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第一章 まだ目覚めぬ月
番外編 広がる世界
ダイチと出会ってから。
ジントの世界は少しずつ変わり始めていた。
それまでの世界は、とても狭かった。
薬屋。
森。
マーサ。
それだけで十分だったし、それ以外は必要ないと思っていた。
けれどダイチは違った。
新しい景色を見つける度に、まるで宝物でも見つけたみたいに、
その青い瞳を輝かせる。
そして、その度にジントの手を引いた。
当然のように。
まるで最初からずっとそうであったみたいに。
ある日。
ダイチはジントを連れてパン屋へ向かった。
「おばちゃん! パンちょうだい!」
店へ入るなり大声を出す。
「こらこら、大声で叫ぶんじゃないよ!」
奥から顔を出した女性が苦笑した。
そしてダイチの隣にいるジントへ視線を向ける。
ジントは思わず身体を強張らせた。
知らない大人は少し苦手だった。
相手がどんな顔をするか分からないから。
けれど
「この子がジント君かい?」
返ってきたのは優しい声だった。
「いつもダイチ君から聞いてるよ」
そう言って微笑む。
ジントは少し戸惑った。
「今日はサービス!」
おばさんは小さなクリームパンを差し出した。
「え……」
「ほらほら、受け取りな」
隣でダイチがにやにやしている。
「ここのクリームパンめっちゃ美味いで!」
恐る恐る受け取る。
「……ありがとう」
小さな声で言うと、おばさんは嬉しそうに笑った。
その日初めて食べたクリームパンはとても甘く、
ジントにとって、一生忘れられない味になった。
◇
別の日。
二人は北門へ向かっていた。
「おーい! ダイチ坊ちゃん!」
#コメディ時々暗闇
奏音•*¨*•.¸¸♬︎💙
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#妖怪
百はな🍑
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門番の男性が手を振る。
日に焼けた顔。
大きな体。
少し怖そうに見えるが、よく笑う人だった。
「また森か!」
「また森や!」
ダイチも元気よく手を振り返す。
「いつも元気だなぁ」
門番は豪快に笑った。
そして隣のジントへ目を向ける。
ジントは少しだけ身構える。
けれど
「ジント坊も気ぃ付けろよ」
ぽん、と頭へ大きな手が乗った。
「最近森の奥で魔物見たって話もあるからな」
「……うん」
「うちの息子もお前らと同じ歳やけどなぁ」
門番は苦笑する。
「家でゴロゴロしてばっかだ」
「それなら俺の方が勝ちやな!」
ダイチが胸を張る。
「何の勝負だよ」
思わずジントも呟いた。
門番は声を上げて笑う。
「仲良しだなぁ、お前ら」
その言葉に。
ジントは少しだけ照れくさくなった。
◇
九歳の頃。
その日、ジントは初めてソルト家の屋敷へ足を踏み入れた。
「ほんまに大丈夫やって!」
隣を歩くダイチは、いつものように楽しそうだった。
「でも……」
ジントは大きな屋敷を見上げる。
石造りの立派な建物。
広い庭。綺麗な門。
薬屋とは全く違う場所だった。
「俺、迷惑じゃ……」
「なんで?」
ダイチは不思議そうに首を傾げる。
「ジントは俺の友達やろ?」
その一言に。
ジントは何も返せなくなった。
-–
「おかえりなさいませ、ダイチ坊ちゃま」
玄関の扉が開く。
出迎えたのは、白髪の男性だった。
ソルト家の執事、レオン。
穏やかな雰囲気の人物だった。
「ただいま、レオン!」
ダイチは笑顔で返す。
そして。
少し後ろに隠れるように立つジントへ視線を向けた。
