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第325話 身体は誰のもの
【現実世界/雲賀家・夜】
ハレルは、テーブルの上に置かれた資料を何度も見返していた。
榊原梓。
生命維持装置。
空になったカプセル。
二度目の搬送。
そして
名前の消された女性。
一つひとつは別の事件に見える。
だが、並べると同じ言葉が何度も出てきた。
身体。
その身体を誰が使うのか。
どこへ置くのか。
戻るのか。
戻らないのか。
残すのか。
捨てるのか。
その決定を
誰がしていたのか。
サキが資料から目を上げた。
「変だよね」
ハレルが見る。
「何が?」
「みんな身体のことを、物みたいに話してる」
匠も端末から顔を上げた。
サキは続ける。
「器とか、保存対象とか、移送対象とか」
梓の身体。
名前のない女性の身体。
カシウスたちの実験で使われた死者の身体。
「でも、それって」
サキは少し考えた。
「その人がずっと生きてた身体なんだよね」
ハレルは黙る。
「顔も、手も、傷も、全部その人のものなのに」
匠が静かに言った。
「研究を続けてると、そういう言葉を使うようになる」
サキが父を見る。
「父さんも?」
「使ってた」
即答だった。
「意識を入れる側をコア。入れられる側を器。そう呼んだ方が話が早いからな」
ハレルが聞く。
「今は?」
匠は少し間を置いた。
「なるべく使わないようにしてる」
「なんで?」
「簡単だからだ」
サキが首を傾げる。
匠はテーブルの資料を指した。
「器って呼べば、誰かがその身体で生きてたことを忘れやすい」
榊原梓の身体。
何年も眠らされた身体。
名前のない女性。
胸を大きく傷つけられ、それでも誰かに保存され続けた身体。
「道具として見るには便利な言葉だ」
匠の声が少し低くなる。
「だから危ない」
◆ ◆ ◆
ハレルは胸元の主鍵へ触れた。
「榊原さんは、自分の身体を探してほしいって言った」
「うん」
サキが頷く。
「でも戻りたいとはまだ言ってない」
「そうだ」
匠も頷いた。
「身体が見つかることと、そこへ戻ることは別だ」
ハレルが聞く。
「もし身体が見つかって、榊原さんが戻りたくないって言ったら?」
「戻さない」
「本当に?」
「本人がそう決めるならな」
「でも身体は生きてるんでしょ?」
「ああ」
「だったら……もったいないとか思わない?」
匠はすぐには答えなかった。
サキも父を見る。
「思うかもしれない」
やがて匠は言った。
「助けられる。戻せる。そう思ったら、戻したくなるのが普通だ」
一度、言葉を切る。
「でも、それを理由に本人の意思を飛ばしたら、白峰やカシウスと同じになる」
ハレルの表情が変わる。
「戻すことが悪いんじゃない」
匠は続けた。
「本人が戻ると決めてないのに、周りが勝手に戻すことが問題なんだ」
サキが小さく言った。
「身体って、その人のものだから?」
「そうだ」
匠は頷いた。
「身体だけが人間を決めるわけじゃない」
意識。
記憶。
名前。
経験。
選択。
どれか一つだけで、その人全部を説明できるわけではない。
「でも」
匠は続ける。
「だからといって、身体を他人が好きにしていい理由にもならない」
◆ ◆ ◆
【異世界/王都イルダ・王国警備局】
ノノの前には別の身体の記録があった。
エルン・ヴァイス。
現在。
王都内で行方不明。
本人の神経、記憶、魔力経路の半分以上に、サロゲートの片鱗が入り込んでいる。
アデルが地図を見ながら聞く。
「まだ見つからない?」
「うん」
ノノが首を振る。
「黒い反応だけ探す方法が使えなくなってる」
「本人に混ざりすぎたからか」
「そう」
エルン自身の魔力。
片鱗の反応。
今は二つが重なっている。
イデールも地図の横に立っていた。
