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まずい! そう思ったけれど、今更隠れる場所も逃げる場所も無かった。
部屋を出て来た雪斗に直ぐに気付かれてしまい、かなり居たたまれない気持ちになる。
こんな所に立って中の話を聞いていたんだって知られたら……実際そうなんだけど盗み聞きしていたなんて思われたくなかった。
雪斗は一瞬驚いた様な顔をしたけれど、直後素早い動きで私の手を掴み強い力で引っ張った。
「えっ?」
営業部のフロアとは逆の方向にどんどん進んで行く。
戸惑っている内に、未使用の応接室に連れ込まれた。
この状況何だかよく分からない。雪斗が何を考えてるのかも。
「あ、あの……」
「昨日は悪かった。大丈夫だったか?」
雪斗は私を見下ろし、心配そうな顔をして言った。
真壁さんとの会話を聞いてたことについて何か言われる雰囲気じゃない。
少し安心しながら頷いた。
「心配はしてたけど……何かトラブルが有ったの?」
「ああ。うまくいかないことばかりだな」
雪斗は私を革張りのソファーに座らせると自分も隣に座った。
柔らかなクッションに身体が沈む。
「顔色が悪いから心配してた」
「え?」
「今朝、美月を見た瞬間やっぱり昨日帰れば良かったって後悔した……何か有ったのか?」
……じゃあ、今朝雪斗が私を見て顔を強張らせたのって。
あの瞬間私は悪い方に考えてしまったけど、雪斗はそんな私を心配してくれてたんだ。
今だって、労る様に私を見つめて来る。
いつだってそうだった。
付き合う前から。雪斗は私の事を良く見てくれているし、分かってくれている。
それなのに私は不安に負けて雪斗を信じきることが出来なかった。
直ぐに周りの言葉に影響されて、気持ちまで流されてばかりで。
「……美月?」
「なんでもない……今日は帰ってこられるんでしょ?」
さっき真壁さんに「俺はもう帰る」と言っていた事を思い出しながら聞いてみる。
「ああ、美月は?」
「私もあと少しで終わる」
「分かった、一緒に帰ろうな」
「うん」
胸の中のモヤモヤが薄れていく。
ほんの僅かな間だけど雪斗に甘える様に寄り添う。
元奥さんの事も、真壁さんの事も気になって仕方ない。
でもその不安から雪斗を疑ったり、信じなかったら私達の間は離れてしまう。
恐いのは彼女達じゃなく自分自身の気持ちなんだって気がついた。
雪斗とは時間を置いて営業部のフロアに戻った。
「秋野さん、何か有ったの?」
戻りが遅かったせいか、有賀さんが心配そうに聞いて来た。
「いえ、遅くなってすみませんでした」
「それはいいんだけど……」
有賀さんと話している間、少し離れた所に居た真壁さんと目が合った。
何かを言いたそうな顔。さっき私が話を聞いていたことに気づいたはずだ。きっと言いたい事が沢山有るんだろう。
私は真壁さんから視線をそらし、急ぎ残りの仕事を片付けた。
三十分ほどでパソコンの電源を落として席を立つ。
同じタイミングで雪斗も立ち上がり、フロアの扉を押さえて私を待っていてくれた。
一緒に帰ることを隠す気はないようだ。
「……ありがとう」
「どういたしまして」
帰り道はとても寒かったけれど、雪斗に寄り添っていると温かく感じる。
他愛ない話をして笑いあっていると、雪斗が優しい目をして言った。
「さっき、話聞いてただろ?」
「えっ?」
「会議室の話」
「そ、それは……」
さっきは何も言わなかったのに、こんな時間差で言われると言い訳も浮かばない。
「もしかして、またヤキモチ妬いてた?」
からかう様な雪斗の声。悔しいけど……でも本当の事だから。
「ヤキモチ妬いたし、心配になった」
正直に言うと、雪斗は意外そうな顔をした。
それからフッと微笑むと私の肩を更に引き寄せて来た。
「心配なんてしなくていいって前から言ってるだろ?」
「そうだけど……でもヤキモチ妬くのは仕方ないよ」
雪斗を好きだって気持ちが大きくなればなる程、嫉妬も深くなる。
自分では止められない。
「まあ、全然嫉妬されないのも困るけどな」
雪斗も頷きながら言う。
「……ねえ、私が聞いてるの気付いてたの?」
「いや、さすがに扉を開けるまでは気付かなかった。美月、完璧に気配消してたからな」
完璧って……別にそんな気は無かったんだけど。
微妙な気持ちになりながら、続けて質問した。
「私が居ないと思ってたのに、真壁さんの相談断ったの?」
「相談?……ああ、何かそんな事言ってたけど、何で俺があいつのプライベートの相談に乗らないといけないんだよ」
雪斗は面倒そうな顔で、本当にめんどくせーと呟いた。
