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ゆ。
520
#さのじん
こーの
45
ちゃ🍵
2,250
「仁 人。」
俺の名を呼ぶ声は低く、甘く、それでいてどこかいつも鋭さを孕んでいる。
少し離れたところからでも耳が拾ってしまうその声は、俺の心を縛り付けて離してくれない。
精一杯の何でもない振りにも、もうすっかり慣れていた。
…はずだった。
「…何?」
5人揃っての仕事の合間、年下組3人は別の仕事の都合でそれぞれ外へと出てしまっていて、そこには俺と勇 斗の2人だけの空間が広がっていた。
二人掛けのソファを一人で陣取り、手元の荷物を整理しながら顔は上げずに声だけで返事をすると、足音が近づいてくる。
勇 斗の影が部屋の灯りを遮り、俺の手元を暗くする。
「ちょっといい?」
その声と同時に伸びてきた手に、咄嗟に体が反応して、身を小さく縮こまらせた。
「えっ、ビビりすぎじゃない?」
笑う勇 斗に、小さく「うるせぇ…」と悪態をつくと、再びその大きな手が伸びてきた。
突然、髪をわしゃわしゃと撫でられて、頭が揺れる。
「ぅわっ…!ちょっ…、おま、なに?!」
戸惑ったまま、その手から逃れるように背もたれに身体を深く預ける。
「ん?いや~、ちょっとさぁ…。
撫でまわしてぇ!って、なんかずっと思ってて。」
そう言って、いたずらっ子のように笑う勇 斗は満足したような、物足りないような顔をして、ぼさぼさになった俺の頭を見下げている。
「はぁっ!?なんそれ!?だからって急に…。
きしょいって…」
内心は、心臓が大きく跳ねながらも、ただ勇 斗の唐突な行為に驚いただけだという素振りでやり過ごす。
俺が髪を手ぐしで整えていると、勇 斗は遠慮がちにこう言った。
「あのさー。…もっかい、ダメ?」
「……は?いや。きしょいきしょい…」
「おーねーがーいー!代わりになんか言うこときくからー!!」
「やめろって!駄々こねんな!まじで、なんなの?」
ぶつぶつ独り言で文句を垂れ流していると、思いの外、おふざけじゃないトーンの声が降ってきた。
「なんか触りたいんだよ。仁 人の頭。」
言っていることの半分も呑み込めないまま、「ねぇ、おねがい」ともう一度懇願される。
見上げると、その表情はからかっている風でも、馬鹿にしている風でもなく、いたく真面目だった。
「もぉー…、なんなん?まじ…」
「仁 人。お願い。」
この声だ。
俺の心をざわめかせて、波立たせて、跳ねさせる。
気付かれているわけもないのに、最近は俺が折れるのを分かっていて、わざと使ってきているような気がしてならない。
「…はぁ、もー…、わーったよ…。
好きにすれば?」
そういって改めて居ずまいを正し、渋々頭を差し出す。
「まじ?いいん?!」
口角を指先で抑えながらも、勇 斗は、そのにやける顔面を隠す気がないようだった。
勇 斗もソファに腰かけてきて、向き合うようにこちら側に体を向ける。
俺も改めて上半身だけは勇 斗の方に向きなおして頭を傾けた。
「じゃあ、失礼して…。」
「おう。」
そういいながら、先ほどよりもおずおずと大きな右手が俺の頭の上に置かれる。
「うわー…、気持ちいい。」
勇 斗はその感触を余すことなく堪能しようと何度も何度も、その大きな掌を行き来させる。
最初はゆっくりと遠慮がちに右手だけで触られていたが、いつのまにか左手も添えられ、頭を挟むように優しく撫でまわしている。
その行為はしばらく続き、だんだんと首をもたげた体勢でいることがつらくなってきた。
まだ終わらないのかと勇 斗の方に、ちらっと目線だけをあげたとき、こちらを見ていた勇 斗と目が合い、すぐさま逸らしてしまう。
一瞬合ったその目が、まるで獲物を捕らえた捕食者のように鋭く光っているように見てしまったからだ。
「っ、ごめん…。」
咄嗟に口をついて出た、何に対するものかも分からない謝罪に勇 斗が笑いながら言った。
「ははっ、何のごめん?」
「あ、いや、わからん。なんか、口が勝手に…。」
正直にそういうと勇 斗はまた「なんそれ」と笑った。
頭を弄びながらしばらく笑って、手を止めて静かになった勇 斗に呼ばれる。
「仁 人。」
「…なに?」
「こっち見て。」
そう言われた一瞬、心臓が跳ねる。
心の中で一呼吸置き、何事もないかのように、ゆっくりと目線をあげると改めて勇 斗と目が合う。
余裕な振りをしようと思ったが、あまりのまっすぐな瞳がそれを許してくれない。
「仁人さ、気付いてる?」
目が合ったまま、頭を挟んでいる手に力が籠められる。顔が動かせない。
「…なに、が?」
平静を装おうとするが内心は心臓が口から出そうなほど緊張している。
