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うーたん
148
「……ふうん。まあ良いわ。さっさと出発することにしましょう」
「はい、ロゼットお嬢さま」
……よし、ロゼットの機嫌を大きく損ねずに出発させることに成功したわよ!
ディートリヒと別れてから数分。全速力で本邸へと向かった私が目にしたのは、どこか苛立ちを帯びたようなロゼットの冷笑であった。
それでも変に気分を害して激昂されるよりは、ずーっとずっとましだと思うから良いとするわ!
本邸前にはすでに馬車が停められており、ロゼットが乗り込んだことを確認して、ゆっくりとドアが閉められる。
その様子を横目に見ながら、私自身は同行する荷馬車の片隅に、身を縮こまらせるようにして何とか腰を落ち着けた。
当然のことながら乗り心地は良くないけれど、万が一にでもロゼットと同乗するなどということにでもなれば、それはそれで居心地が悪すぎる。
きっと、精神的にはこちらのほうが多少は良いはずだ。
少なくとも私自身はそう信じることで気を散らし、がたがた揺れる車内でどうしようもなくむかむかと湧き上がってくる気分の悪さに見て見ぬふりをしていたのだった。
「……で、ディートリヒの言っていた通りの展開を迎えるというわけね」
到着した場所は、街から少し離れた位置にある森の中であった。
馬車から降りるなり、ロゼットは自らが新たに使役したという使い魔を召喚した。
ぶるると嘶いたそれはあまり大きくはない馬型の下位使い魔で、がしがしと蹄で地面を蹴り、傍目に見ても戦闘する気満々であるように思われる。
「つまりこの子はこれからロゼットとともに、悪鬼との戦闘に臨むことになるというわけね」
……そんな場所に「無能」で何の役にも立たない私をなぜわざわざ連れてきたのだろうだなんて、考えるだけ無駄なことに違いないわ。
大方ちょっと怖い目に遭わせて身の程を理解させたいとか、そういう子どもじみた嫌がらせであるという線が濃厚なのではないだろうか。
まあいずれにせよ私には、ロゼットに付き従い、その一挙手一投足を間近で見守ることしか出来ない。
「行くわよ」
「はい!」
だから私は使い魔の背に乗って優雅に移動し始めたロゼットの後を、必死に小走りでついて行ったのだった。
そうしてしばらく森の中を進んでいったロゼットは、がさりと茂みをかき分けて現れた黒い犬のような物体を目にした瞬間に使い魔の背からぴょんと飛び降りた。
そう、あれこそが「悪鬼」。
基本的に動物の形をしていて、どこもかしこも真っ黒で、鳥肌が立つほど禍々しい気を放っている物体である。
今回は犬型のようだが、その形は一定というわけではない。
子リス程度の小型なものから、熊型など人の背丈を超えるサイズの猛獣まで。
大きさも強さもまちまちで、今回のものがそこまで大きくない犬型悪鬼なのは不幸中の幸いというところだろう。
そんなふうに私が頭の中で考えているうちに、ロゼットは使い魔とともに火を使った攻撃を仕掛け始めていた。
「〈火炎〉!」
「ぶるるっ!」
さすがは曲がりなりにもサマーグロウの血を引く娘というところだろうか。
ロゼットの手のひらから放たれた炎に触れた悪鬼はすぐに苦しみ悶え始め、そして使い魔にがっと食いつかれるとまるでもとから何もなかったかのように雲散霧消してしまった。
ロゼットと使い魔はそのまま目についた犬型悪鬼を何体か打ち倒し、「大した事ないわね」と余裕たっぷりに笑っている。
「……さあ、そろそろ良いでしょう。帰るわよ」
「はい、ロゼットお嬢さま」
そうして満足したらしいロゼットが帰宅を宣言し、私も何事もなく終了したことにほっとしながらそれに頷いた瞬間――。
「おお、こんな鬱蒼とした森の中で麗しいお嬢さまと出会えるとはな」
「「……!?」」
誰もいないと思っていた木々の間から何者かの低い声が突然響いてきたために、私たち姉妹はびくりと肩をはねさせるやそろそろと、音の出どころに目を向けることになったのだ。
