなのに俺の方がいつも色々な面倒事に巻き込んでしまったり、三谷瀬の優しさに漬け込んでつい甘えてばかりいるから。せめてもの侘びとして、何か些細なことでもいいからしてやりたい。

なにをいってくれるかな、なんてきらきらとした視線で三谷瀬が口を開くのを待ってれば。三谷瀬は、はあ、と一度ちいさくため息を吐いてからゆっくりと視線を上げた。

「じゃあ、」

「!ああ」

「勉強見てよ」

「…ぇ、勉強?」

「だめ?」

「だめなわけではないが…。そんなことでいいのか?」

たしかになんでもとは言ったが、まさかそんなに安くつくもんでくるとは。

不服でも、ましてや不満なわけでも決してないが、俺はいつも三谷瀬に助けてもらってばかりで、いっぱい与えてもらってばかりで。日頃から感じてるこの溢れんばかりの感謝を少しでも返したかったのに。

その礼が勉強って…

やはりこれっぽっちも頼りにされていないのだろうか。

先程までとは一転、あからさまに気落ちしている俺に気づいてかもう一度三谷瀬はため息を吐いた。それがなんだかため息にまで責められてるような気になって。ますます悲しい気持ちになった。

だから完全に油断していた。いつの間にか身体を起こしていた三谷瀬が、俺の顔の横に手をついて、耳元にそっと唇を寄せた。

「じゃあ会長のこと、好きにさせてよ」

「ーっ!?」

キス以上のこと、しちゃおっか。

 

耳元で囁かれるからかうようなその声色に、ふるりと全身が粟立った。

ほんと、三谷瀬はずるい。俺が三谷瀬の声に弱いってこと知ってて、こんなこと言ってくるのだから底意地が悪すぎる…っ

「っだ、だめにきまって…!」

「だって勉強を教えるだけじゃ不満なんでしょ?」

離れようと、力の入らない腕で胸板を押し返せばその倍の力で呆気なくも捻じ伏せられる。それがすごく悔しいのに、それでも本気で突き放せない辺り、実に恋愛ってのは人を盲目にさせるらしい。これも、三谷瀬に会って初めて知ったことだった。

「わ、わかった。、っおしえるから、べんきょう。だから…はなれろ、」

顔が赤い自覚はある。だってこんなにも心臓がバクバクいっているんだ。こんなうるさいの、三谷瀬にも聞こえてたら嫌だな。だからはやく離れてほしい。変な汗まで出てきたし。

とてもじゃないけど目を合わせられなくて、両腕を交差して顔を隠しながらおずおずとそう言えば、予想に反して三谷瀬の身体はすぐ離れていった。

正直もっとからかわられると思ってたのに。

でも何はともあれ変な顔を晒さずにすんだのでよかったと、ほっと安堵で胸を撫で下ろした。

自分の想いを鎮めることだけで精一杯な俺に、何事もなかったような振る舞いで参考書を片手に椅子に座る三谷瀬の表情を窺う余裕なんて、もう残ってなかった。

「……いやおかしいだろ」

「どこか間違えてた?」

「いや間違えてるどころか解答は全部合ってるけど…、ってそこがおかしいんだ!これ、この問題、今まさに俺らの学年が習ってる範囲だぞ……」

「知ってるけど。それのどこが変なの」

「………」

変なのはおまえの頭の中だ。

そんなツッコミが頭を過ぎったが、口に出さなかった俺を誰か褒めて欲しい。

ただでさえ由緒正しい名門中の名門進学校と名高いうちの学園の、それも一学年上の問題を軽々と全問正答って、いったいどんな頭してんだ…。

絶句という言葉がまさにぴったりな俺の顔を見て、一度も手を止めることなくすらすらと偏差値70以上はあるだろう問題を解いていく一つ下の後輩は、ますます訳がわからないといったように首を傾げだ。

「……いや、なんでもない。それより今改めて、おまえが十数年ぶりの特待生だってことを実感したわ…。そういや編入資格の大前提となってる全国模試もトップだったんだっけか。やっぱり相当頭がいいんだな」

