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SWEET DAYS

6 - ガトーショコラ(大森×藤澤)

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2025年04月30日

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そういえば、君に最後に好きだと伝えたのはいつだったろう。


雑踏の中、彼の姿を見つけた時、俺の見知らぬ男の隣で楽しそうに笑うその表情を捉えた時、俺は悲しみでも憤りでもなくって、そんなことを思った。彼らは俺の向かい側からこちらに向けて歩いてきていた。俺は慌ててキャップを深く被り直す。多くの人が行き交う中で、俺達もすれ違った。その瞬間の彼の様子を確認することは出来なかったけれど、すれ違ったあとに恐る恐る振り返ると、変わらずに親しげな様子で歩いていく2人の姿が人の波の向こうにみえた。立ち止まってしまった俺にぶつかった歩行者が、邪魔だと言わんばかりに大きく舌打ちをする。聞こえないはずの彼の楽しそうな笑い声が、耳に残るように頭から離れなかった。

その後用事を済ませて帰っても、まだ彼は帰ってきていなかった。カレンダーに互いの予定を書き込んでおく習慣はいつの間にか途絶えた。だから彼が今日どんな用事で家を空けているのかも分からない。もちろん何時に帰ってくるのかも。でもおそらく、最初にこの習慣を蔑ろにしたのは俺に違いなかった。


「元貴、今日は何時に帰ってくるの?」


涼ちゃんがこう尋ねてこなくなったのはいつからだったろう。


「あー、分かり次第連絡するよ。なるべく早く帰るね」


が、


「わっかんないよ仕事なんだから……別に何時でも良くない?」


に変わって、いつの間にかそんな会話すらなくなっていた。


「好きだよ」


彼が最後に俺にそう言ったのはいつだったろう。それは朝だったのか、夜だったのか、彼は笑っていたのか、それとも泣いていたのか。俺なんと返したのか。全く何も思い出せないのだった。

涼ちゃんが帰ってきたのは夜中の2時を過ぎてからだった。リビングでテレビをつけながらスマホをいじっていた俺を見て、少し気まずそうな顔をしたあと


「珍しいね、元貴がリビングにいるの」


「……そうかな」


お酒を飲んできたらしく、少し酒臭い。嗅ぎなれないタバコの匂いもした。涼ちゃんがキッチンでコップに水を入れる音が背後から聞こえる。


「うん、最近は家にいても自分の部屋にこもりっきりだったじゃない」


そうだったかもしれない。いろいろと進めたい作業もあったし……、いや、それだけじゃなくて、なんとなく彼と二人きりになった時の微妙な空気の重たさが煩わしくなっていたのだ。お互いが、お互いの距離を測り合うような、すり合わせの時間。


「……今日どっか出かけてたんだ?」


話を逸らそうと別の話題に変える。


「あー、うん。友達とちょっとね」


実は俺、今日の夕方に涼ちゃんとすれ違ったんだよね。すごく仲良さそうに歩いていたけれど、あの男の人って誰?


「……楽しかった?」


彼に聞きたいことはたくさんあるはずだった。でもそのどれもが、口に出すことができなかった。飲みかけの水の入ったコップを持ちながら、涼ちゃんはソファの俺の隣に座る。


「うん、まぁ……どうしたの?元貴今日なんか変じゃない?」


そう?そんなことないよ、と笑ってみせたが微妙にその笑顔がひきつっているのが自分でも分かる。俺は自分で思っていたよりもかなり、彼の「浮気」に動揺しているらしかった。


「でも元貴が起きててくれてちょうどよかった、僕ちょうど元貴に……」


話がある、とでも言うんだろうか。それは別れ話だろうか。俺は咄嗟に彼の腕を掴む。


「や、やだ」


思っていたよりも情けなく、震えた声が俺の口から飛び出る。涼ちゃんは驚いたように目を見開く。


「どうしたの」


彼の服をぎゅっと掴む俺の手に、彼はそっと優しく自分の手を重ねた。


「なに自分勝手なこと言ってるんだって思うかもしれないけど、そりゃ自分でも思うんだけど、でも俺、涼ちゃんじゃなきゃダメなの。涼ちゃんにも俺じゃなきゃダメな部分って少しでもあったりしないかな。少しでも残ってるなら、俺じゃダメかな」