「今日は友達連れてきた!」
レオンはジントを見る。
一瞬だけ驚いたように目を瞬かせる。
けれどすぐに、優しく微笑んだ。
「初めまして。ジント様ですね」
「……え」
名前を呼ばれて、ジントは戸惑う。
「ダイチ坊ちゃまから、よくお話を伺っております」
「俺の話……?」
「はい。森で見つけたものや、薬草のことなど」
レオンは柔らかく笑った。
「どうぞ。皆様がお待ちです」
-–
案内された部屋には、すでに何人もの人がいた。
「ダイチ、おかえりなさい」
優しく微笑む女性。
母、レイラ。
その隣には、明るい青髪の少女。
姉のアズール。
そして
まだ幼い双子の弟妹。
「この子がジント君?」
レイラが穏やかに笑う。
「いつもダイチから話は聞いているわ」
ジントは目を瞬く。
すると
アズールが勢いよく立ち上がった。
「あなたがジント君ね!?」
「え……」
「まぁ……!」
じっと顔を見つめる。
「可愛い顔してるじゃない!」
「姉ちゃん……」
ダイチが呆れた声を出す。
「急に距離近いって」
「だって!」
アズールは楽しそうに笑った。
「ダイチが毎日のように話してる友達よ?」
「え!?」
ジントが驚いてダイチを見る。
ダイチは気まずそうに頭を掻いた。
「いや……その……」
「森で何したとか、どんな薬草見つけたとか」
「ジントは凄いんやって何回も言ってたわよ」
「……」
ジントの胸が少し熱くなる。
そんな風に話してくれていたなんて。
知らなかった。
その時
小さな足音が近づく。
「じんと?」
「じんとくん?」
双子の弟妹が、ジントの前までやってきた。
大きな青い瞳で見上げる。
「……」
どう接すればいいのか分からない。
ジントが固まっていると。
ダイチが笑った。
「大丈夫やって」
「二人とも、人見知りせぇへんから」
その言葉通り。
二人はすぐにジントの手を握った。
ーーー
「ほら!」
ダイチが嬉しそうに声を上げる。
「うちのシェフのお菓子、めっちゃ美味しいんや!」
テーブルへ並べられたお菓子。
次々と皿へ乗せられていく。
「ちょっと、そんなに食べきれないよ」
ジントが困ったように言う。
「大丈夫!」
なぜか自信満々なダイチ。
「美味しいから!」
促されるまま、小さな焼き菓子を一口。
「……」
ジントの目が少し開く。
「美味しい……」
その言葉に。
ダイチは嬉しそうに笑った。
「やろ?」
-–
それから。
ダイチの話は止まらなかった。
森で見つけた秘密の道。
珍しい動物。
一緒に拾った石。
そして
「あとジントな、俺が木から落ちた時もちゃんと手当てしてくれるんやで!」
「ダイチがしょっちゅう落ちるだけでしょ」
ジントが小さく突っ込む。
「そうそう!」
「認めるんだ……」
そのやり取りを見て。
レイラ達は楽しそうに笑っていた。
-–
しばらくして。
扉が開く。
「ただいま」
入ってきたのは、コバルトだった。
ダイチの父。
ジントは慌てて立ち上がる。
「は、初めまして……」
緊張した声。
するとコバルトは、優しく目を細めた。
「初めまして、ジント君」
「君のお祖母様には、いつも世話になっているよ」
「……」
「いつもダイチと仲良くしてくれてありがとう」
その言葉に。
ジントは少し戸惑う。
ありがとう。
そんな風に言われたことなんて、あまりなかった。
けれど。
嫌な感じはしなかった。
胸の奥が、少し温かくなる。
「……はい」
小さく頷く。
その顔に、ほんの少し笑みが浮かんだ。
コバルトはそんなジントを見て、ダイチへ視線を向ける。
「ダイチ」
「ん?」
「良い友達を持ったな」
ダイチは胸を張る。
「当然や!」
その即答に。
