十七
開始早々の先制の後、神白達はルアレを圧倒し続けていた。四十分が経つもルアレのシュートはわずか二本で、完全にヴァルサが押し込んでいた。
ルアレの2番がボールを持つ。場所はゴールラインの少し外。ヴァルサ7番が寄せていき、他の者も連動してパスコースを塞ぐ。
「中を切れ!」神白は左手をメガホンにして、声を張り上げる。中央突破されると失点に直結するため、敵には外側へパスさせたかった。
敵2番は小さくドリブル。7番のチェックをぎりぎりで躱してロングキックを放った。
ボールが自陣へと飛んでくる。大きな弧を描くと、ヴァルサの守備ラインを超えた。ルアレの9番が追い掛ける。苦し紛れにしては絶妙なコースのキックだった。
(俺だ!)神白は即断し、地面を蹴った。神白の四十mのタイムは四秒八九。チーム最速は天馬だが、神白も一端のスプリンターである。
全力で加速する。だが9番も速い。神白はスライディング。9番より一瞬早く到達し、前へとクリアする。
ボールが転がった。ヴァルサ6番が確保した。背後から敵4番が迫る。
後ろにわずかに視線を切って、6番はちょんっと横に止めた。詰められる前に大きく蹴り出す。落下地点では、両チームの選手が先に触れるべくやり合っている。
(我ながらナイス判断! 俺は足は遅くない! いやキーパーとしては速いんだ! 自信もってやれよ! やればできんだから!)
自己暗示のように思考をしつつ、神白はボールの行方を目で追う。
ヴァルサの守備はプレッシング戦術という、前からボールを奪いに行く方法である。守備ラインは上がり目で、敵前線へのパスの奪取を狙う。よってキーパーは、ディフェンスの背後に生まれる広大な空間をカバーする必要がある。神白の俊足はその役割に打って付けだった。
また、ペナルティーエリア外だとキーパーも手は使えないのだが、神白は足元の技術も優れていた。
その後も試合は、ヴァルサの流れで進んだ。ロスタイムも三分ほど経過し、終了の笛が鳴った。
(やった! 前半はノーミス。パーフェクトゲームだ! 後半もこのまま──)
意気込む神白だったが、ホイッスルの音が止んだ瞬間、ふっと意識が遠のいていった。
十八
(──ここは)神白は覚醒した。針葉樹があちこちに生える、見慣れたヴァルセロナの町並みが広がっていた。
「どうだった? 楽しめてもらえたかな? 前半だけで切らせてもらったけどね」
目の前には、軽やかな笑顔のエレナが立っていた。周囲にはフベニールAのチームメイトが歩いており、謎の試合で五十分ほどプレーしていたにも拘らず、時間が経過していないとしか考えられなかった。
「ああ、ありがとう。良いゲームだったよ。やりたいことができた。わけは全然わからないけどな」神白は混乱しつつも、素直にエレナに感謝を述べた。
満足げに微笑み、エレナはさらに続ける。
「神白君の長所は、勤勉で堅実で献身的なところ。ザ・日本人選手って感じだよね。でも情熱の国・スペインで育った私からすると、ハングリーさが全然足りないね。サッカーってのは、自己表現の手段だよ。『俺はここにいるぞ!』ってな風に、自分をバンバン出していかなきゃ! リスクから逃げちゃあだめ。いつまで経っても殻は破れないよ」
エレナは力強く断言した。神白に向ける視線にも並々ならぬエネルギーがあった。
「自分を、表現、か。そうだよな。俺は萎縮し過ぎてたよな。貴重なアドバイス、ありがとう。念頭に置いて頑張っていくよ」
神白は心を込めて言葉を紡いだ。エレナはうんうんと、満ち足りた顔つきで小さく頷いている。
「にしても、君はどうして俺にここまでしてくれるんだ? いや、本当にありがたいんだけどさ。こないだは使命とか言ってたけど、まだ若いんだから自分の道を進むべきだって。いや、進んでほしいよ」
神白はきっぱりと告げた。気持ちを伝えるべく、まっすぐにエレナの大きな瞳を見つめる。
混じりけのない想いだった。神白は、自分の為に動いてくれるエレナに深く感謝していた。登場時の礼拝堂での一件にしても、一歩間違えればエレナは酷い目に遭っていた。それを押して助けてくれたことは、並の決意でないように感じていた。
エレナは依然、穏やかに笑んでいる。しかし神白の言を受けて、わずかに悲しみが滲んだようにも思えた。
「うふふ、やっぱり優しいね。でも大丈夫だよ。私は一度終わってるから。今こうしているのは、サッカーでいうところのロスタイム。だから大人しく、あなたの手助けに専念するの」
達観したような口振りだった。神白はさらに言葉を返そうか迷うが、思いとどまって口をつぐんだ。
するとエレナは、ぽんっと神白の肩に左手を置いた。
「さっきの試合の感覚を忘れないでね。ちょっとしたトリックは使ったけど、私は軽ーくお手伝いしただけ。あれだけのパフォーマンスをできるものは、間違いなく神白君の中にあるんだから。自分を信じていざ進め! だよ♪」
心の底から愉快げな調子で言い、エレナはにこりと神白に笑いかけた。神白はその眩しさに直視ができず、小さく顔を俯けた。
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