「そうでもないよ。…まぁ悪くもないとは思うけど。でも主席だって、この学園に入りたくてそれなりに勉強して取ったしね」

そりゃあ全国で主席とるにはそれ相応の学力と努力が必要になるだろうが。でも俺の中での三谷瀬の印象は、生まれ持った才能で軽々と主席をとる、努力とかそういう類のものとは無関係だとばかり思っていたから少し驚いた。それが話しを聞いた限りではどうやら誤解だったらしい。

三谷瀬だって人並みに努力したりするんだ…。

顔も頭もよくて、そんな才色兼備なだけでは飽き足らず更に努力家でもあるとは。

いったいどこまで三谷瀬はハイスペックなのだろうか…。そしてそんな三谷瀬の新たな面を知るたびにいったい何度、俺はやつに惚れ直せばいいのか…。計り知れないぞ、これは。未知数に違いねえ。

新しく判明した、実は隠れ努力家だったという事実は、こっそりと心に書き溜めている、俺が知っている三谷瀬ノートに新たな情報として更新された。

またひとつ三谷瀬のことを知れた…と胸がほくほくする。こうやって三谷瀬の知らなかった一面を知るたびにますます俺は三谷瀬に夢中になっていってしまう。それはもう、底の見えない沼のように。

それに、日に日に増していく想いは募るばかりで、一向に消化してくれる気配がないから困る。デカくなりすぎた、この三谷瀬が好きでたまらないという気持ちがいつか溢れてしまいそうで、もし溢れてしまったら、その時俺はどうなるんだろうと少し恐くなった。

 

「そこまで努力するほど、この学園を気に入ってくれてたのか?だとしたら、神宮聖の生徒会長としてこんなに嬉しいことはないな。ありがとな、三谷瀬」

「……実際この学園が最も王道に近いって聞いて、気に入ったのは本当だけど。…そんな嬉しそうな顔でお礼を言われちゃうと、さすがに罪悪感を感じるよね」

「?おうどう…?って名門校の王道ってことか?それなら安心していいぞ。この学園は世間からの評判通り設備も学業の内容だって一流だし。それにブランド名だってあるから、大学卒業後の就職先だってーー、」

「そうじゃなくて。俺が言ってるのは、違う王道のこと」

「ちがうおうどう…。」

「まぁ実際は王道は王道でも、非王道の方だったけどね」

「おうどうなのにひおうどう…。それはまた、ずいぶんと哲学的だな…」

「BL用語での王道、非王道ね。

つまり俺、腐男子なんだ」

ふだんし。ふだんし。ふだんし。頭のなかでしっかりと三回復唱された、この学園では馴染みのありすぎるその言葉に一瞬思考が停止した。だが動き出す頃には今までひらがな表記だったそのフレーズはしっかりと漢字変換されていて。ようやく合点がいったとでもいうのか、今までの謎がようやく解けた気がする。

「…おかしいとは思ってたんだ。高等部からわざわざ、名門とはいえ外部からは完全に閉ざされた男子校に入るなんてと。それに俺と初めて会った時も、まるで初対面の感じがしなかったし。他にもお前が、そういう、ふ、腐男子だとしたら合点がいくようなことが数多くあるし」

本当にそうだ。三谷瀬が腐男子だということを前提として今までのことを振り返ると、あらゆることが一つに結びつく。

そう、例えばーー

「稀有な特待生にも関わらず、編入後しばらくは生徒の間で噂にならなかったのも…」

「腐男子だからね。どうやったら人の注目を集めることができるかくらい、ある程度は予測できるよ。俺はその逆をしただけ」

「生徒会内部の状況に気づけたのも……」

「それも腐男子だから。…けどこんな展開になるとはさすがに予想してなかったけどね」

「……」

腐男子すごい。まるで特別な能力でも使って、客観的に俺たちを見ているようだ。

長年の謎が解けたように一気に全身の気が抜ける。脱力しかけて深く椅子に傾れかかった俺の姿を後目に、三谷瀬は話しは終わったとでもいうように止まっていたペンを再び動かし出した。