部屋いっぱいに笑い声が響いた。
-–
帰り道。
夕焼けの中。
ジントはいつもより少しだけ軽い足取りで歩いていた。
世界には。
怖い人ばかりじゃない。
自分を見て、笑ってくれる人もいる。
それを教えてくれたのは。
隣で楽しそうに歩く、青い瞳の少年だった。
それからジントは。
何度もソルト家へ足を運ぶようになった。
そこはいつしか。
薬屋とは違う、もう一つの大切な居場所になっていた。
◇
そして。
その事件は突然起きた。
ある日の朝。
薬屋の前に馬が現れた。
正確には
馬に乗ったダイチが現れた。
「ジントー!!」
元気な声が響く。
ジントは店の外へ出た。
そして固まった。
「……馬」
「せや!」
ダイチは得意げだった。
「乗馬訓練抜けてきた!」
「怒られるよ」
「後でな!」
全く反省していない。
ジントは呆れながらも馬を見る。
近くで見るのは初めてだった。
大きい。
想像よりずっと大きい。
黒い瞳がこちらを見ている。
少し怖い。
するとダイチが手を差し出した。
「乗ろうや!」
「え」
「ジントと一緒に乗りたかってん!」
「乗らない」
「乗る!」
「乗らない」
「乗る!」
ーーー
それからしばらくして
なぜかジントは馬の上にいた。
ダイチの後ろで。
「ほら、大丈夫やろ?」
「……怖い」
「大丈夫やって」
最初はゆっくりだった。
馬はのんびり歩く。
いつもと違う景色。
風が気持ちいい。
少しだけ安心する。
けれど
「よし!」
ダイチが突然言った。
「ちょっと速くするで!」
「え?」
次の瞬間。
馬が駆け出した。
「っ……!?」
景色が一気に流れ始める。
風が顔を叩く。
「ダイチ!!」
「ははは!」
「やめて!!」
「楽しいやろ!?」
「楽しくない!!」
ジントは必死にダイチへしがみついた。
だが、その時
馬が小さく跳ねた。
「わっ!」
身体が浮く。
落ちる!
そう思った。
「ジント!?」
ダイチの声が変わる。
慌てて片腕でジントを引き寄せた。
心臓が止まりそうだった。
ーーー
数分後。
二人は馬から降りていた。
ジントは涙目だった。
本気で。
「もうダイチとは馬乗らないからな!」
「ごめんて!」
「乗らない……」
「次はゆっくりやから!」
「乗らない」
「ジント〜!」
「乗らない!」
ダイチは肩を落とした。
ジントは腕を組む。
しばらく睨み合った後。
「……でも」
ジントが小さく言う。
「最初は、ちょっとだけ楽しかった」
ダイチの顔がぱっと明るくなる。
「やろ!?」
「でも乗らない」
「なんでやねん!」
二人の声が青空へ響く。
森が揺れる。
風が吹く。
気付けば
ジントの世界は少しずつ広がっていた。
パン屋のおばさん。
門番のおじちゃん。
ソルト家。
初めて見る馬。
そして
いつも隣で笑っている友達。
ダイチと出会わなければ知らなかった景色が、少しずつ増えていく。
それは
ジント自身も気付かないうちに始まっていた、
世界と繋がるための、小さな一歩だった。
コメント
1件
うわあ、この番外編、めちゃくちゃ良かったです……!ジントの世界が少しずつ開かれていく感じが、一つ一つのエピソードにぎゅっと詰まってて。パン屋のおばちゃんのクリームパン、門番のおじちゃんの「ジント坊も気ぃ付けろよ」、ソルト家の皆があたたかく迎えてくれるところ——どのシーンも「世界は怖い人ばかりじゃない」ってジントが実感していく過程が丁寧で、胸がじんわりしました。馬のエピソードでの「でも最初はちょっとだけ楽しかった」のひと言、めっちゃジントらしくて好きです。ダイチの無鉄砲さとジントの慎重さ、そのバランスが絶妙で、この二人の関係性がどんどん愛おしくなってきました。