***
「シュバルツ殿下……!」
即座に喜色に満ちた声をあげたのは、ロゼットだった。
「……っ!」
次いで私も相手を視認し、勢いよく頭を下げる。
ロゼットの言葉通り、目の前にいたのは我がシュゼンタール王国の第一王子であらせられる、シュバルツ・シュゼンタール殿下だ。
恐れ多くも王族でいらっしゃるので、普段は威張り散らしているロゼットだって最大限礼節に気を払わねばならないのはもちろんのこと、名目上は一応彼女と同じ貴族令嬢ではあっても使用人同然……いや、使用人にも及ばぬほど粗末な身なりである私はへりくだりすぎるほどへりくだらなければ機嫌を損ねてしまうのではないかと思い、深く深く頭を下げる。
「このようなところでお会いできるとは、なんと幸運なことでございましょうか。まるで、運命の糸に導かれているようですわ! あっ、申し遅れました。サマーグロウ公爵家のロゼット、殿下にご挨拶を申し上げます!」
「ああ、ロゼット嬢か。お父上にはいつも世話になっているよ。それと、正式な謁見でもないからもっと気楽に接してくれても構わない。他の者も頭を上げてくれ」
「なんと、なんと! もったいなきお言葉……っ!」
夢見るようにぽうっと頬を染めるロゼットは、まさに恋する乙女そのものといった様子で殿下をうっとりと見つめている。
対する私は殿下の言葉に従って頭を上げた後、ロゼットとは別の意味で彼からしばらく目が離せなくなっていた。
というのも、「彼」は紛れもなく――。
「……私の運命を捻じ曲げた、因縁の男(ひと)」
誰よりも敬意を持たなくてはならない人であると同時に、誰よりも恨めしい人であったのだから。
***
実は、私がシュバルツ殿下と顔をあわせるのは、これが初めてではないのだ。
初めて出会ったのは、王宮の宴に出席した九歳のとある春の日のこと。
つまり王宮の宴に仮託したラヴィオンさまと私のお見合いの日のことで、ラヴィオンさまに出会うよりも先に、私はシュバルツ殿下に対面することになったのである。
と言っても、別に会いたいと思って会ったわけではないのだけれども。
「……ラヴィオンさま、素敵だわ!」
私はラヴィオンさまと面会する席が正式にセッティングされるよりも前に、その姿を物陰から見つめていた。
そうして、あまりにも熱中していたのが悪かったのだろうと思う。
「あっ、申し訳ございません!」
不意に、どんと誰かにぶつかってしまった。
それが、他でもないシュバルツ殿下だったのだ。
申し訳なさ以上に瞬間的に感じた「美しい王子様だな」という、その感嘆だけで終わってくれれば素敵な思い出として記憶されただけだっただろうに。
「ふうん。見ない顔だが、悪くないな。お前、僕のものになれ」
「……えっ?」
天は、非情にも私に味方をしてくれなかった。
殿下は、どういうわけか私に目をつけたらしかった。
一瞬前まで秀麗だと思っていたその顔を意地悪そうに歪め、にいと口の端を吊り上げた殿下は、私のことを背後から抱きしめる。
そして突然のことに固まる私を抱きしめたままの状態で、これまで私が取ってきた姿勢を自分も取ることで、視線の先に何を見ていたのかを正確に理解したようであった。
その瞬間、殿下は「なるほど」と呟いて、私の耳元でそっと囁いたのだ。
「あれは、ラヴィオン・ウィンターベールだな。ウィンターベール公爵家といえば、『王家の犬』と呼ばれるほど我々への忠義心が高いことで知られる家柄だ。その三男坊である彼も当然その流れを汲んでいることだろう。実際、家柄の良さのみならず、能力的にも悪くないと小耳に挟んだことがある。しかし、もしお前が僕の命令に従わないのなら、あれの栄達ももはやこれまでと思えよ」
「えっ? そ、そんな……っ!」
私のせいで、何も関わりのない、強いて言えば見られていただけのラヴィオンさまが被害を被ることになるというの?
