テラーノベル
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職員室のドアの前で、私は息を止めた。
中から湧き起こる、弾けたような盛大な拍手。
「星野先生、ご結婚おめでとうございます!!」
教頭先生の図太い声が、無情にも壁を突き抜けて私の鼓膜を震わせる。
そうか……先生、結婚するんだ……。
私はポケットの奥に突っ込んでいた紙切れを、指先が白くなるほどギュッと握りつぶした。
溢れそうになる何かから逃げるように、職員室の前を離れ、静かに教室へと走った。
ーー
俺が、あの上映チケットを見つけたのは、放課後の掃除の時間だった。
教室のゴミ箱からビニール袋を外し、新しい袋に付け替えていたとき、底の方に転がっているのに気づいたんだ。
『◯◯大学 △△教授監修 特別上映チケット』
くしゃくしゃに丸められたそれは、県立プラネタリウムが主催する、今カレンダーを賑わせている期間限定のプレミアチケットだった。
誰が捨てたのかなんてわからない。けれど、天体マニアの俺にとっては喉から手が出るほど欲しい宝物だ。俺は周囲を気にしながら、そっとそれを拾って制服のポケットに滑り込ませた。
ーー
週末。
私は、ひとりでプラネタリウムのロビーに立っていた。
本当は、密かに恋をしていた科学の星野先生を誘うつもりだったのだ。
先生と生徒。
普通に誘ったら、きっと「立場」を理由に断られる。
だからこそ、天体マニアの先生が絶対に飛びつくはずの『◯◯大学 △△教授監修』のチケットを、必死に2枚手に入れたのに。
勝算はあった。あったはずだった。
だけど、あの日――。
職員室の前で聞いてしまった、結婚の報告。
まさに寝耳に水だった。
だって先生、いつも地味で大人しくて、浮いた噂ひとつなかったから。
……でも、よく考えたら、教師が生徒の前でプライベートの顔を見せるはずなんてないのだ。
私と先生は、どこまでいっても『生徒』と『先生』でしかなかった。
先生に渡すはずだったチケットは、行き場を失った淡い恋心と一緒に、教室のゴミ箱へ投げ捨てた。
手元に残った、自分用のもう1枚。
しばらくそれを見つめた後、私は諦めきれない想いごと、ふたたびポケットに押し込んだのだ。
そして今日、私はひとりきりでここへ来た。
ーー
俺は、拾ったチケットを握りしめ、心臓をバクバクさせながら指定席に腰を下ろした。
もし、これを捨てた本人が隣に来たらどうしよう……。
そんな不安がよぎる。
だけど、この限定チケットは今や入手困難な超プレミア品だ。誰かにとってはただのゴミでも、俺にとっては奇跡みたいなチャンスだった。
「――なんで、あんたがそこに座ってんのよ」
不意に頭上から降ってきた鋭い声に、俺はビクッと肩を跳ね上がらせた。
恐る恐る顔を上げると、そこには驚きと怒りを顔に張り付かせたクラスメイトの藤井が立っていた。
「あ、あぁー……」
心臓が嫌な音を立てる。
タダで手に入れた幸運に目が眩んで、他人の領域に泥棒みたいに入り込んでしまった自分の卑しさと、それをクラスの女子に現行犯で見つかってしまった情けなさ。ずるいことをした報いが一気に押し寄せてきて、俺は完全にフリーズした。
気の利いた言い訳なんてひとつも出てこない。
言葉に詰まる俺を、藤井は目を三角にしてキッと睨みつけてくる。
万事休す、だ。
そのとき、すぐ近くで聞き覚えのある男の声が響いた。
「なんだ、お前たちも来ていたのか」
心臓が跳ねる。
思わず声の方を振り向くと、そこには科学の星野先生が、おめかしした綺麗な女性と腕を組んで立っていた。
それを見た瞬間、藤井の顔からサーッと血の気が引き、目に見えて絶望の色に染まっていく。
「このチケット、取るの大変だっただろ? 先生もこの教授の本は全部読んでいてさ……」
幸せそうに、どこまでも無邪気に微笑む先生。
その笑顔と反比例するように、藤井の顔色はどんどん土気色に変わっていく。今にもその場に崩れ落ちてしまいそうだ。
そのとき、脳みそで考えるより先に、身体が動いていた。
自分でも何をしてるのか分からなかったけれど、俺は隣に立つ藤井の肩をぐっと引き寄せ、先生を見据えて言い放った。
「せっ、先生! 俺たち、今デート中なんです! ……お邪魔虫は、勘弁してください!」
藤井が先生に抱いていた気持ちに、なんとなく気づいてしまったから。
自分でもなんて馬鹿な大嘘をついているんだと思ったけれど、今は一刻も早く、この残酷な現実を彼女から遠ざけなきゃいけない、それだけが本能的な衝動だった。
ーー
先生たちが去った後、俺と藤井の間には冷や汗が出るほどの気まずい沈黙が流れた。
やがて無情にも上映時間が訪れ、会場のライトがひとつ、またひとつと消されていく。
隣に座る藤井の横顔すら確認できないほどの、完全な闇が世界を包み込んだ。
「……ありがとう」
暗闇の向こうから、ぽつり、と掠れた声が聞こえた。
「あんたがいなかったら、私、本当にあそこで倒れてたわ……」
少し鼻をすする、小さくて切ない音が闇に溶ける。
「今、心の底から……ひとりじゃなくてよかったって思ってる。チケット、拾ってくれて……ここにいてくれて、ありがとね……」
「……うん」
俺は、それだけ短く答えるのが精一杯だった。
ドクドクとうるさい心臓の音を隠すように、俺はプラネタリウムの天井いっぱいに広がり始めた、満天の銀河を見上げた。
コメント
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おお、第11話でここまでくるとは……! 視点が「私」と「俺」で切り替わる構成がもう、たまらなく好きです。男子生徒が咄嗟に「デート中」って嘘をついて藤井をかばうところ、胸が熱くなりました。彼女の「ひとりじゃなくてよかった」が暗闇に溶けるように聞こえてくるようで、読んでるこっちも泣きそうになりましたよ……。星野先生の無邪気な笑顔が逆に残酷で、でもそれがまた現実だよなあって。あおい、この距離感、大好きです。