俺と三谷瀬以外誰もいない生徒会室の静かな空間に、かりかりとペンを走らせる音だけが響く。

「…こんなこと聞くのはあれかもだけど…」

俺の知っている三谷瀬幸乃ノートにまた新たに更新された、三谷瀬が腐男子だという事実に。まず、まず何よりも先に胸を騒がせたのは。

「おまえが腐男子ってことは、その、……お、おまえ自身もそういうのに、偏見、とかはなかったりするのか…?」

うんって。うんって、そう首を振ってくれたら。肯定してくれたら。

三谷瀬が腐男子、つまり同性同士の恋愛に偏見がないと知ったとき。何よりもまず胸を騒がせたのは、期待、だった。

自分自身の恋愛に対しても同じように偏見がなかったとしたら、それは、それはもしかしたら。叶うはずなんてこれっぽっちもなかった俺の想いが実を結ぶ確率だって僅かにでもあるということで。

それはもしかしたら、不毛な恋だって諦めてきた俺にとって、とても、とても嬉しいことなのかもしれないーー

そんなふうに期待してるってことを顔とか声で気づかれないように必死に平常を装って聞いてみたが、机の下に隠した手の震えまではどうやら誤魔化せないみたいで。ばれないか少しだけひやひやした。

だから、だから気づけなかった。期待とか不安とか、そういう感情だけでいっぱいいっぱいだったから。俺のその能天気とも言える問いかけに。

三谷瀬の手がぴたりと止まって纏う空気が静かに、でも無視できないくらい確かに、冷たく険しいものになったってことに、俺は一ミリも気づくことができなかったんだ。

「そうだね」

静かに三谷瀬が口を開いた。ペンを持つ手元は動いたままだ。

「ないよ、偏見。」

「っ!」

期待していた返事にわあっと脳内が色めきたつ。どきどきと心臓の音がうるさい。

じゃあー、と口を開こうとした俺を遮って、でも、と三谷瀬は続けた

「そう思うのは俺が腐男子だから。それ以上でも以下でもない。…だから俺自身がってことは絶対にありえない。今も、そしてこれからもね」

迷いなく断言されて、そして愚かにも今頃気づく。

冷たい瞳をした三谷瀬が見ているのは俺だけど俺じゃない、どこか遠くを見ているようで。俺越しに誰か他の人物を見ているようなその眼差しに、浮き足立っていた気持ちが一瞬にしてひび割れる。

(……そうか、そうだよなぁ…。)

もしかしたら、とかそんなのあるわけないのに。期待すればするほど、したその分だけ、だめだったときの落ち込みは計り知れないものになるってことくらいもうとっくに痛感したはずなのに。

それなのにまたばかみたいに期待してしまうなんて、本当に救いがなさすぎるだろ、俺

「…の割には、関係なくおまえはできるんだな」

突然変わった話題に、三谷瀬が首を傾げた。今まで俺を通して、俺じゃない他の誰かの姿を見ていた三谷瀬の視線を再び独占できたこと小さく安堵して。とことん救いのない自分の愚かさ加減にまたため息を吐きたくなった。

「…なんの話し?」

「……きす!しただろ、おれに…!」

「あぁ…なんだ。なにを言い出すのかと思えば、そんなことか」

「っ!そんなことって…」

「そんなことでしょ、キスくらい。女の子じゃないんだし、そんなに大袈裟に言うほど?」

あんまりな物言いに、かっと目頭が熱くなる。

確かに俺は男だけど、それでも心のどこかでは少し、ほんの少しだけ夢見てたんだ。ドラマみたいな初めてのキスに。

それを初対面で、何食わぬ顔で人の初めて奪っといて、それをさもどうでもよさ気にそんなこと扱いするなんて。それは、それはすこしひどくないか。さすがの俺だって傷つかないわけがない。

