テラーノベル
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阿部が目を覚ました時。
最初に目に入ったのは、見覚えのない天井だった。
「……。」
ゆっくり瞬きをする。
薄暗い部屋。
古いシャンデリア。
重厚なカーテン。
壁際には、年代物らしい家具が並んでいる。
そして自分が寝ているのは、大きなアンティーク調のベッドだった。
「……ここ。」
意識を失う直前の記憶が戻ってくる。
洋館。
突然倒れた三人の友達。
自分も動けなくなって。
最後に。
誰かが近付いてきた。
「……っ。」
阿部は慌てて体を起こした。
その時。
自分の服装が変わっていることに気付く。
「何、これ……。」
着ていた服がない。
代わりに身につけているのは、シンプルな白いワンピースだった。
ぞっとする。
自分が意識を失っている間に。
誰かが着替えさせた。
阿部は自分の体を抱くようにして、ベッドの隅へ下がった。
帰りたい。
怖い。
友達はどこにいるのか。
自分たちは何をされたのか。
その時。
カチャ。
扉の取っ手が動いた。
阿部の体が強張る。
ゆっくり。
扉が開いた。
そこから入ってきたのは。
一人の男だった。
背が高く。
整いすぎているほど綺麗な顔。
阿部は息を呑んだ。
噂を思い出す。
――この洋館には、美しい男が住んでいる。
「起きたんだ。」
低く、穏やかな声。
男――目黒は静かに扉を閉めた。
「……来ないで。」
阿部は震える声で言った。
それでも。
目黒は止まらない。
ゆっくりベッドへ近付く。
「来ないで……。」
阿部はさらに後ろへ下がる。
けれど。
すぐに壁へ背中が当たった。
逃げ場がない。
目黒はベッドへ腰掛ける。
そして。
阿部の頬へ手を伸ばした。
「っ……!」
阿部は顔を背ける。
それでも指先が頬へ触れた。
ゆっくり。
壊れ物に触れるように撫でられる。
「綺麗……。」
目黒はうっとりしたように阿部を見つめた。
「本当に好み。」
その目が。
怖かった。
阿部は震えながら聞く。
「……友達は?」
目黒の手が止まる。
「ん?」
「一緒に来た……三人。」
「……。」
「どこにいるの?」
目黒は少し考えるような顔をした。
それから。
あまりにも平然と答えた。
「もういないよ。」
「……え?」
「好みじゃなかったから。」
目黒が微笑む。
「もう食べちゃった。」
「……。」
意味を理解するまで。
数秒かかった。
「……食べた?」
「うん。」
阿部の顔から血の気が引く。
「何……言ってるの……?」
目黒は笑ったまま。
自分の唇を指先で軽くなぞった。
「俺、人間じゃないんだ。」
そして。
僅かに口を開く。
普通の人間にはない。
鋭い牙。
「吸血鬼。」
「……っ。」
阿部は反射的に首元を押さえた。
その仕草を見て。
目黒の笑みが深くなる。
「そう。」
「そこ。」
指先が阿部の首筋へ近付く。
「触らないで!」
阿部がその手を振り払った。
目黒は怒らなかった。
むしろ。
楽しそうに笑った。
「怖い?」
「……。」
「震えてる。」
阿部は答えられない。
「可愛い。」
「……やめて。」
「気に入った。」
その言葉に。
阿部の心臓が嫌な音を立てた。
噂。
気に入った女を攫う男。
「……俺も。」
声が震える。
「殺すの……?」
すると。
目黒は首を傾げた。
「すぐには殺さないよ。」
「気に入った子は特別だから。」
目黒は穏やかな声で続ける。
「一度に食べたら終わっちゃうでしょ?」
「だから少しずつ。」
阿部の頬から。
首元へ。
目黒の視線が落ちる。
「何ヶ月もかけて。」
「……嫌。」
「怖がったり。」
「やめて……。」
「痛みに耐えようとしたり。」
目黒は楽しそうに阿部を眺める。
「そうやって表情が変わっていくところを、ゆっくり楽しむの。」
「……。」