ちょっと酷いと思いながらも、ほっとしていた。
やっぱり必要以上に心配する事なんて無かった。
雪斗にとって真壁さんはただの同僚で、それ以上でもそれ以下でも無い。
彼女がどんなに挑発的なことを言って来ても、結局は私達がしっかりしてれば恐くないんだ。
これからはもっと心を強くもってぶれない様に……一人決意していると、雪斗が相変わらず乗り気じゃない声で言った。
「俺、直ぐに他人に相談する奴って嫌いなんだよ」
「えっ?」
「自分で何とかしようって気は無いのかよって言いたくなる」
「それはそうだけど……自分じゃ解決出来ないから相談するんじゃないの?」
なぜか真壁さんを擁護する様な発言をしている。
別に真壁さんを庇う気は無いけれど、いつもより厳しい雪斗の言葉に動揺してしまったのだ。
私なんて最近は雪斗に頼ってばかりだし、直ぐ悩むし。
何だか自分の事を言われた気がしたから。
「そうだったとしても相手を選べよって言いたくなる。女ってやたら相談が……とか言って来るな」
うんざりした様に言うけど、雪斗の場合は相談以外の目的も持たれているんだと思う。
それにしても……そんなにやたらと相談を持ちかけられてたんだ。
良かった、雪斗がそういうの嫌いで。
「その点美月は、頑なに俺を頼らなかったよな」
「え?」
「前の男と揉めてるときなんて、死にそうな顔してるくせに強がってただろ?」
「……そうだった?」
「何でも無いですって能面みたいな顔して言うくせに、ちょっと目を離すと泣きそうになってたり」
能面って……もうちょっと違う表現は無いの?
「仕方ないでしょ? あの時は私だって必死だったんだから」
それにしても雪斗には思っていた以上に観察されてたらしい。
「それなのに頼って来なかったんだから、俺は相当信用されて無かったんだな」
「それは……」
まあ初めは雪斗の事、大嫌いだったし。
関わりたくないって思ってたし。
「俺は毎日、美月の相談受ける気満々だったのにな」
「え……そうなの? さっきそう言うの嫌いだって言ってなかった?」
「美月は特別」
そう言い微笑む雪斗は、いつも以上に魅惑的で、必要以上に色気が有る。
急にドキドキして来て、気恥ずかしくなって来る。
私を動揺させる台詞をサラッと言って、自分は余裕の顔をして……。
雪斗に能面みたいな顔を出来てた頃が懐かしい。
今は隠そうとしても、感情が顔に出てしまう。
特別って言われて、単純にも舞い上がってしまう。
雪斗が大好き。
こんなに好きになるなんて思わなかった。
「美月、こっち来いよ」
雪斗は当たり前の様に私をベッドに誘った。
私も迷い無く、雪斗の胸に飛び込んで……抱き締められるとどうしようも無く、切なくなった。
シーツの上に押し倒され、あっと言う間に着ている物を取り去られる。
触れ合う肌が温かくて、気持ちいい。
雪斗の腕の強さ、身体の重み、囁く声。
何もかもが好き。
離したくない。
ずっとこうしていたい。
抱き合ってる時は二人の世界で、他に何も入り込めない。
誰よりも身近に感じるから。
「雪斗……もっと…抱いて」
熱に浮かされたまま、思わずそう言うと雪斗はクスリと笑い私の頬を指で撫でた。
「美月がそんな事言うなんて驚いた」
そう言うと、じらす様な動きで腰を押し付けて来る。
私の弱いところを的確に攻めて来る。
「……あっ!」
思わず仰け反ると、苦しい位強く抱き締められた。
「美月、愛してる……」
雪斗の声に応えたいのに、激しく唇を塞がれて何も言えなくなる。
もう……何も考えられない。
ただ、雪斗が好き……その想いだけだった。
いつの間にか眠りについて、満ち足りた気持ちで朝を迎えた。
時計を見ると、朝の六時。
今日も仕事だから早く起きないといけない。
隣の雪斗は珍しく深い眠りについている。
いつもは私が目覚めて身動きしてると、気が付くのに。
……疲れが溜まってるのかな。最近は本当に忙しそうだし。
いきなり外泊された時は不安だったけど、それ程疲れてたって事なのかもしれない。
ギリギリまで寝かせておいてあげようと思い、静かにベッドから抜け出した。
床に落ちた服を拾おうとすると、背後のベッドから雪斗の苦しそうな声が聞こえて来た。
な、何? 慌てて振り返ると、雪斗は眉間にシワを寄せて辛そうな表情をしていた。
「ゆ、雪斗?」
一体どうしたの?
こんな事、初めてだ。もしかして、具合が悪いの?
ベッド脇に跪いて、雪斗の様子を見る。あまりに苦しそうに見えるから、一度起こそうと思った。けれど……。
「春陽……」と雪斗が発した小さな声で私は動けなくなってしまった。