「慣れてたもんな。……おまえは必要なら、誰にだってできるんだな」

「……」

「おれは、は、はじめてだったのに…」

「……」

「っ、お、おれだって…おれだって!今からそこら辺のやつ捕まえて、キスのひとつくらいーーんぐ、!?」

してやる。そう言い切る前に口になにか押し込められる。恐る恐る咀嚼すると、甘い。クッキーだ。

普段食べなれているようなものではなく、少しバターの風味が弱いこの味は、どちらかといえば手作りっぽいようなー…なんて暢気に舌鼓を打っているその間に。

いつの間にか椅子から立ち上がり、つかつかと俺の目の前で止まった三谷瀬に気づいたのは、口内のクッキーがなくなってからだった。

「聞き間違いかも。ーごめん、今の、もう一度言ってくれる?」

「だ、だからおれだってきすくらいして、ーっぐぇ!?」

伸びてきた白い手に、両頬を思い切り掴まれる。

三谷瀬の纏う空気が一段階下がった気がするのは、きっと気のせいではない。

そしてその背後から、凄まじい威圧感を醸し出した三谷瀬は、にこりと笑った。

「俺だって、ねぇ?……はは、ずいぶんと言うようになったじゃん。」

むかつく。

「ーッわ…!?」

急に腕を掴まれ、椅子から立ち上げさせられる。驚く俺に構わいもせず、ぐいぐいとドアへと引っ張られる。

初めは呆然と、引っ張られるまま着いていく俺だったが、部屋の半分くらいまで進んだところではっとして、慌てて腕を振り払った。

「い、いきなりなにしやがる!」

「…何って、そこら辺のやつ適当に捕まえて、あんたとキスさせる」

「!?は……、?ーっなんでそんなこと、」

「あんたが言ったんでしょ。誰でもいいからキスしてやるって」

「っ、た、しかに言ったが……でもそれはーー」

「いくら嫌われてようが、あんた顔はいいし。キスくらいなら喜んでしたいってやつ大勢いるんじゃない?」

「----っ」

言葉の綾で、と続けようとしたが、遮るように放たれた三谷瀬の言葉に、喉が引き攣る。

冷たい瞳と嘲笑うように薄く上げられた口角、突き放すような言い方に、胸が押し潰される。何か言い返さなくては、と思考を巡らすも、全身で伝わるマイナスの感情に恐怖で言葉が出てこない。

初めはそんな俺を三谷瀬はじっと見ていたが、次第にいくら経っても口を開かない俺に痺れを切らしたのか、再びドアへ進み始めた。そしてついに、三谷瀬の手がドアノブを掴んだ瞬間、硬直していた口を開き、俺は叫んだーー

「い、いやだ……っ!!」

ぴたり、

ようやく立ち止まった三谷瀬の背中に、弾かれるように飛びついた。

「ぃゃだ、いやだ…みやせじゃなきゃ、っいや、だ……」

誰でもいいなんて嘘だ。三谷瀬以外のやつとなんて考えられない。三谷瀬とだからあんなに気持ちよくて、あんなにも幸せな気持ちになれるのに。それなのにその本人が他のやつとキスしろなんて、そんなのひどすぎる。

あまりのショックに視界が滲むのを、目の前の背中にぐりぐりと頭を押し付けることで必死に耐える。掴まっているワイシャツに皺ができているのを見て、ほんの少しだけ溜飲が下がった。

「……俺となら、いいんだ」

静かにドアノブから手を離して振り向く。ふわりと頭を撫でられた感触に驚いて思わず顔を上げると、そっと顎を掬われる。そのまま目尻に滲んでいた涙を舌で舐めとられて、くすぐったさに身をよじった。

「ねえ、結来会長。俺とならキスしてもいいの?」

なんでいまさらそんなこと聞くんだ…そんなの、わかりきったことなのに。それも俺の口から言わせたいなんて…三谷瀬は本当に意地が悪い。答えなんて三谷瀬への想いを自覚した時点で決まっている。

