テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
うめぼっち

676
臣桜
51,257
鷹槻れん/鷹槻うなの

36,051
#恋愛
水無月 京
1,300
大豆生田さんは忙しい。
私は毎日出社しているのに、彼をオフィスで見かけることは稀だ。
やれプロジェクトの報告会だ、やれ営業の商談だと毎日複数のクライアントを訪問している。
東京近郊だけではなく、名古屋、大阪、福岡と満遍なく全国を飛び回っている。時々海外にも行く。
オフィスに長時間滞在することもあるが、そういう時は大体険しい顔をしてずっと個室に引きこもっているのが常だ。
わずかな休憩時間もなく、ひっきりなしに社員が大豆生田さんを訪問しては深刻そうな顔をして何かを相談している。
忙しくて体調が心配になる……もっとも、そのスケジュールを組んだのは私なんですけど。
「ねーーートイレに行く暇もご飯食べる暇もないんだけど」
「そう仰るだろうと思ってとりあえず15分はブロックしてます。ランチはここに置いておくので今のうちにどうぞ」
「えー、弓家さん神様じゃん」
あらゆる方面からのお願いを聞いていれば、スケジュールはいつもパズル状態で、休憩時間も用意してあげられない。
ちょっと申し訳なくも思うけど。
でも言わせていただけば、私だって大豆生田さんから相当な無茶振りをされている。
「シニアマネージャー以上を全員集めて打ち合わせ枠セットして、今週のどこかで」
できれば対面がいいなー。
出張帰りだろうか。夕方、私が退勤しようか悩んでいるタイミングで颯爽とフロアにやってきた大豆生田さんは私に朗らかに言い放った。
「…無理でしょう。20人の予定空いてる枠なんてあると思ってるんですか」
大豆生田さんは突出して忙しい人材だけれども、他のメンバーだって当たり前に忙しい。
目先数日以内に全員が空いている時間なんて、真夜中しかないですけど!
というか大体あなたまた明日から出張じゃないですか!!
「秘書から無理って言葉は聞きたくないな」
心の中で叫ぶ私を知ってか知らずか、薄い微笑みを浮かべて個室に入る大豆生田さん。
まだ共に仕事をして数週間だけど。その笑みの下に隠れている思惑は流石に理解している。
「プロとしてやり遂げろや」
彼自身の仕事ぶりを目の当たりにしていれば、いやでも気づく。大豆生田さんは、プロであるための努力を泥臭く続ける、実は努力の人だ。
そして、嫌味でもなんでもなく周囲の人間も同等の努力をしていると信じて疑っていない。
「あーもう」
そんな姿を間近で毎日見せられていれば、私も自分に嘘はつけなくなる。…ただし、Webと併催にさせてもらうわよ。
結局、その場で発奮してオーダー通りの枠をセットし、ついでに他の雑事も片付けていれば帰路に着いたのは20時すぎだった。
まだWeb会議をしていた大豆生田さんはチラリとこちらを見て、カメラの死角でこっそり片手を上げてくれる。
お疲れ様です、と頭を下げて退勤した帰路は、不思議と心地よい疲れで体が満ちていた気がする。
なんて日もあったかと思えば。
「あとごめん、この領収書ってどうにかなる?」
手に持っていたのは半年前の…宿泊費だろうか。
担当前だから詳しくは知らないけれど、きっと出張で発生したものなのだろう。
「…無理って言っちゃいけないんでしたっけ」
「飲み込みが早い優秀な秘書は好きだよ」
どうしてそんな領収書を隠し持ってたのよ…。会社の経理規定にガッツリ違反する処理を肩代わりさせられる身にもなってほしい。
「多分これ経理からお叱りの電話来ますよ」
「えーやだ怖い」
「じゃあこれからはこういう最低な後出しやめてもらえます?」
「あ、経理より弓家さんの方が怖いな!」
事務処理にずば抜けて弱い、というのは元来褒められることじゃないけれど。
彼が完璧なマシーンでないことを証明する証跡のようで、心がくすぐったくなる。
天才のような彼の、「苦手」を埋めることが、いつしか私の仕事になっていっている気がしていた。
コメント
1件
いやもう、大豆生田さんの無茶振りと弓家さんの冷静なツッコミのバランスが絶妙すぎてニヤニヤしちゃいました……。「無理って言っちゃいけないんでしたっけ」って切り返すとこ、めちゃくちゃ好きです。あと、最後の「天才の『苦手』を埋めるのが自分の仕事になっている」って気づき、すごく丁寧で胸にきました。こんなに自然に役割ができる関係、羨ましいなあ。次も絶対読みます📖🤍