「街の治療所にも連絡してるよ。火傷とか、急に黒い線が出た人が来たら教えてもらうようにしてある」
アデルが頷く。
ヴェルニは少し離れた椅子に座っていた。
珍しく静かだった。
アデルが見る。
「気にしてるのか」
「何を」
「狙われたこと」
「別に」
即答したが
少し間を置いて。
「……あいつが俺を覚えてたことは気になる」
ノノが顔を上げる。
ヴェルニは続けた。
「俺に負けた時のことを覚えてるなら、サロゲートだった頃の記憶が残ってるってことだろ」
「たぶん」
「だったらエルンの中にいるのは、ただの欠片じゃねえ」
ノノは答えなかった。
その通りだった。
役割だけを繰り返す片鱗。
そう考えていた。
だが今は
恨み。
恐怖。
自己保存。
そして過去の記憶。
それがある。
イデールが静かに言った。
「だから余計に難しいね」
ヴェルニが見る。
「何が」
「エルンを助けるために片鱗を消すとしても」
イデールは少し言葉を選ぶ。
「その片鱗にも、消されたくないって気持ちがある」
ヴェルニの表情が曇る。
「敵だぞ」
「うん」
「エルンの身体を乗っ取ってる」
「それもそう」
「だったら――」
言いかけて
ヴェルニは止まった。
イデールはその続きを急かさなかった。
しばらくしてヴェルニが言う。
「……面倒くせえな」
ノノが小さく答えた。
「うん」
◆ ◆ ◆
アデルはエルンの記録を開いた。
昨日エルン本人が口にした言葉。
自分がどこまで自分なのか分からない。
片鱗も消されたくない。
自分も消されたくない。
そして
王都へ逃げた。
「エルンの身体は誰のものだ」
アデルが突然聞いた。
ノノが見る。
「エルンでしょ」
「なら片鱗は?」
誰も答えない。
「片鱗は、その身体を自分のものだと思い始めている」
イデールが小さく頷く。
「エルンも、自分のものだと思ってる」
「二つの意識が、一つの身体を自分のものだと思っている」
アデルが腕を組む。
「どちらかを消せば解決するのか」
ノノは首を振った。
「今は分からない」
「片鱗だけを消した結果、エルンの身体が壊れるかもしれない」
「うん」
「逆に、このまま放置すればエルンが消える可能性もある」
「ある」
アデルが低く息を吐く。
「どちらにしても、他人が簡単に決められる話じゃないな」
イデールが言った。
「だから見つけないと」
アデルが振り返る。
「何を聞く」
「今のエルンが、どうしたいか」
「片鱗にも?」
イデールは少しだけ迷った。
それでも。
「話せるなら」
と答えた。
◆ ◆ ◆
【どこでもない層/深部】
白峰律は榊原梓の光の近くにいた。
近づきすぎない。
触れない。
ただ現実側から届いた情報を見る。
空のカプセル。
二度目の搬送。
名前のない女性。
そして梓の身体を
カシウスが何度も移した可能性。
白峰が静かに言った。
「私は昔」
カシウスは少し離れた場所にいる。
「身体を器と呼んでいました」
「今も器だ」
白峰はすぐに振り返った。
「違います」
カシウスの表情は変わらない。
「意識が身体を離れたなら、身体は保存容器に近い」
「あなたはまだそう考えているんですね」
「事実だ」
「では」
白峰が聞く。
「榊原さん本人が、あの身体へ戻りたくないと言ったら?」
カシウスは少しだけ黙った。
「非合理的だ」
白峰の表情が変わる。
「質問に答えてください」
「身体は生きている」
「それでもです」
「戻れる状態にあるなら戻るべきだ」
「誰が決めるんです」
「生存確率が高い選択を取る」
「誰が?」
カシウスが白峰を見る。
「判断できる者がだ」
白峰はゆっくり首を振った。
「だからあなたは同じことを繰り返す」
「何が」
「本人が決める前に、答えを決める」
榊原梓。
名前のない女性。
そして。
かつて白峰自身が行ったこと。
