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相手にはしないと決めたはずの夏帆の足がとまってしまう。それは仕方がなかった。だって亮介が言ったことは前々から夏帆も不思議に思うことだったのだから。
全方向に綻びのない成瀬になぜ彼女がいないのか――
夏帆も知りたいと思っていた。おそるおそる振り返ってしまった。それをみて亮介はニヤリと笑う。そして夏帆に聞こえるようにゆっくりと口を開いた。
「そばに居て欲しいときに居ない、からだよ」
「…居ない?」
夏帆が怪訝な表情でリピートした。
「あいつらの仕事のこと知ってんの? 有事、海外派遣で長期間不在も当たり前。突然の演習で数週間不在も当たり前」
「それは仕方がないことよ。国を守る仕事なんだから!」
成瀬の仕事をけなしてほしくない、そんな気持ちで夏帆も言い返してしまう。
「ははっ。夏帆はまだ他人事なんだな」
「…何が言いたいのよ?」
含みを持たせる言い方に夏帆もついイライラしてしまう。亮介は少しずつ夏帆に近づいてくる。
「自然災害があれば数か月、海外派遣なんかにいけば半年は戻らない。夏帆は我慢できる?」
じゃりじゃりと音を立てて、亮介は夏帆の目の前に立った。
「それだけじゃない。出産の時に旦那が立ち会えないどころか産まれた子供と会えるのは数か月後だったりする。その子供が思春期になって暴れても、旦那は不在がちで自分一人で対応しないといけない。妻にかかるストレスがすごいんだって。それで家庭崩壊につながることもあるらしい」
(―――そんなこと、聞いたことない)
「付き合ってる時だって同じだよ。会いたくても突然仕事で居なくなるんだからな。結局、彼女が我慢できなくてあいつらはフラれんだよ」
(私は、絶対、そんなことない―――)
「夏帆はさ、みんなが揃った温かい家庭が理想なんだよな? 自衛官と結婚なんてしたら、それは難しいぜ」
「…え?」
亮介が顔をぐっと近づけてきた。
「男への愛か、自分の理想か。どっちを取る?
試されるな、夏帆」
亮介が夏帆を動揺させようとしているのは明らかだった。そして夏帆の中で何かが沸点を超えた。
パンッ―――……
弾ける乾いた音が駐車場に響いた。亮介が「いって」と唇を触った。夏帆は考える間もなく瞬間的に亮介を平手打ちにしていた。
「人を打ちのめさないと気が済まないの? この最低男!!」
夏帆の眼の奥が悔しさで熱くなる。いまにも涙が溢れそうになる。
「夏帆が将来、後悔しないように親切心だよ」
「自分が何をしてるかわってる? したことは必ず自分に返ってくるんだから!」
夏帆はそれだけ亮介にぶつけると、身体を翻し車へと走った。キーで開錠すると素早く乗り込んだ。すでに亮介は駐車場の外に出て行こうとしていた。
(よかった。亮介、帰ってくれた)
ほっと息が漏れる夏帆だが、ハンドルを握る指が細かく震えていた。夏帆は指を組んでグッと力を込めた。
(誠くんママ、真希!
私、思い切ってやったよ!
はじめからこうやって気持ちをぶつけておけばよかった!)
夏帆が我慢をしたせいで亮介を図に乗らせてしまった。今日、きちんと思いをぶつけることができたから、これでいいんだと夏帆は鼓舞した。しかし夏帆の指はまだまだ震えていた。
(ダメダメ。今日は楽しい私の誕生日なんだからっ。気分を切り替えなくっちゃ!)
夏帆はバックからペットボトルを取りだすと一気に飲み干した。
「ふーっ。うん、気持ちの切り替え、完了!」
いつまでも亮介に翻弄される自分も嫌だった夏帆は少し無理やり感はあるがそうやって切り替えるしかなかった。
(大丈夫大丈夫。私よ、落ち着いて。
今日はこの後、楽しいことしか待っていないんだからね)
夏帆は深く呼吸を繰りかえした。そしてハンドルを握った。手の震えは止まり自分でもほっと安心した。
「さあ、成瀬さんが待ってる。行こうっ」
(今日は私の誕生日。成瀬さんと一緒に楽しもうっ)
心を晴れやかにして、夏帆は車のアクセルを踏んだ。
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