吐く息が熱かった。感情の昂りに合わせて身体中が熱くなっているのが自分でもよく分かった。潤んでぼやける視界のむこうに、戸惑いを露わにする涼ちゃんの顔が見える。


「なに、元貴、急にどうしたの」


「だって俺に話って……別れたいとかじゃないの?」


へっ?!と彼は素っ頓狂な声を上げる。


「なんでそうなるの!僕はただ、元貴が前から食べたがってたガトーショコラのお店に寄ってお土産買ってきたよって言うつもりで……」


「えっ」


涼ちゃんは慌ててソファの横に置いたカバンから小さな紙袋を取り出す。


「わ、袋ぐしゃぐしゃになっちゃった……ほらみて、これ。元貴前に食べたいって言ってたでしょ。でもお取り寄せとかできないから直接買いに行かなきゃいけないなーって」


そういえば、もうずっと前だけれどそんな話を確かにした。テレビで取り上げられていたのを2人でこうやってソファで並んで観ていたんだ。いいなー食べたい、でも店行かなきゃ買えないのかー、そんな暇ねぇや。そうやって口を尖らせた俺に、今度落ち着ける休みができたらお忍びデートして買いに行こうよ、なんて彼は笑った。今日彼を見かけた駅は、確かにあの店のある駅だった。自分でもそのガトーショコラを食べたいなんて発言したことは忘れていたくらいだったのに、彼は覚えてくれていたのだ。


「今日ちょうどその辺りに行ったからさ……ちょっ、ちょっと元貴、何でそんなに泣いてるの」


ぼろぼろと派手に涙をこぼす俺に、涼ちゃんはあたふたして、それから俺を抱きしめた。


「なんだよ、も〜。僕が元貴じゃなきゃダメなのなんて、元貴がいちばん分かってると思ってたのに」


「……ガトーショコラが嬉しくて泣いてんだい」


そんなに?!と涼ちゃんが派手に笑う。


「え〜買ってきてよかった」


「……ありがと、覚えててくれて。デートも、ちゃんとしよう」


「……うん」


涼ちゃんは俺を抱きしめたまま、優しく頭を撫でてくれる。お忍びデートって話したの覚えてたんだね。彼はぎりぎり聞こえるか聞こえないかくらいの声でぼそりと呟く。何かとあれば泣くのはいつも彼の方だった。そういえば、彼はいつから俺の前で泣かなくなったのかな。


「冷蔵庫入れとくね。それとも今食べる?」


いつもなら時間を考えて食べないところだけれど、今日は頷く。


「ねぇ、好きだよ」


ガトーショコラを切り分けてくれようとキッチンの方へと向かう涼ちゃんの背に声をかける。


「ふふ、ガトーショコラが?」


「ううん、涼ちゃんが」


ぴたり、と彼の動きが止まった。それから彼は


「今日はどうしたの、本当に……。でも、ありがと」


と言って振り返って笑ってみせた。


「元貴どれくらい食べる?僕少しにしとこうかな〜チョコレートだし肌荒れしちゃうよね、でもおいしそう〜」


箱を開けながら、楽しそうに笑う彼。いつも通りの笑顔。俺はソファを立って、キッチンに立つ彼を後ろから抱きしめた。


「ちょっと、包丁使ってる時は危ないよ」


「……涼ちゃん」


なに?ときょとんとした表情で振り返る彼に、俺は何も言えなくなってしまう。彼は少し困ったように、小さく笑ってから


「僕、元貴の方が別れたがってると思ってたよ」


何気なくそう言って視線を戻す。そのうなじには、彼も気づいていないであろう真新しい鬱血痕がひとつ、見せつけるように付けられていて。俺はそれを上書きするように彼のうなじを強く吸い上げる。涼ちゃんは驚いたように小さく悲鳴をあげた。