そんな理不尽なことはない……いや、敬愛すべき第一王子殿下がそのようなことをする御人ではないはずだと、叶うことならば信じたいと心の底から思った。
しかし、相手はこの国の頂点に立つ王族なのだ。
望んで叶えられないことなどないのかもしれない……。
「余計なことなど考えず、僕が連絡をするまで待っているが良い」
「……承知いたしました」
それ以外に、どう答えられるというのだろうか。
殿下の姿が見えなくなるまで、深く頭を下げ続けることで、この場をやり過ごすことしか私には出来なかった。
「……我らがお仕えする殿下は、どうにも移り気な方でございます。もしかしたらこのままお忘れになる可能性も、高いのではないかと思いますよ。それを祈られるのがよろしいでしょう」
次いで殿下の後ろについて歩いていた護衛が、通り過ぎざまに私にしか聞こえない小声でそう囁いた声が風の中に溶けて消える。
見ず知らずの人ではあったが育ち始めた恋心を人質にされ、踏みにじられたことを見て取って、私に同情したのかもしれなかった。
「本当に、そうであってくれたら良いのにな」
いずれにせよ、今はあまりにも危険だ。
だから私はひとまず、婚約話が進まないように何とか立ち回り……結局再び縁が結ばれることはないままに、今日という日を迎えることになったのだ。
***
「ロゼット嬢も、悪鬼討伐をしているところか?」
思考の海に沈んでいた意識を引き上げたのは、シュバルツ殿下の声だった。
「ええ。新しく使役した使い魔とのコンビネーションを確認することを兼ねて、討伐をしていたのですわ」
ロゼットは相変わらず嬉しそうに、シュバルツ殿下に答えを返している様子である。
……過去の嫌な記憶に引きずられすぎるのはきっと良くないわ。
あの日だって、幸いにしてすぐに私の存在は忘れ去られたようで、結局それ以上シュバルツ殿下からの接触はなく終わったのだから。
そうね。このまま適当に二人で会話して、ロゼットの気分が上がったまま帰途につけば、少なくとも今日は妙な言いがかりをつけられたりすることもなく安泰に過ごせそうだわ!
無理やりポジティブな思考に切り替えて、私は二人のやり取りを静かに見守る。
そう、ただ大人しくしていただけなのに――。
「……っ!?」
不意に、シュバルツ殿下の視線がこちらに向いた。
まるであの日の記憶をなぞるように、意地悪そうな光をたたえたその眼差しが。
「……悪くないな」
どうして? ねえ、どうしてなの?
少なくとも上辺はきれいに着飾っていたあの日とは違って、ボロボロの姿でどう考えても使用人以下にしか見えないはずなのに。
「……殿下?」
自分から外れた殿下の視線の行く先をたどったロゼットが、数瞬遅れて私の姿をじいっと見つめた。
「お前、僕のものにならないか?」
「っ……殿下!?」
どうして? ねえ、本当にどうしてなの?
どうしてあの日の続きをなぞるような光景が、私の目の前に広がっているのだろうか……。
「……っ」
シュバルツ殿下の嫌な熱を帯びた視線とロゼットの敵愾心に満ちた視線が、私の体を貫いていく。
逃げたいのに逃げ場などない、そんな恐怖の中で、私はただ身をすくませることしかできなかった。
次に動いたのはロゼットだった。
「殿下? あの、ご冗談はこのあたりで。我らは悪鬼討伐の途中でしたので、もしよろしければ改めてご挨拶することにしてもよろしいでしょうか?」
「……まあ、良いだろう」
鷹揚に頷いた殿下は最後に熱っぽい一瞥を私にくれてから、その場をさっと後にしていったのだ。
「……行くわよ」
何の感情もこもらない声で告げたロゼットは、殿下と出会う前に言っていた帰るという言葉を翻したようで、森の奥に向けて静かに歩いていく。
「はい……」
私はそんなロゼットのあとを、無言のまま必死に追いかけていった。
そうして、どのくらい歩いたのだろうか。
不意に、目の前にあった茂みががさりと大きく揺れた。
「何……?」
見れば、そこにいたのは大きな体躯の真っ黒な狼だ。
明らかに普通ではない気を放っており、これも悪鬼の一種であることは間違いないと思う。
とはいえ幸いにしてここには魔術師とその使い魔がいるのだから――。
「……別に、問題はないわよね?」
しかし戦闘を開始したロゼットをちらりと横目で見遣り、続いてその使い魔へと視線を移すと、何か様子がおかしいことに気付いた。
端的に言えば、使い魔が悪鬼の勢いに押されているように見えたのだ。
大丈夫なのかしらと思ったのもつかの間、どういうわけかロゼットの強い視線がこちらを射すくめてくる。
「ちょっと! こっちに来なさい!」
「は、はい!?」
これまでの生活でロゼットの指示にはとにかく素早く反応することが身に染み付いていたため、私はほとんど反射的に彼女のそばに近寄った。
すると――どんっ。
「……えっ?」
次の瞬間には、私は地面の上に倒れ込んでいて。
一拍遅れて、私は自分がロゼットに突き飛ばされたことに気付いたのだった。
しかも、よりにもよって悪鬼の面前、戦闘の最前線というとんでもない位置に押し出されてしまっているではないか。
「な、にを……?」
「親愛なるあたしの『無能』のお姉サマ、せめてこのくらいはあたしの役に立って頂戴ね?」
にっと口の端を吊り上げたロゼットは――。
「というか、無能のくせに生意気なのよ! シュバルツ殿下にちょっと気に入られたからって良い気になるんじゃないわ! 身の程を知りなさい!!」
――次いで、一気に表情の抜けた顔でそれだけまくしたてると、そのまま使い魔の背に飛び乗り、その場を立ち去っていってしまったのだ。
「え……?」
ロゼットの背が遠ざかっていくにつれ、唖然とするばかりだった私の頭もようやく多少なりとも動き始めてくれた。
「な、なんてことなの……!」
つまり、ロゼットは私に逆恨みした結果、自分が逃げる時間を稼ぐための囮という体裁で私を殺すことにしたということ……!?