「正しいと思う答えを用意して」
一度
言葉を止める。
「そこへ人間を押し込む」
カシウスは言う。
「本人の選択が常に最善とは限らない」
「そうでしょうね」
白峰は否定しなかった。
「間違えることもある」
「なら」
「それでも」
白峰が遮る。
「その人の人生です」
深部が静かになる。
「間違える権利まで、あなたのものではない」
榊原梓の光が。
僅かに揺れた。
◆ ◆ ◆
カシウスは
しばらく梓の光を見ていた。
「意識だけで長期間存在した」
白峰は答えない。
「肉体から切り離されても、自己を維持している」
「だから?」
「それなら、身体への依存は低い」
白峰の目が細くなる。
「何が言いたい」
「別の身体でも成立する可能性がある」
その言葉に
白峰の表情が完全に変わった。
「やめてください」
「仮定だ」
「考えること自体をやめろとは言いません」
白峰はカシウスを睨む。
「でも、本人へ聞く前に実行しようとするなら止めます」
「あなたに?」
「ええ」
白峰は。
迷わず答えた。
「今度は」
梓の光を見る。
「本人が決める」
◆ ◆ ◆
【現実世界/雲賀家】
主鍵が一度だけ
強く光った。
ハレルが顔を上げる。
「父さん」
匠も反応を見る。
「梓さん?」
サキが聞く。
ハレルは胸元の主鍵へ手を添えた。
「榊原さん。聞こえますか」
数秒。
ノイズ。
弱い。
だが
声が届いた。
『……身体……』
三人の表情が変わる。
ハレルは急がない。
「はい」
『……私の……』
途切れる。
再び。
『……見つかった……?』
ハレルは正直に答えた。
「まだです」
光が僅かに弱くなる。
「でも、前にいた場所は見つかりました」
『……前……』
「そこから、また別の場所へ運ばれたみたいです」
長い沈黙。
サキが主鍵を見つめる。
やがて。
梓の声。
『……勝手に……』
ハレルの指が止まる。
『……動かされた……?』
「はい」
誤魔化さない。
『……何度も……?』
「たぶん」
主鍵が強く震えた。
今まで梓の反応は。
恐怖。
迷い。
戸惑い。
そういうものが多かった。
だが、今初めて。
はっきりと
怒りに近いものが混じった。
『……私の身体なのに……』
サキが小さく息を呑む。
ハレルは何も言わない。
梓自身が続ける。
『……私が……知らないところへ……』
光が揺れる。
『……勝手に……』
匠が目を伏せた。
その言葉は
梓の身体が単なる帰還先ではないことを
はっきり示していた。
戻るかどうかとは関係ない。
あの身体をどうするか。
それを決める権利は
ずっと榊原梓本人にあった。
ハレルが静かに答えた。
「必ず探します」
少し間を置く。
「でも、見つけたあとどうするかは」
主鍵へ触れる。
「俺たちは決めません」
光が止まる。
「榊原さんが決めてください」
数秒。
そして。
一度だけ。
白い光が強く脈打った。
◆ ◆ ◆
同じ頃。
別の世界では
エルン・ヴァイスの身体を二つの意識が奪い合っていた。
現実世界では
名前を奪われた女性の身体が
誰にも選ばせてもらえないまま
死体として残されていた。
そして
榊原梓の身体は
本人の知らない場所へ何度も運ばれていた。
身体だけが
人間を決めるわけではない。
それでも。
その身体をどうするのか。
その人生をどうするのか。
それを決める権利まで。
他人のものにはならない。
コメント
1件
第325話、読み終えました。「身体は誰のもの」という問いがずっしり来ますね。梓さんの「私の身体なのに」という怒りが初めてはっきり出てきたところ、すごく印象的でした。匠さんの「本人が決める前に答えを決めるな」というスタンスにも共感します。カシウスと白峰の対立も、エルンの事情も、どちらも正解がないからこそ読み応えがありました。続きが気になります。