俺は彼のそれを問い詰めようなんて全く思わなかった。あの時の彼は間違いなく俺に別れ話をするつもりだったのだ。でも俺の言葉によって彼はそれを変えた。たしかにガトーショコラは俺との会話を思い出した故のお土産だったかもしれないけれど、それと同時に復讐の道具でもあったはずだ。これと別れの言葉を置いて彼はここを去るつもりだったに違いない。このガトーショコラの意味に気づくかどうか試すために。気づかずとも、俺は彼を失い、気づいたとしたらその時は、この復讐はより意味のあるものになるというだけの話だった。

それでもただ黙って出て行くという選択肢を取らなかったのは、彼の中に少しでも俺への情が、期待が、残っていたからに違いなかった。そういう意味で、あの時の俺の言葉は「効果的」だったのだ。

「もし少しでも残っているなら」。はっきりと俺が涼ちゃんを必要としているのだと示した上で、彼の内に残る未練に訴えかける言葉は、計算通りに彼の心を捕らえた。


「ほら、切り分けたよ。食べよっ」


抱きついたままの俺に、彼はひと口大に切り分けたガトーショコラをひとつ差し出した。

彼の荷物が減っていると気づいたのはつい3日前のことだった。だから今日の彼の休みに合わせて、俺は彼には仕事だと嘘をついて彼が出かけたのを確認してから家に戻り、彼の部屋を確認した。普段は立ち入ることのない、彼のプライベートルームには大きな家具以外、スーツケース1つ分……それも丁寧に詰め込まれたそれがあるのみだった。出ていくつもりなのは一目瞭然だった。それをみた俺はすぐに彼のスマホに昨晩こっそり仕込んだGPSアプリを使って彼の所在を確認する。相手の男が誰なのか、探偵を雇う方法も考えたがそれでは時間がかかりすぎる。何としても今日中にその顔を捉えたかった。帽子にサングラス、マスクをして変装しているとはいえ、相手の顔写真を撮るためにすぐそばをすれ違った時にはさすがに気づかれるのではないかと心臓が痛くて仕方なかった。……幸い、涼ちゃんはその男と話すのに夢中で気づかなかったけれど。

無事に男の写真も入手した俺は「用事」を済ませに友人に会いに行った。こうした世界にいると、少しグレーな世界に知り合いもできるというもので。とりあえずは涼ちゃんがすぐに出て行くのは回避出来たと思いたいけれど、1度心を許した相手と変わらずに会える環境にあるようではいつまた彼が俺のそばを離れていってしまうか分からない。今日の作戦が失敗した時の保険として、男には少し「怖い思い」をしてもらうように友人には頼んできたが……俺の存在を知っていて、うなじにキスマークをつけるようなやつだ。自然に見えるよう「フェードアウト」してもらうのもいいかもしれない。


「おいしい!ラムかな?洋酒も効いてる」


自分もガトーショコラをひとつ口に入れた涼ちゃんは嬉々として声を上げた。チョコレートの風味が濃厚でしっかりとした生地感のそれは、ただ甘いチョコレートケーキとは違う。華やかな洋酒の薫り、ビターな後味。


「うん、めちゃくちゃおいしい」


そういって彼に笑いかけると、もう一個たべる?とまたひとつ手に取って差し出してくれる。俺はそれごと彼の指を口に含む。彼は擽ったそうに笑った。


「ちょっと、僕の指まで食べないでよ」


「ん、だってチョコレートがついてんだもん」


そんなについてないでしょ〜とツッコミをいれる彼に俺は口付ける。あの男と連絡が取れなくなったら、君はどんな表情をするかな。でもいいよね、別に。俺がいるんだし。長い長いキスのあと、唇が離れると


「ふふ、ちょっと苦いね」


なんて言って彼は笑った。

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