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幹太さんの言葉に、桔梗さんは屈託ない笑顔で応える。
後悔はしてないよ、大丈夫だよ、と。
言葉で伝えてくれない幹太さんの一言ぐらいで短くて。
それを桔梗さんは上手に汲み取り分かっている。
二人は幼馴染みだと言っていたがお互いの事をよく分かっている。
「似てるでしょ? 目元とか指先とか……クルクルの髪の毛とか」
桔梗さんがそう言って赤ちゃんに頬擦りすると、旦那さんの御両親だろうか。
優しそうなおばさんがわっと咳を切ったかのように泣き出しておじさんが肩を抱く。
その横で小百合さんも桔梗さんの御両親もハンカチで目頭を抑えていた。
「やだぁ。皆してそんなに泣かないでよ。泣くのは赤ちゃんだけで良いのよ」
ねーと優しい眼差しで笑う。
その姿は強い母親であると同時に繊細な女性の背中をしていた。
「悪い。もう言わない」
「謝るのも止めて。誰も悪くないよ。今はもう皆幸せでしょ? 晴哉が私たちにこんなに素敵な命を残してくれたんだから。ね、晴一」
ベットの柱にぶら下がっているネームプレイとに、桔梗さんの名前と、赤ちゃんの体重と名前『晴一』と書かれていた。
「うーーん、私が春月堂の家紋から名前をとったから子供にも春ってつけたかったんだけどね、晴哉(せいや) と私の子供なんだから、彼の名前を入れたかったの。だから読みだけはハルにしたよ」
にこにこ笑う桔梗さんには迷いは無かった。
もう彼女の中では決めているのだから、何を言っても揺るがないだろう。
「素敵な、名前です」
思わず涙ぐんだ私を、桔梗さんは抱き締めてくれた。
切なくなる。愛しくて胸を抉られる。
この先、私に待ち構えていることは想像以上に険しく、そして無謀なことかもしれない。
鳥籠から飛び出して、何も分からずにそれでも守って生きていかなくてはいけない。
晴一くんは、小さくて可愛らしかった。
あんなに小さな赤ちゃんでも、欠伸はするしお腹が空いたら泣くし。
私の気持ちは固まった。
晴一くんを見て、その気持ちを決して忘れないようにしようと決意する。
自分の勝手で、宿った命を消したくない。
きっと母に言ったら大反対で、もしかしたらその場で縁側にでも放り投げだされるかもしれない。
だったら、すぐに飛び出して一人で住む場所を探そう。
大きめのバックは何一つ持っていなかったはず。
財布しか入らないような小さなカバンか風呂敷ばかり。仕方なく、学生時代にノートを入れて通学していたカバンに、服を詰め込むだけ詰め込んで、こっそりと家を出よう。
考えは甘いかもしれない。
働き方も知らない私が一人で育てるのは無理かもしれない。
でも、あの家に居たら。絶対にこの子は守れない。階段から落とされて無理やり降ろされたりも考えられる。
病院に行って、まずは診察を受けて、そして母子家庭の援助を受けられるかを病院で聞いてみよう。そう思っていた。
やってみよう。あの人にも頼らずに、優しい人だから迷惑なんてかけられない。
同情で傍に居られたら、きっとこの先、お互いきついし。
決行は、お見合い後だ。
あの日と同じ形の月が浮かぶ夜だった。少しだけ肌寒かったので、お腹に膝賭けを巻いて月を見上げる。
縁側には、月の淡い光が落ちてきていて、小さなスポットライトのようだ。
桔梗さんの出産や検査結果の陽性反応、未だ興奮が冷めなくて眠れなかった。
明後日の食事会で、――私が平穏をめちゃくちゃに壊すんだ。
こんな穏やかな日は、最後かもしれない。
「美鈴」
隣の部屋にいるはずの妹の名前を呼ぶ。
「美鈴」
私が逃げていたくせに、こんな事になってからやっと向き合おうとするなんて。
「安心してね。私、幹太さんとは結婚しないから」
出来ない、の方が正しいのかもしれないけれど、今はそう言う。
聞いているのか、聞いていないのか反応はなかったけれど、それならばそれで良い。
ただ、私が楽になりたいから話す、エゴなのかもしれない。
「ずっと美鈴が羨ましかった。跡取りじゃないからと、決められレールなんて何一つなくて好き勝できて。それなのに跡取りになりたいと自分からこんな柵(しがらみ)にしがみついて、私の居場所さえ盗んで行った。でも、今は感謝しかしていないよ」
あの日、私と彼を会わせてくれるきっかけになったのは、美鈴の勇気のおかげなんだから。
「そっち行ってもいい?」
小さく襖が開いて、美鈴の眼が私を見つめていた。
静かに私が頷くと、美鈴は枕と布団を持って縁側に座る。
美鈴も夜空を見上げると、落ちて来そうな月に吸い込まれるように見入る。
「美鈴ってさ、お姉ちゃんと同じく『みれい』とも読めるんだよ」
そう小さく言う。
篠原愛紀
「同じ読みなのに、お姉ちゃんはお父さんとお母さんから一字ずつ貰って、跡取りだと生まれた時から大事にされて、かたや私は男の子じゃなかったから、跡取りにもなれない女の子は持て囃されるだけ。ずっと居場所がなくて、しがみつかなきゃ誰からも見て貰えなくて、――楽しくなかったもん」
そう語る美鈴は、まだ十八になったばかり。その小さな肩は、まだ頼りなげなのにしっかりと月を見上げていた。
「お父さんはいつもお姉ちゃんばかりだった。だから、私は私の為に跡取り候補に立候補したのに、――お姉ちゃんもなりたくなくて辛かったんだね」
「はは。なりたくて頑張ってるように見えた?」
そう聞くと、美鈴は小さく首を横に振る。
そう。すれ違ってばかり。言葉も伝えず、私たち家族はなんて浅はかで上辺だけの関係だったんだろう。
お見合いの事は、泣き出しそうな美鈴の顔を見たら、何も言えなかった。
だからそれ以上は聞かなかった。
聞けなかった。
代わりに、食事会に美鈴も行っていい?と聞かれたので頷いただけ。
その後はただ、一緒の布団の中、クスクスと笑いながら一緒に眠る。
手を握って、言葉が足りない私たちは、お互いの温もりを感じ合う。
自分だけが不幸だと嘆いていたら、周りの気持ちなんて見えてこない。
鳥籠から抜け出せたからこそ、美鈴の気持ちも見えてきたんだ。
もう少し、周りが落ち着いたら、二人でゆっくり出かけたい。
一緒に出かけようと言おうと思う。明日、目が覚めたら。