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闇の中にいた。何もない空間。
音も、重力も、色もなく、ただ“消えていく感覚”だけが身体に染みていた。
それは、冷たくもなく、苦しくもなく、むしろやさしすぎるほどだった。
あの日、勇者に触れたときの温度が、今でも掌に残っていた。
あの一瞬のぬくもりと、名前を呼んでくれた声だけが、ここにあるすべてだった。
それはまるで――
このまま、静かに終われるのなら、それも幸せかもしれないと錯覚させるほどに、安らかだった。
「……でも、それじゃ駄目だよね」
声は、自分のものだった。
次の瞬間、視界の奥に、わずかな光が射し込んだ。
⸻
息を飲むようにして、神官は跳ね起きた。
視界はぐにゃりと揺れ、次第に焦点を結んでいく。
見慣れない天井。硬い石の寝台。
頬に触れる風の匂い。微かな香の残り香。
ここは――教会。どこかの、静かな村。
「……生きてる……?」
呆然と呟いた声に、背後から足音が近づく。
老いた牧師が、静かに頷いた。
「君は……死んでいた。
けれど、“灰の祈り”が導いてくれた。
勇者の呪いに触れ、彼の中に“光”が残っていたから、魂が辿ってこられたのだろう」
神官は胸に手を当てる。
そこに確かに鼓動があった。
でも、それ以上に“空っぽではいられない感情”が込み上げていた。
彼を救いたいという願いが、まだ燃えている。
触れてしまったことへの悔いよりも、
もう一度、あの人に“ちゃんと手を伸ばしたい”という想いの方が、強くなっていた。
「……また、行かなくちゃ」
震える足を無理に起こしながら、神官は立ち上がる。
その背に、牧師は祈るように言葉をかけた。
「術者の痕跡を辿るなら、北にある《眠りの図書院》がよい。
古き呪いの記録が残されている。だが――」
「危険な道、ですよね。
でも、もう怖くない。……だって、あの人は、きっと、どこかで待ってる」
そして、神官は扉を開けた。
朝の光が差し込む。
目を細めながらも、確かに前を見据えて、一歩を踏み出した。