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人から漏れ出す音が消え、闇が静寂を呼んだ。
凡ゆる影が住まう路地を抜けると、見慣れたはずの銭湯の、薄汚れた裏の顔があった。築40年は経つだろうひび割れた外壁には、僕の知らない単語のスプレーアート。いや、落書きだ。
明滅する電灯はその全容を照らさなかったが、月光の代わりに正しく酩酊した若者を映し出した。
社会は意味のないことを良しとしない。何かを考えている時間は、何も為し得ない時間だという。一度爪を立て、牙を剥いてしまえば、鈍い光は何者でもないそれを浮かび上がらせる。
夜は影を作らないから、楽だというのに。
寄り道がしたい気分だったわけではなく、会社の同僚家族を見かけたので、そそくさと逃げ出た。
お陰で生温い夜風に当たることができたし、希望の光を見ることもできた。
僕はまだ髪の乾かぬうちに、コーヒー牛乳を買いに戻った。ルーティンは崩されたくない。
従業員は静かにタオルを畳む番台一人。家族経営だが、半年前に先代が入院生活となり、50代半ばの次男が切り盛りしている。仕事は丁寧で、古さを感じさせない清潔さは彼の几帳面さの表れであるが、何せ愛想がない。先代が紡いだ町民との縁は、ここ最近ですっかり途絶えてしまったようだ。
下駄箱を過ぎると、休憩室の暗がりの中に煌々たる自動販売機がある。目の前のボタンには、赤く”売り切れ”の文字。何にしようか迷うこと5分、何も買わずに銭湯を後にした。
恥を忍んで言えば、僕の人生は誰かに答えを求めるのが常だ。そして、正解は僕しか持っていないと途中で気付く。この繰り返し。
何かを選ばなければいけない時は、必ず消去法をとる。徹底的にふるい落とす材料が揃わないと、捨てきれない。
コーヒー牛乳だって、遠い記憶で父親が飲んでいたから、それだけで選んでいる。僕の選択は、いつだって誰かに委ねられている。