その推測は間違っていなかったようで、悪鬼は私に狙いを定め、がばりと大きな口を開けたかと思えばがちがちと歯を鳴らし始めた。
「に、逃げなきゃ……!」
こんなの、どう考えてもこのままぼうっとしていたらおしまいだ。
魔術師でもない私には有効な攻撃の手段がないのだから、今取れる選択肢はとにかく逃げるの一択しかないことは誰の目にも明らかなことであった。
しかし恐怖心から足ががくがくと震えている上に、ここは奥深い森の中だ。
「ど、どうしよう……」
そんなふうに思うように動けない焦りにとらわれていると――。
「助けてあげようか?」
突然、そんな声が間近から響いてきた。
「で、殿下……」
それは、先ほど立ち去ったはずのシュバルツ殿下で、指先で何らかの魔術を発動しながらこちらに近づいてきたのだった。
「やれやれ、あのロゼットとかいう令嬢。我が寵愛を求めるあまり、敵となりうる者を容赦なく排除しようとするとはな。思いのほか可愛らしいところもある女じゃないか。それでも、僕にとってはお前の方がより好ましく感じられるのだけれどね。僕のものになってくれるのならば、今の窮地からも喜んで助けてあげようと思うけど、どうする?」
……どうするって、こんなタイミングでそんなことを言われても。
そう言われてしまえば答えは、一つ以外にはありえないのではないだろうか。
全ては、命あっての物種だから。
生きてさえいれば、きっとまたラヴィオンさまにお目にかかれる日も来るかもしれない。
あなたにもう一度出会うことさえ出来るのならば、この身など、どうなっても……。
思わず殿下に向けて手を差し出しかけて、しかしすぐにはっと気付いてその手を引っ込める。
……でも、本当にそれで良いのだろうか?
そんな気持ちが、私の中で急速に湧き上がってきたからだ。
理不尽に立ち向かわないだけであるならば、まだ自分を許せたかもしれない。
しかし好きでもない男に屈し、この身を汚されたとして、それでもなお堂々と私は愛する男の前に立てるのだろうか。
そう考えると私は首を縦には振れそうにないなと、ふと思ってしまったのだ。
優しいあなたは、それでも良いと言ってくれるのかもしれないけれど。
しかし、私はあなたの前に立つなら心の底から誇りを持って立ちたいと思う。
だから、瞬時に覚悟を決めたのだ。
「やめておきます。ご配慮をいただきまして、本当にありがとうございました」
「……存分に後悔すると良い」
私の行動に思いきり気分を害したらしい殿下は、即座にその場から立ち去った。
「よし、やれるだけやってみよう」
一生懸命に走り出してはみたものの――。
「うっ!」
おそらくは木の根につまずいてしまったのであろう。
足場の悪さも相まって、私は悪鬼とほとんど距離を取れぬままに転倒することになってしまったのだった。
……ああ、万事休すだわ。
私は一歩、また一歩と近寄ってくる悪鬼の姿を、ただ呆然と見上げることしか出来ない。
それでなくとも転倒の衝撃で、だいぶ意識が朦朧としてきている、と、いうの、に……。
「わ、私、こんな、ふうに、死ぬの、ね……」
地面に倒れ伏し、目前に迫る悪鬼の姿を最後に、私はふつりと意識を手放してしまった。
だから知る由もなかったのだ。
その瞬間、その場に恐ろしく強い風が吹き抜けて、悪鬼もシュバルツ殿下も何もかも吹き飛ばしてしまっただなんて。
そして、私の体が眩い光に包まれ、ぱっとその場から消え去ってしまっただなんてことも当然知る由もない。
しばらくして意識を取り戻した悪鬼は、きょろきょりと周りを見回した。
しかし攻撃対象がいなくなったことに気付くや、ここにいる義理はないわけで、くるりと身を翻すやすたすたと森の奥へと消えていった。
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