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第二十章 篩う者拾う者
コツ、
コツ、
コツ。
その音は、一定の速さで近づいて来た。
慌てるでも、急ぐでもない。
ただ俺に向かって近づいて、
背後で止まった。
それが、救いの音なのか。
それとも――
「随分と派手にやってるね」
軽い声。
場違いなくらい、穏やかで。
俺は顔を上げられなかった。
涙が止まらないまま、視界が滲んでいく。
手が、追いつかなかった。
周りの速さだけが、やけに遠く感じる。
置いていかれているのは、自分だけみたいだった。
逃げ出したくて、掴んだ温もり。
俺だけのものじゃないのに――
「雪うさぎ――」
呼ばれて、びくっと肩が揺れた。
翔太💙「……っ」
何も言えない。
ただ、呼吸だけが乱れている。
少しの沈黙。
「どうする?」
唐突な一言。
翔太💙「……え?」
「続ける?」
まるで、
今日の天気でも聞くみたいに。
軽くて、何でもないことみたいに。
翔太💙「……」
言葉が出ない。
喉が詰まる。
「やめるのも、別にいいよ」
優しい声だった。
責めるでもなく、急かすでもなく。
ただ、選ばせる声。
指先が、ぎゅっと床を掴んだ。
「合わないならさ」
少し間。
「無理しなくていい」
その言葉に、一瞬だけ、心が揺れる。
――逃げていいのかもしれない。
でも。
「ただ――」
その一言で、全部、止まる。
空気が変わる。
――この声。
どこかで、聞いた。
辰哉💜「借りたものは、返さないとね」
呼吸が止まった。
辰哉💜「奨学金」
間。
辰哉💜「残ってるでしょ?」
少し間。
辰哉💜「――妹も」
優しいままの声。
何も変わらない口調。
それなのに、逃げ道だけが、
静かに消えていく。
翔太💙「……っ」
何も言えない。
分かってしまったから。
選べないことを。
辰哉💜「ま、どっちでもいいけど」
くすっと笑う気配。
辰哉💜「決めるのは、雪うさぎだし」
その言い方が、どうしようもなく、軽い。
なのに、どうしようもなく、重い。
翔太は俯いたまま、小さく息を吐いた。
翔太💙「……やめません」
――止まれない。
あいつを、置いていけない。
声が、震える。
それでも、はっきりと言った。
少しの沈黙。
辰哉💜「そっか」
満足したみたいな声。
それ以上、何も言わない。
興味がなくなったみたいに。
コツ、
コツ。
靴の音が、遠ざかる。
……と思った、そのとき。
ぴたりと、止まった。
辰哉💜「じゃあさ」
振り返らないまま、軽く言う。
辰哉💜「落ちたら終わりだから」
それだけ。
それだけなのに、背筋が伸びる。
コツ、
コツ。
今度こそ、音が遠ざかっていく。
静けさが戻る。
俺はその場に座り込んだまま、床に滴る涙の粒を、必死で握り拳を作って拭いた。
翔太💙「……強くなれ、雪うさぎ」
――ここで、生きるしかない。
――逃げない。
その事実だけが、静かに残った。
コツ、
コツ。
ヒールの音。
俺の前で止まる。
顔を上げると、見覚えのある顔。
翔太💙「せんぱい?」
翔太💙「ラウールせん……」
似ている。
でも――違う。
「……酷い状態ね」
感情の乗らない声。
責めるでもなく、同情でもない。
ただ事実を見ているだけ。
翔太💙「……」
何も言えなかった。
「立てる?」
コクリと頷いた俺の前に差し出された綺麗な手。
品のいい薄っすらピンク色のネイル。
腕にはいかにも高そうな腕時計。
「……手、出して」
翔太💙「……ありがとう」
自然と、体が動く。
「来なさい」
それだけ言って、踵を返す。
迷う余地はなかった。
――――――
部屋。
椅子に座らされる。
翔太💙「あの……」
ラウ子🤍「事務長のラウ子です」
ラウ子🤍「あなたは、翔太くんね」
翔太💙「……はい、あの看護師長とは」
ラウ子🤍「あぁ兄よ」
翔太💙「えっとそれは、つまり……」
ラウ子🤍「似てるでしょ」
足元に送られた視線。
ストッキングを俺から取り上げた。
ラウ子🤍「力を入れすぎ」
静かな声。
指先で、布を広げる。
ラウ子🤍「こう」
つま先から、丁寧に通していく。
引っ張らない。
焦らない。
少しずつ。
均等に。
指先が触れる。
でも、さっきとは違う。
怖くない。ただ、整えられていく感覚。
翔太💙「……」
気づけば、呼吸が落ち着いていた。
ラウ子🤍「ここで止める」
膝の下。
ラウ子🤍「一度整えてから」
もう一度、ゆっくり引き上げる。
シワが消える。ぴたりと肌に沿う。
ラウ子🤍「はい」
もう片方も同じように。
無駄のない動き。
無理のない力。
あっという間だった。
ラウ子🤍「見て」
自分の足を見た。
綺麗に整ったストッキング。
さっきまでの自分とは、別みたいだった。
翔太💙「……すごい」
ラウ子🤍「慣れれば簡単よ」
少し間。
ラウ子は立ち上がる。
翔太を見下ろす。
ラウ子🤍「ここはね」
静かな声。
ラウ子🤍「優しい人ばかりじゃない」
翔太💙「……」
ラウ子🤍「でも」
ほんの少しだけ、声が柔らぐ。
ラウ子🤍「生き残る方法はある」
その言葉は、押し付けじゃなかった。
ただ、置かれたみたいに。
ラウ子🤍「覚えなさい」
翔太💙「……はい」
ラウ子はそれ以上何も言わない。
もう役目は終わったみたいに。
ドアへ向かう。
その背中を見ながら、翔太は思った。
さっきまで、あんなに苦しかったのに。
少しだけ、立てる気がする。
ほんの少しだけ。
それでも――
前に進むしか、なかった。
コメント
9件
謎が謎を呼ぶしかないこの展開、、、😂😂😂