こくり、小さく首を振る。こんなの、三谷瀬とキスしたいって自ら言ってるようなもので、羞恥で死にそうだ。

「みやせが、…ぃい」

恥ずかしい、恥ずかしい…っ

 

さっきから心臓がどくどくとうるさいほど鳴っていて、くっついている三谷瀬にまで聞こえやしないか気が気じゃない。

湯気が出そうなほど真っ赤に染まってるだろう顔も見られたくないのに、顎を掴まれているせいで逸らすこともできないから、三谷瀬の目にばっちりと映っていることだろう。

「…顔真っ赤。泣かないでよ。弱いものいじめしてるみたい」

「おまえの、せい、だろ…っ、!おまえが、あんなこというから、っ、」

「はいはい、意地悪してごめんね?俺が悪かった。でも会長だって悪いんだよ?誰でもいいとか軽々しく口にするから、なら本当にその通りにさせて痛い目見せてやろうって思うでしょ」

「そ、それはついむきになって、思わず口から出ただけで……」

そう、ただ嫉妬しただけだった。

思わずむきになって、思ってもないことを言っちまうくらいには、三谷瀬の背後にちらつく影にどうしようもないほど嫉妬してしまっただけなのだ。

俺の初めてのキスを奪っといてなんの感情も抱かない三谷瀬は、自分で言うように、元からキスに対して特別な意味を持たないのだろう。

それなのに初めてしたときから三谷瀬のキスは熟練したように上手かった。それがどうしても、出会う前の俺の知らない三谷瀬を突き付けられたみたいで、悔しくてたまらなくなった。

だからあんなことを口走ってしまった裏側には、少しでも三谷瀬の気を引くことができたら…なんて、そんな下心も含まれていたのだろう。

…我ながらつくづく女々しい。心底自分に呆れて物も言えない。こんな自分、本当に嫌なのに。それなのに思考を裏切るように、また勝手に言葉がこぼれてしまうーー

「……みやせは、」

「みやせは、おれがほかのやつとキスしてもなにもおもわないのか……?」

三谷瀬以外の、誰かも知らないようなやつと俺がキスしようが、三谷瀬は本当になにも思わないのだろうか。

俺は嫌だ。三谷瀬以外とするのも、三谷瀬が俺以外のやつとするのも、想像しただけで心臓を直で握りつぶされたような痛みに襲われて息ができなくなる。それくらい三谷瀬のことが好きなのに、

三谷瀬は、やっぱりひどい。肯定も否定も、…そして俺の欲しかった言葉も何も言ってくれずに、駄々をこねる子供に言い聞かせるような顔で曖昧に笑って、ただ俺の頬を撫でるだけだった。

その表情と仕草から、困らせないでくれという三谷瀬の本音が聞こえてきて、そっと顔を伏せた。困ったような三谷瀬の顔をこのまま見続けていたら、必死に押し込めていた感情が爆発しそうで恐くなったからだった。

「やっぱり三谷瀬はずるい、」

ごめんね、と小さく呟き、そっと差し込んだ指先が優しく髪を耳へかける。露になった耳たぶに静かに三谷瀬の唇が触れた。きゅん、とお腹の辺りが切なく疼いて「んっ」と声が漏れてしまう。そんな俺を「かわいい」と三谷瀬は笑った。


ただ、君が好きなだけで

作品ページ作品ページ
次の話を読む

この作品はいかがでしたか?

24

コメント

0

👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!

チャット小説はテラーノベルアプリをインストール
テラーノベルのスクリーンショット
テラーノベル

電車の中でも寝る前のベッドの中でもサクサク快適に。
もっと読みたい!がどんどんみつかる。
「読んで」「書いて」毎日が楽しくなる小説アプリをダウンロードしよう。

Apple StoreGoogle Play Store
本棚

ホーム

本棚

検索

ストーリーを書く
本棚

通知

本棚

本棚