コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
金曜日の夜、私はついに別れを切り出した。
すると優斗はぽかんと口を開けたまま、しばらく放心状態だった。
「は? 何言ってんの? 最近、紗那は疲れてんだよ。冷静になれよ」
「私は冷静だよ。優斗とは結婚について価値観が違うと思って、このままじゃ無理だって思ったの」
「価値観? 紗那のわがままだろ?」
「なんでそうなるの? ちゃんと話を聞いて」
「だってそうだろ? 俺は何も悪くないよ?」
やば……反論する気力が失せてきた。
5年も一緒にいて、なんでおかしいと思わなかったんだろう?
いや、きっとそれは【カレシフィルター】がかかっていたんだ。
別の男とまともな話をしていたら、完全にそのフィルターを取り払うことができた。
これは月見里さんに感謝すべきところだと思う。
「ねえ、結婚ってお互いのことを扶助するものだよ。憲法にも記されているよ。今のままじゃ私に負担がかかるばかりでしょ?」
「めんどくせぇなあ。そんなんだから俺の機嫌が悪くなるんだろ。紗那には男への気遣いってものがないんだよ。フツーの女は男が気分よくなるように努力するもんだろ?」
は!?
なんで私が毎回あんたの気分をよくしなきゃいけないの?
「それって正常な関係とは言えないよ」
「俺の母さんは父さんを立てて、なんでも父さんの言うことを聞いていたんだ」
「昔はそうだったかもしれない。でも、今は違う。私は働いているし、たとえそうでなくても、お互いに感謝の気持ちがないと結婚は無理だよ」
優斗はうんざりした顔でスマホをつつき始めた。
「まだ話は終わってないんだけど?」
「母さんに電話するんだよ」
「どうしてお母さんが出てくるの?」
「紗那がわがまま言うからだろ? 同居できないって言えばいいんだろ。それで解決だ」
「違う! 根本的に間違ってる。もう同居うんぬんの話じゃないんだよ」
私が声を荒らげると、優斗はなぜか悔しそうな顔をした。
しかし、彼はすぐににたりと笑う。
「慰謝料」
「え?」
「俺と別れるなら婚約破棄の慰謝料を払ってもらうからな」
優斗はにやにやしながらそう言った。
正直ここまでのクズだと思わなかったからもう怒りを通り越して呆れた。
私はスマホでNoaのSNSを表示して、優斗に見せつける。
「慰謝料を払うならあなたよ」
それを見た優斗はぎくりと表情を歪めた。
「私が知らないとでも思ったの?」
「誰だよそれ、知らねーよ」
「この手の傷は優斗のものだよ。私が手当てしたからよくわかる」
優斗は一瞬怯んだが、すぐに笑って言った。
「会社の同僚とメシくらい行くだろ? 紗那だってよく男と行ってるじゃないか」
「じゃあなんで今しらばっくれたの? 最初からそう言えばいいじゃない」
「あーもう! とにかく、婚約破棄なら慰謝料だ! 俺は絶対に譲らないからな!」
だめだ、こいつ。
もう、どうでもいいや。
私はスマホに保存した乃愛とのやりとりを撮った写真を優斗に見せつけた。
【はやくのあのことだきしめてー】
【会いたいょ♡】
【すきすきすきーだょ♡♡♡】
優斗はわかりやすいくらい顔面蒼白になり、口を開けたまま硬直した。
「どう見ても同僚との会話じゃないよね?」
「お前、勝手に俺のスマホ見たのかよ。最低だな!」
「どっちが? ねえ、どっちが最低なの?」
「お前だよ! そういう卑怯なことをするお前は品のないクズだ!」
「……もういいわ。どっちがどうとか、そんなこと話したくないの。別れましょう」
そう言うと、優斗は鼻で笑った。
「お前、俺と別れたら行くとこないだろ? 実家とは疎遠だしな」
痛いところをついてくる。
こんなに卑怯な人間だったんだ。
ほんと私って男を見る目がないんだな。
「ご心配なく。引っ越し先のめどはついているから」
「だったら今すぐ出ていけ! 俺のプライドを傷つけやがって許さないからな! 」
本当に子どもみたい。
自分に都合が悪くなったら逆切れする。
「家賃半分は私が払ってるの。それをきっちり清算して荷造りがきちんと終わったら出ていくから」
冷静に話をしたつもりだった。
しかし、優斗は手を振り上げると私の顔を叩きつけた。
とっさのことで避けきれず、頬と耳に痛みが走った。
「殴った? 今、殴ったの?」
「お前が生意気だからだよ!」
優斗は怒りの形相で拳を握りしめて震えている。
私は彼を見て恐ろしいという感情ではなく、ただ失望感でいっぱいになった。
そして意外にも冷静に思う。
今までは私が我慢してきたから彼はここまで感情を爆発させることがなかったのだろう。
これが彼の本性なのだ。
このまま結婚していたら、私はずっと彼を怒らせないように我慢していたかもしれない。
そうなると彼はますます図に乗って、見事にモラ夫の完成だ。
もういい。
これ以上話しても無意味だ。
家賃や光熱費のことは気になるけど、もう一秒たりとも優斗と一緒にいたくない。
私は黙って自分の荷物をスーツケースに詰め込み始めた。
優斗は不貞腐れてソファに座り、大音量でテレビを見ている。
私が出ていくとき、優斗はソファに座ったまま大声で言い放った。
「後悔しても遅いぞ!」
誰が後悔などするものか。
私はただ「さようなら」と言ってドアを閉めた。
夜道の中をガラガラガラとスーツケースがうるさく音を立てる。
冷静に考えてみたらいろいろやるべきことがまだ残っている。
だけど、これ以上あの空間にいたら精神的にやばい。
今は心を守ることが先決だ。
急に足が止まった。
と思ったら、いきなり目から涙がぼろぼろこぼれ落ちた。
よくわからないけれど、涙が止まらないのだ。
周囲の目を気にするでもなく、ぐしゃぐしゃと泣いてしまった。
しばらくしたら頭がすっきりしてきたので、スマホを取り出して電話をかけた。
相手が出ないので、こちらが諦めて切ろうとした瞬間に、応答があった。
私は涙を拭って平静を保ちながら声を発した。
「すみません。お願いがあるんですけど」
私は電話をしながら足早に最寄り駅へ向かった。