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Side 野々村果歩
手のひらには、突き飛ばしたときの感触が残っていた。よく見ると、つけ爪が一枚剥がれている。
「に、逃げなきゃ……」
踵を返し、階段を駆け上がる。
その後ろで、ドサドサッと重たい音が聞こえた。
階段を上がりながら、「どう取り繕うか」そればかり考えていた。
緑原総合病院の薬局製剤責任になったのは、健治の名刺を見つけたのがきっかけだった。
ジェネリック薬品の取引を餌に、関係を再び復活できると思ったからだ。
しかし、薬局製剤責任だなんて名前ばかりの役職だと思っていたのに、思いのほか仕事が多かった。
父からしてみれば、娘が自ら進んで、緑原総合病院の薬局で仕事をしたいと言ったのだから、それを叶えようとしているだけだと思う。
今日だって、承認しなければならない書類の判を押しに、わざわざ病院に足を運んだのだった。
その用事も済み、帰ろうと車に乗り込んだ。
すると、私の目の前を、健治が|あの女《美緒》と一緒に歩いて行く。
それを見た瞬間、カッと頭に血がのぼる。
すぐそばにわたしが居るのも気づかずに、健治は優しい瞳を|あの女《美緒》に向けていた。
わたしには、そんな優しい目を向けてはくれないくせに、なんで……。
ギリッと爪を噛んだ。
だから、印象が変わるようにスカーフを蒔き直し、ふたりの後を付け始めた。健治が受付に立ち寄り、病室の番号を聞いていたのは、わたしにとって、ラッキーだった。行き先がわかれば、一般の人が使えない通路を使って、人の目を避け行く事が出来る。
内科病棟の柱の影で様子を覗っていると、白衣姿の成明を見つけた。
午後の回診の時間なのだろう。
健治の後を追いかけていたわたしは、咄嗟にリネン室に身を隠した。
薄暗く狭い部屋、うっすら開いた扉の隙間から、差し込む光に反射して、舞う埃が見える。
「何でわたしが、こんな部屋に……」
そう、つぶやく自分がミジメだった。
夫であるはずの成明は、わたしに一切の関心を持っていない。わたしを見つめる目も冷ややかで、壁を感じる。
きっと、わたしが、他の男と一緒に居るのを見ても、成明は何とも思わないだろう。
でも、健治の後を追いまわしている今の姿を見られるのは嫌だった。
扉の隙間から廊下が見える。
そこへ、成明が通りかかった。
「野々宮先生、すみません」と声を掛けられ成明は立ち止まった。
声の正体は|あの女《美緒》だ。
成明が|あの女《美緒》に微笑みかけた。
わたしには見せた事のない柔らかな表情で……。
わたしが得られないものを容易く手に入れる|あの女《美緒》に嫉妬する。
わたしを惨めにさせる|あの女《美緒》が憎かった。
気が付いたら、|あの女《美緒》の背中を押していた。
このまま、誰にも会わなければ、きっと平気なはず。
いざとなったら、お父様に何とかしてもらえばいいんだから……。
わたしは、ひとつ上の階に着くと荒くなった息を整えた。
そして、何食わぬ顔で歩き、VIP専用の通路のドアを開ける。
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こと-koto
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