阿部の目に涙が滲んだ。
「嫌……。」
「その顔。」
目黒が微笑む。
「すごく好き。」
阿部はベッドから逃げようとする。
すると。
意外にも。
目黒は簡単に道を空けた。
「……え?」
阿部は戸惑う。
目黒は立ち上がった。
「でも。」
「俺、一方的なのはあんまり好きじゃないんだ。」
「……何?」
「遊ぼうよ。」
「遊ぶ……?」
「鬼ごっこ。」
目黒はポケットから何かを取り出した。
銀色の。
古い懐中時計。
それを阿部へ差し出す。
「……。」
阿部は受け取らない。
「持って。」
「何で……。」
「時間が分からないと困るでしょ?」
目黒は阿部の手を取り。
掌へ懐中時計を置いた。
カチ。
カチ。
カチ。
静かな部屋に。
秒針の音だけが響く。
「ルールは簡単。」
目黒が言う。
「今から朝まで。」
「……。」
「この屋敷の中なら、どこへ逃げてもいい。」
阿部は目黒を見る。
「朝まで俺に捕まらなかったら。」
目黒は微笑んだ。
「君の勝ち。」
「……。」
「玄関を開けてあげる。」
「帰れるの……?」
「うん。」
初めて。
希望が見えた。
「本当に?」
「約束する。」
目黒は頷く。
「朝まで逃げ切れば、帰っていいよ。」
阿部は懐中時計を強く握る。
「じゃあ……。」
「ただし。」
目黒の声が少し低くなった。
阿部の体が強張る。
「朝になる前に。」
目黒が一歩近付く。
「俺が君を捕まえたら。」
「……。」
さらに一歩。
阿部は後ろへ下がる。
「俺の勝ち。」
「……その場合は?」
目黒は阿部の耳元へ顔を寄せた。
「もう逃げられないよ。」
「……っ。」
阿部が離れる。
目黒は楽しそうに笑った。
「ずっとここにいてもらう。」
「嫌……。」
「だったら逃げて。」
目黒は部屋の扉を大きく開けた。
その先には。
暗い廊下。
「隠れてもいい。」
「走ってもいい。」
「俺を騙してもいい。」
阿部は懐中時計を見る。
まだ夜は長い。
「……。」
本当に。
逃げ切れるのだろうか。
相手は人間ではない。
吸血鬼。
でも。
やるしかない。
目黒が壁へ寄りかかる。
そして目を閉じた。
「最初の十分は追いかけない。」
「……。」
「その間に、できるだけ遠くまで逃げて。」
阿部は恐る恐るベッドから降りた。
裸足だった。
それでも構わない。
扉へ向かう。
目黒の横を通る瞬間。
怖くて足が止まりそうになる。
「ねぇ。」
「……っ。」
呼び止められる。
阿部はゆっくり振り返った。
目黒は目を閉じたまま。
微笑んでいた。
「頑張って逃げてね。」
「……。」
「簡単に捕まったら。」
ゆっくり。
牙を見せる。
「つまらないから。」
阿部は走り出した。
白いワンピースの裾を握り。
暗い廊下を。
ただひたすら走る。
カチ。
カチ。
カチ。
手の中では。
目黒から渡された懐中時計が。
朝までの残り時間を刻み続けていた。
コメント
1件
ああ、なるほど……この「お気に入り。2」、すごく好きな雰囲気でした。阿部が目を覚ましたときの、見知らぬ天井とワンピースに変わっている違和感が、もうゾッとするほどリアルで。目黒の「もう食べちゃった」って台詞、平然と言うから怖さが倍増するんですよね……。それでいて「鬼ごっこしよう」って、残酷なのに遊び心があるのがまた、読んでて胸がきゅっと軋むような感覚になりました。逃げる阿部、捕まえる目黒……この先、どうなっちゃうんだろうって、ページをめくる手が止まらなかったです。
みら

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kaede🍁
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みら

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