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第二十話 私はもう自由なの
「さらば!」
雪はやまなかった。
笑いが込み上げる。
喉の奥で、掠れた音になる。
その喉笛に痛みが突き刺さった。
私は一歩、後ずさる。
軽い。
体が、驚くほど軽い。
あいつの発した全ての言葉が、二度とは離れぬよう深く抉り、心と喉笛に突き刺さった。
今、その言葉が、皮肉にも風にさらわれていく。
私は上機嫌になって、吹雪とは逆向きに駆ける。
風で紐を飛ばす。
その勢いで私は体制を崩して倒れてしまった。
顔を積もった雪に向けたまま、額で手を合わせて神に祈った。
どうか。神の慈悲を給え。
どうか。地獄へと征きませ。
憎しみで溢れたこの鎖を解き進む先は。
きっと、果てしない孤独の道だろう。
でも。
もう、自由よ。
「私は……自由なの」
ここから始まる、私の新たな人生。
それに、あの館も、あの家名も、私の名前も、誰の名前も、もう載ることはない。関係ない。
ああ。ここからどうしようか。
農民として作物を育て、身の丈にあった生活をしてみたい。単純作業は得意だ。
自由に、気ままに、気楽に、自然と触れ合いたい。
いつか故郷に帰りたい。
一日中明るくて、終わりの無い日々を過ごしたい。
お前はその血に濡れたお立ち台で、指を咥えたまま私を見ていろ。
喜びに乗せて体を起こし、私は下山する。
私は笑った。
声が、吹雪にさらわれる。
そのまま、一歩、またもう一歩。
──足裏の感触が、ふっと消える。
遅れて理解が追いつく。
地面がない。
視界が傾き、美しい夜空が反転する。
月と星が、ゆっくりと流れていく。
胃の底がせり上がり、体が軽い。
ああ、と息が漏れた。
直後、視界のすべてが凄まじい速度の白に塗り潰された。
肺の中の空気が、衝撃と共にすべて搾り出され
る。
骨の軋む音さえ、雪は無慈悲に吸い込んだ。
それきり、何もなかった。
夜は、何も返さなかった。
降り積もる白が、ただ静かに、そこにあったはずの体温を上書きしていった。
Finis.
【あとがき】
最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。
いよわ様の楽曲「あだぽしゃ」と「うらぽしゃ」を愛するあまり、二次創作としてこの物語を形にしてしまいました。
さて、本作を読んで「自分の解釈とは違う」と感じられた方も多いかと思います。
いよわ様の楽曲は非常に多層的な考察ができるため、貴族と奴隷、恋人同士、庶民と貴族、あるいは同一人物説など、答えは一つではありません。
今回はその中でも、特に多く支持されている「貴族と奴隷」という関係性を軸に描かせていただきました。
身分差が色濃く表れる時代と舞台を模索し、調べ尽くした結果、1205年のサヴォイア伯国が最も適していると考え、舞台を固定しました。
歌詞に含まれる「交差点」「電車」「ひらがな」といった現代的なフレーズや、MVに見られるファスナーの描写、また曲名の由来とされる(という考察がある)「adipocere」が英語である点など、時代背景と矛盾する箇所については、自分の力不足で見逃していただけますと幸いです。
全二十話という、完結まで少し駆け足な構成ではありましたが、楽曲の持つ疾走感や、戻ることのできない二人の緊迫感を凝縮して描き切りたいと思い、このスピード感で筆を進めました。
自分自身、本作で描いた考察以外にも、「あだぽしゃは彼氏への建前で、うらぽしゃが彼氏への本音」「あだぽしゃ側が庶民だったのではないか」「二人で雪山での遭難」「冷めた恋を雪山で表している」「仇ぽしゃと恨ぽしゃ」「裏をかいたら仇になった」「婀娜っぽい者」といった数々の素晴らしい考察に触れ、どれも一つの正解としてあり得ると感じております。
また、この2曲が収録されているアルバム『わたしのヘリテージ』のイラストに描かれた「1000年生きてる」のいよわガールズさんにも、楽曲に深みを与える存在として少しだけ登場していただきました。
あくまで一ファンによる一つの解釈であり、決してこれが正解ではありません。
読者の皆様がそれぞれに抱いている大切な考察を胸に、これからも楽曲を楽しまれることを願っております。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
最後に、ひとつだけ。
いよわ様が大好きです。
【参考楽曲】
あだぽしゃ / いよわ 様 feat.初音ミク 様
うらぽしゃ / いよわ 様 feat.初音ミク 様
1000年生きてる / いよわ 様 feat.初音ミク 様
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