バツが悪くなって目線だけ逸らすと、さらに力を込められた手と同時にその目線の先に勇 斗の顔が移動してきて向き直させられる。
「目、逸らすな。」
離してほしい。
暴かないでほしい。
触れないでほしい。
そんな考えにばかり脳内が支配されている。
「なん、だよ…っ」
ふり絞った声に力はなく、動揺が滲んでいるのが自分でも分かった。
勇 斗が見ている。
俺を。
激しく戸惑っている俺を。
相変わらず目を逸らす様子も、逸らさせてくれる様子もない。
「じんと。」
この声で名前を呼ばれるたびに、じんわりと体温が上がっていく。
まっすぐ目が合ったまま、ふいに勇 斗の瞳の中に映っている自分と目が合った。
(勇 斗の目に俺が映ってる…)
勇 斗の瞳の中の俺は、完全に被食者の顔をしていた。
こんな顔を、今、こいつに晒しているのかと気付いた途端、体の熱が一斉に顔に集まった。
鼓動がどんどんと早くなり、呼吸の仕方が分からくなる。
勇 斗の威圧的な視線と沈黙に耐えられなくなり思わずきゅっと目をつぶってしまった。
「…っ、」
「…あーあ。逸らすなって言ったのに。」
俺にしか聞こえないであろう声の音量に心の中でハッとして、パフォーマンス中でもないのに、その異常な顔の近さにようやく気付く。
でももう遅い。
頭に添えられていた右手は頬をなぞり、左手が髪の中を掻き分けながら後頭部に回されていく。
「…もう、そのまま目閉じてろ。」
熱を孕んだ低く甘い声に、背中をなぞられるような感覚がして、自然と瞼に力がこもる。
唇に吐息を感じて、瞼だけでなく、顔全体が強張るのを隠すことなんてできなかった。
「ふっ…」と鼻で笑う気配がした時には、すでに唇に柔らかいものが触れていた。
それが勇 斗の唇だと気づくのに、時間はそう必要なかった。
勇 斗の香りが鼻を掠め、腰のあたりがゾクゾクとする。
(キス、されてる…。なんで…?)
なぜ、俺と勇 斗はキスをしているのか、そんな疑問が頭をよぎりながらも、感情を支配しているのは、離れたくないという浅ましい欲だけだった。
勇 斗の左手が後頭部から襟足をなぞる。
親指が耳の後ろを撫でている。
「んっ…、」
堪らず漏れ出た吐息が、勇 斗の口内に消えていく。
確かめるようにただ重なっていた唇が、徐々に啄むように角度を変えて何度も合わさる。
「…ん、ふっ…、ん、は、はや…とっ!」
思わず勇 斗の名前を呼ぶ。
申し訳程度の力で勇 斗の胸板を押し返すと、勇 斗はその手を取り、さらに力を込めてソファに縫い付けるように押し倒してきた。
俺に覆いかぶさる形で勇 斗はキスをし続ける。
本格的に逃げ場がなくなり、焦りはあるが快感がそれを上書きしていく。
「…んぅ、あ…ン、ふっ…」
キスをしているだけなのに漏れだす声を抑えることができなくなってきたとき、ようやくゆっくりと唇が離れていく。
「っはぁ…、はぁ…、なに…、して」
恨めしく睨むように勇 斗を見つめるとその目は唇を見つめている。
「キス、下手かよ。可愛い。」
「…はぁ!?」
今度は渾身の力を振り絞って勇 斗を押し返し退かせようとすると、先ほどとは打って変わって難なく勇 斗の体は俺の上から離れていった。
脱兎のごとくソファから起き上がり、勇 斗と距離を取る。
肩を縮こまらせながら、口元を守るように覆う手が震えていた。
勇 斗に背を向けたまま、こんな時どんな罵詈雑言を浴びせるべきなのか、頭の中の引き出しを片っ端から開けるが、何の言葉も出てこない。
むしろ
「なんでキスしたの?」
「俺のこと好きなの?」
「それともただの嫌がらせ?」
なんて、聞くべきじゃない、聞いたって仕方ないと分かっている言葉しか浮かばない。
「…く、そっ、」
小さく漏れた声を今できる最大限の悪態の代わりにして、滲みそうになる涙を必死に抑え込みながら、平静を取り戻そうと努める。
なのに後ろから近づいてくる声がそれを許してくれない。
「…仁 人。」
やめろ。
「…ねぇ、仁 人。」
呼ぶな。
「仁 人。」
背中に温かい気配がして、そのまま後ろから抱きしめられる。
「なん、で…。こんなこと…」
この腕から逃れたいのに力のないまま、ようやく紡いだ言葉は、純粋な疑問だった。
そんな俺を抱きしめたまま、勇 斗は俺の横顔を後ろから覗き込み、耳元で囁いた。
「だって…、食べてほしいって顔してたの、仁 人の方じゃん。」
コメント
1件
うわ、この空気感やばかったです……。仁人の戸惑いと抗えなさが細かい動作や心の声で丁寧に描かれていて、読んでるこっちまで息が詰まりました。特に「被食者の顔」って仁人自身が自覚する場面と、最後の「食べてほしいって顔してたの、仁人の方じゃん」って勇斗のセリフの落差がエグいです。この2人の緊張関係、続きが気になりすぎます…!